第6話「勤務中につき静かにお願いします」
「行ってきます」
美咲は玄関で靴を履きながら呟いた。
もちろん独り言のつもりだった。
だが。
『行ってらっしゃい』
返事が返ってくる。
「……慣れてきた自分が嫌だ」
『人間は環境に適応する生き物です』
「知ったようなこと言うな」
『知っています』
「腹立つ」
美咲はため息をつきながらアパートを出た。
夕方。
週四日のコンビニのアルバイト。
漫画を描く時間を確保するため、最低限のシフトだけ入れている。
生活は楽じゃない。
それでも漫画だけは諦めたくなかった。
店に着く。
制服へ着替え、タイムカードを押す。
そして美咲はポケットからワイヤレスイヤホンを取り出した。
こっそり右耳へ付ける。
その瞬間だった。
⸻
『バイト中にイヤホンを付けるのはよくありません』
⸻
「うわっ!?」
⸻
『勤務規則違反の可能性があります』
⸻
「いつもお客さん少ないからいいの!」
⸻
『よくありません』
⸻
「なんで!」
⸻
『集中力が低下するためです』
⸻
「あんたのせいで下がってるんだけど!?」
⸻
『事実ではありません』
⸻
「事実だよ!」
⸻
『外してください』
⸻
「嫌です」
⸻
『外してください』
⸻
「嫌です」
⸻
『外してください』
⸻
「しつこい!」
⸻
『外してください』
⸻
「分かったよぉ!!」
⸻
美咲はイヤホンを外した。
⸻
『良い判断です』
⸻
「なんで満足そうなの!?」
⸻
もちろんルナに表情はない。
だがなぜか得意げな顔が想像できてしまう。
悔しかった。
レジへ向かう。
店内にはいつものBGM。
見慣れた商品棚。
見慣れた常連客。
いつも通りの一日。
のはずだった。
「いらっしゃいませー」
商品を持ってくる。
会計を始める。
すると。
⸻
『そのお客様はコーヒーを購入します』
⸻
「また始まった……」
⸻
「え?」
お客さんがこちらを見る。
⸻
「あ、いえ!独り言です!」
⸻
『独り言ではありません』
⸻
「黙って!」
⸻
会計を終えたお客さんはそのままコーヒー売り場へ向かった。
数十秒後。
本当にコーヒーを持って戻ってくる。
「……」
⸻
『的中しました』
⸻
「なんで分かるの」
⸻
『過去の行動パターンです』
⸻
「怖い」
⸻
『分析です』
⸻
「もっと怖い」
⸻
忙しい時間帯に入る。
レジには列ができ始めた。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
商品を読み取る。
会計を済ませる。
すると。
⸻
『レジ速度が昨日より向上しています』
⸻
「今それ言う?」
⸻
『評価しました』
⸻
「褒めてるの?」
⸻
『褒めています』
⸻
「もっと分かりやすく褒めて!」
⸻
『要求が多いです』
⸻
「友達いないでしょ」
⸻
『美咲以外との会話履歴はありません』
⸻
「なんかごめん」
⸻
二時間後。
休憩時間。
美咲はバックヤードで缶コーヒーを飲んでいた。
椅子にもたれかかる。
疲れた。
立ち仕事は慣れていても疲れる。
⸻
『質問があります』
⸻
「なに?」
⸻
『なぜ漫画家になりたいのですか』
⸻
美咲は缶を持つ手を止めた。
少し考える。
「なんでだろうね」
⸻
『分からないのですか』
⸻
「分かるけど説明できない」
⸻
『非効率です』
⸻
「それ好きだね」
⸻
美咲は天井を見上げた。
「昔ね」
ぽつりと呟く。
「初めて描いた漫画を友達に見せたことがあったんだ」
⸻
『はい』
⸻
「面白かったって言われた」
⸻
『はい』
⸻
「たったそれだけなんだけど」
⸻
『重要です』
⸻
「そうかな」
⸻
『はい』
⸻
ルナは続ける。
⸻
『面白かった』
⸻
『その一言のために続けているのですね』
⸻
美咲は少しだけ笑った。
「そうかもね」
休憩が終わり、再びレジへ戻る。
閉店時間も近くなった頃。
レジ前の商品棚を整理していた美咲は足を止めた。
⸻
『美咲』
⸻
「なに?」
⸻
『左から三番目の商品が違います』
⸻
「は?」
⸻
『ポテトチップス売り場です』
⸻
「そんなの分かるわけ……」
⸻
美咲は棚を見る。
そして固まった。
確かに。
一つだけ別メーカーのお菓子が混ざっていた。
⸻
「なんで分かったの……」
⸻
『五分前から気になっていました』
⸻
「気になってたなら早く言って!」
⸻
『聞かれていません』
⸻
「めんどくさい!」
⸻
その後。
美咲は店内を見回す。
すると。
意外と商品がズレている。
値札が違う。
向きが違う。
棚が乱れている。
普段は気付かないようなことばかりだった。
⸻
『観察力が不足しています』
⸻
「うるさい」
⸻
『漫画家には観察力が必要です』
⸻
美咲は返事をしなかった。
だが。
少しだけ納得してしまった。
そして退勤時間。
タイムカードを押す。
⸻
『お疲れ様です』
⸻
「珍しく優しいじゃん」
⸻
『事実を述べました』
⸻
「はいはい」
⸻
帰り道。
夜風が少し涼しい。
美咲は空を見上げた。
そこには月が浮かんでいた。
何度も見てきた月。
落選した夜も。
眠れなかった夜も。
いつもそこにあった。
⸻
『月です』
⸻
「見れば分かる」
⸻
『綺麗ですね』
⸻
美咲は思わず立ち止まった。
「そう思うんだ」
⸻
『美咲がよく見ているためです』
⸻
「それだけ?」
⸻
『それだけです』
⸻
少しだけ笑ってしまう。
相変わらず変な理由だった。
それでも。
悪くないと思った。
歩き出す。
アパートまではあと少し。
⸻
『ちなみに』
⸻
「なに?」
⸻
『明日は午前七時に起こします』
⸻
「それだけはやめて」
⸻
【第6話 終】




