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宿敵と運が繋がっても、王冠はひとつ  作者: 綴木 灯
第三章「好きでも譲らない」

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11/20

同じ嵐

雨が降り始めたのは、昼を少し過ぎたころだった。


最初は窓に細い筋がつく程度で、リゼは気にしなかった。次の開催地までは乗合馬車で半日。夕方には着くつもりで、膝の上に試合記録を広げている。


町を二つ越えたころ、紙をめくる音より雨粒の方がうるさくなった。


窓の外が白い。道の端が見えにくくなり、御者が速度を落とす。


リゼは手首を見た。


競技者印の縁にある金色は、いつも通り薄く光っている。


「……雨くらい普通に降るし」


誰に言うでもなく記録へ視線を戻す。


十分後、馬車が止まった。


前の橋そのものは無事だが、手前を倒木が塞いでいるらしい。今の雨では動かせない。


近くの中継所まで戻ることになった。


次の便は、早くて明朝。


予定だけが、雨の向こうへきれいに消えた。



中継所は同じように足止めされた旅行者で埋まっていた。


濡れた外套の匂い。床へ落ちる水。退屈した子どもの声。窓を叩き続ける雨。


「東便は明朝まで運休です。西からの連絡便も――」


係員が何度目か分からない説明を繰り返している。


リゼは空席を探し、奥の四人掛けの机を見つけた。


二席空いている。


向かいの席には、カイがいた。


「……は?」


本から顔を上げる。


「その反応、失礼じゃない?」


「何でいるの」


「こっちの台詞だけど」


二人とも、ほとんど同時に手首を見た。


「何があった?」


「渡し舟が戻った。乗る直前に雷が落ちて、桟橋の巻き上げが壊れた」


「怪我は?」


「誰もしてない。君は?」


「倒木。橋の手前」


「同じ道?」


「違う。私、北から」


「僕は西」


また金色を見る。


何も答えない。


片方の移動が止まり、もう片方も別の理由で止まる。たぶん、いつものやつだ。


リゼは空いている椅子を引いた。


「座るんだ」


「空いてるから」


カイが少し離れた長椅子を指す。荷物を抱えた老人の横に、一人分だけ隙間がある。


「狭い」


「そう」


それで話は終わった。



一時間後。


雨はまだ窓を叩いている。


リゼは持ってきた記録を読み終え、カイは同じ本を読み続けていた。


「何それ」


「本」


「見れば分かる。何の本」


表紙を見せられる。旅商人が消えた金貨を追う推理小説らしい。


「面白い?」


「まだ犯人分からないから」


「分かったら面白くなくなるの?」


「読み返すときは別」


「面倒な読み方」


「君に言われたくない」


「私、本に突っ込まないし」


「試合記録には三回」


リゼは膝の紙を見る。


「声出てた?」


「一回目は『そこ行く?』」


「再現しなくていい!」


向かいにいた親子が笑った。


リゼは口を閉じる。


カイは何事もなかったように本へ戻った。



夕方前、売店が温かい飲み物を出し始めた。


リゼは蜂蜜茶。カイは黒い珈琲。


同じ机へ戻る。


「苦くない?」


「苦いよ」


「何で飲むの」


「好きだから。君のは?」


「蜂蜜茶」


「甘そう」


「甘いよ」


「何で飲むの」


「好きだから」


一秒遅れて、自分で気づく。


「今のなし」


「同じだけど」


「なし」


「はい」


カイは笑わなかった。


リゼは茶を飲む。熱さのあとに甘さが残る。


雨音は少しも変わらない。



そこから、長いこと何も話さなかった。


カイは本を読む。


リゼは窓の雨を見る。


奥では誰かが寝息を立て、子どもが床へ積み木を並べている。係員が何度も濡れた床を拭く。時計の針が進む。


話すことがない。


なのに、別の席へ移る理由も見つからなかった。


普段なら、カイと同じ場所にいれば試合か順位の話になる。去年のこと、セラのこと、相手の癖。何でも勝ち負けへ繋がる。


今は、ページをめくる音と雨だけだった。


それでも時間は妙に長くなかった。



「ねえ」


リゼが言った。


「何」


「前から聞こうと思ってた。何で勝ったあと、すぐ帰るの」


「どこから?」


「競技場。客席に手振ったりしないじゃん」


「ああ」


カイは少し考える。


「落ち着かないから」


「何が」


「勝ったあと、知らない人が大勢こっち見て叫んでる時間」


「最高じゃん」


「君はね」


「勝ったって感じするでしょ」


「鐘で分かる」


「そういう話じゃない」


リゼは蜂蜜茶の底に残った薄い甘さを見る。


「……取ったものは、取ったってちゃんと喜んだ方が得」


「得?」


「せっかく勝ったのに、無表情で帰ったら一回分損してる」


「勝ちは減らないけど」


「気分が増える」


カイが少しだけ目を細めた。


「君らしいね」


「馬鹿にしてる?」


「してない」


「じゃあ何」


「そのままの意味」


カイは本へ視線を戻した。


褒められたわけでも、否定されたわけでもない。


リゼは返す言葉を探して、結局見つけなかった。


「……そっちは地味」


「知ってる」


「もうちょっと悔しがって」


「事実だから」


いつもの調子へ戻った。


リゼは残りの茶を飲んだ。



夜になっても雨は残った。


東行きと北行きは、明朝同じ時間に出る。そこから先は別れるらしい。


待合室の奥に男女別の簡易休憩室が開き、旅行者が少しずつ荷物を持って立ち上がる。


「じゃあ朝」


カイが本を閉じた。


「何時」


「六時半にここ」


「何で集合するの」


「便、同じでしょ」


「席まで一緒とは限らないけど」


「そうだね。じゃあ、別に集合じゃなくていい」


リゼは鞄を肩へ掛けた。


「……六時半」


「集合するんだ」


「寝坊したら置いてくから」


「君が?」


「するわけない」


「僕もしない」


窓の外で雨が道路を白くしている。


「おやすみ」


カイが言った。


「明日寝坊したら笑う」


「しないよ」


「じゃあ、おやすみ」


リゼは先に休憩室へ向かった。


手首にはまだ金色がある。


六時半を決めたときは、一度も見なかった。

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