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30※

ライネリオ視点です。


 ライネリオにとって悪夢のような一日から一ヶ月ほど時間が過ぎた。

 王女の護衛任務から解放された彼は再びハロルドの背中を守るようになった。

 しかし、その役割も今日で最後になる。


 ライネリオはいつも通りの足取りで、いつもと違う服装で王の執務室に足を踏み入れる。

 山を作る書類の中に埋もれたこの部屋の主はライネリオの到着を待ったかのように薄く微笑む。

 主君の表情はライネリオの胸を震わせた。


「ようやく来たか」


 そんなハロルドに、ライネリオは複雑な感情を隠しながら無言で礼をする。

 王がそれを受け取った後、今度騎士は王の前に大切な物を置いた。

 ハロルドは机の上に置かれた鶴とダンデライオンの紋章が彫られた腕章に一瞥し、ライネリオに視線を送る。


「これが、お前の答えだな」

「はい。今までお世話になりました」

「そうか」


 ハロルドはため息を漏らしながら席から立ち上がる。

 表情を見せまいと身体を翻し、窓の外を眺めながらライネリオとの会話を続ける。


「これから、やはりあそこにか?」

「はい」

「ふっ、だろうな」


 王は方を小さく震わせながら笑った。

 ライネリオが見えない角度で懐から一通の開けられた手紙をだし、それを眺めながら語り始めた。


「まさか、最後の最後まで、お前を使って賭け事をするとはな」

「陛下?」

「いや、なんでもない」


 ハロルドは便箋から手紙を出し、丁寧な字で描かれた内容に目を通しながら話し続ける。


「正直言うと、あの夜のお前の答えは予想外だった」


 あの日の夜。

 それは、王女セレスメリアの処刑日の前夜である。

 セレスの覚悟を飲み込んだライネリオはそのままハロルドに呼び出され、一つ提案を貰った。

 その内容にライネリオは驚愕した。

 何故なら、王自身がセレスの逃亡を彼に任せようとしていたからだ。


 何故だ、とライネリオは困惑した。

 ハロルドは知っているはずだ。

 ライネリオには王女セレスメリアを憎む理由が確かに存在している。

 そして、彼に拾われた時にそれを打ち明けたのだ。

 ジェラルドへの憎悪、セレスメリアへの怨念。

 彼らへの復讐心を抱いていることを、ハロルドは知っているはずだ。


 だからこそ、王女の護衛が任されたのだろう。

 彼女の誘惑に負けないほどの警戒心を持っているから、その地位が与えられたと今まで思っていた。

 そんな男に、王女を任せようとしたハロルドの意図が理解できない。


 だが、そんな混迷の渦に巻き込まれても、ライネリオの答えはもう決まった。

 もし、もっと早くその提案を知っていれば、彼の意志が変わるかもしれないが、時はすでに遅し。


 だから、ライネリオは迷わずに「否」と答えた。

 いや、答えられたんだ。


 ライネリオは自分の唇を噛む。

 セレスの行動原理がわかった今でも、まだ、それが正しい選択かどうかわからない。

 だが――。


「だが、今ならお前の答えに感謝している。……ありがとう」


 ハロルドの答えはまるでライネリオの本心の代弁となった。

 その事実は、ライネリオの心を救った。


「いいえ、私は、私がやりたいことをやっただけです」

「それでも、だ。そのままお前たちを逃がせば、あの娘だけではなく、お前も苦労させてしまう。それは、あの子が一番望んでいないのだろうな」

「例えそうなったとしても、最後まで彼女を守るつもりです」

「……そうか」


 ハロルドは微笑む。

 どこかで、寂しそうで、嬉しそうに微笑む。

 そんな君主に、ライネリオは深々と礼をする。


「この三年間、本当にありがとうございました。陛下に拾われなかったら、私はとっくにあの北の果て死んでいたでしょう。それなのに、こんな形で、きちんとした恩返しできないまま陛下の側から離れようとして……私はっ」


 言葉が詰まった。

 決心したのにも関わらず、これも否定できない本心である。

 一つしか選べない己の無力さ。

 一つを選んだ己の決意。

 二つの感情がぶつかり合い、ライネリオの言葉を奪った。


 そんな彼を見て、ハロルドは苦笑を浮かべる。


「なあ、ライネリオ。前にセレスメリアはこれを借りたのが知っているが、お前は読んだことがあるか?」


 顔をあげると、王は一冊の本を手にしている。

 その表紙に見覚えがあるのだ。


「読んだことはありませんが、内容は少々知っています」

「ふっ、そうか。では、終始の筋書は?」

「把握しています」


 ハロルドは本の表紙を優しく撫でる。

 その姿がどこかで、懐かしむような、愛しむような、そんな風にライネリオの目に移る。


「これは、妻が書いたものだ。彼女によると、とある男女の行く末が不愉快と感じたから、勝手にそれを題材にして、勝手に大団円にしたのだ、と」


 「まさか、それが民衆の間に流行るとは、彼女は思ってないみたいだが」と、ハロルドは笑いながら語った。


「よかれと思った選択が、不幸を招くとは結果が訪れるまではわかるはずがない。問題は、その結果をどう受け止めるか。第三者が納得できなくても、大事なのは本人が納得しているか否かだと私は思う」

「陛下」

「私ももちろん、誰もが不幸にならない選択の方がいい。だからこそ、最悪な事態になるとわかった時に深く後悔した。だが、私は人間である限り、選択した後でしかその結果を知る術がない」


 ハロルドの視線は本からライネリオに移る。

 セレスと同じ色をしているその瞳の中から、確かな温もりが伝わる。


「ライネリオ、お前はお前の今までの選択をどう思っているのか?」

「私は――」


 別の選択を選べば、違う結果になるのだろうか。

 そして、その結果は今よりも幸せなものになるのだろうか。

 それが存在しているのであれば、それを選べないのは己が弱かったからだ。

 この七年、ライネリオはこうして繰り返して自分を責めていた。

 そこから生まれた苦しみから目を背けるために、憎悪を抱くことを選んだ。

 それが一番楽だからだ。

 同時に、非常に苦しい茨の道だった。


 後悔していないと言えば、嘘になる。

 だが、セレスと再会し、それが少しずつ変わった。

 いや、また振り出しに戻ったと言った方がいいかもしれない。


 だから――。


「後悔しないように、最期までやれることを出来る限りやりたいと思います」


 ライネリオの答えに満足したかのように、ハロルドは深く微笑んだ。

 ライネリオはその面影を、どこか亡くなった父に似ていると感じた。


「では、行きなさい。後悔がないように、生きなさい」


 こうして、七年間続いた二人の主従関係は祝福の言葉で幕を閉じる。




 ハロルドとの別れの挨拶を済ませた後、ライネリオはそのまま城下町に向かう。

 その道中に、王女が処刑されたはずの広場にたどり着くと、思わず彼の足が歩みを止めた。

 そこには、あの日のような群衆がいなかった。

 エトリアの民はいつも通りに生活しているのだ。

 春が訪れたからなのか、到着していた日よりも賑やかなその場を見て、ライネリオの胸が切なくなった。


 しかし、一週間前まで、そこには歪な物が飾られていた。

 公開処刑されたはずの王女の急死は民衆を怒らせた。

 王への不信感や、王女への鬱憤が限界を達する寸前に、厳重に警備されながら「あれ」が広場に公開された。

 それを見て、人々の怒りが別の方向に爆発した。

 「あれ」に対しての罵倒、石投げなどは止められなかった。

 「あれ」の亜麻色の糸が全て無くなる瞬間まで、それらが続いていた。


 一週間前までの混沌と、今の穏やかな時間。

 ライネリオはその変わり具合に恐怖を抱いていた。

 同時に、深い渦巻きのような悲しみを感じる。


(セレス、これは君が望んでいた景色なのか?)


 だが、どんなに問いても答えてくれる存在はここにいない。

 小さくため息を吐き、そのまま門を目指して歩み続けると、一組の親子が目に入った。

 子供は広場を凝視しながら、母にこう問う。


「ねえ、お母さん、なんで王女様が死なないといけないの?」

「こら、ここであの人の名前を言っちゃだめよ」

「でも、だって……」


 子供が泣きだし、母はそんな子供を抱きしめる。


「わかってる……わかってるよ。もう、あの方と会えないのが、寂しいよね」

「うん……前に、次会う時は、沢山遊ぼうって」

「そう、だよね。……うん、そうだよね」

「皆、王女様が悪い人って言ってたけど、それは、本当なの? 嘘だよね? お母さんもそう思うの?」


 母は、子供の頭を優しく撫でる。


「皆がそう思っても、お母さんはそう思わないよ」


 そして、ぎゅっと子供を抱きしめる。


「だって、流行り病に苦しんでいる貴女を、唯一抱きしめてくれたのは、あの方だもの」


 そのやり取りを見て、ライネリオの瞳が熱くなった。

 救われた。

 彼の心は、あの親子に救われた。


 彼女の本質を理解している人間が存在している。

 それを見せてくれた親子に、ライネリオは心から感謝している。





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