怖い人と
登場人物
若月慧
高校一年生。文芸部へ入部する決意を固めたものの、野球部へ入部させられてしまう。怖い人と買い物に行くことになる。
吉田清
高校二年生。怖い人だと思われている。
「……」
「……」
会話なく、二人は廊下を歩く。
部室から購買部までは多少の距離がある。そのためか、慧にとってこの沈黙は永遠にも思えた。
――なにかしゃべんなきゃ。なにか、なにか……。
脳内で必死に適切な話題を探る。しかし、慧の頭に閃きは訪れない。
――どうしよう、でも、ずっと無言なのは気まずいしなあ……ていうか、ふつうに気まずいなあ。
最近は怒鳴られるような事は無くなってきているとは言え、慧の頭には未だに初のグラウンド練習で激怒された記憶がこびりついている。そのため、清と対面するとどうしても慧の中の空気が重くなってしまうのであった。
「おい」
「はいっ!?」
慧がもやもやしているところに、不意打ちで清が声を掛けてきた。
「よく考えたらよ、早く戻らねーと昼休み終わっちまうな」
「そ、そうですね……」
「さっさと買わねーとな」
「はい……」
当たり障りの無い返事をし、ふと張っていた気が抜ける。
「おい」
「はっ、はい……!?」
油断する慧に再度の問い合わせが入る。今度は一体何を尋ねられるのか。身構える慧に、清は同じ調子で言う。
「おめー、家じゃいつも何やってんの?」
「えっ……!? えっ、えと……」
清の言葉は予想していないものだった。あまりにも意外な問いに慧は言葉を詰まらせる。
――な、なんだそれ……いったい何を知りたいんだこのヒトは……。
必死に回答を探すが、適当な切り返しが出てこない。
――こうなったらもう本当のことを言うしか……いいよね。別におかしくはないはずだし……。
手詰まりとなった慧は、繕うよりも正直に回答する方法を選択した。
「えと……本とか……読みます……」
「そっか。確かにそんなタチに見えるもんな。おめーは」
清はケラケラと笑う。
――な、なんだ……いったい……。
笑われているものの、決して馬鹿にされている訳では無いということがなんとなく伝わってくる。しかしそれが逆に慧の居心地を悪くする。
――なんだろう、いったい何が狙いなんだ。もしかしてどこか怒鳴るポイントでも探してるの……?
意図の読めない清の問いに、慧は疑心暗鬼に陥る。
「どんなのがおもしれーの?」
「えっ!? えと……いろいろあります……」
「ふーん」
――だめだ……これじゃもたない……。
この調子ではやがて回答に窮することを察した慧は、とっさに同じ質問を清に返し立場を入れ替えることを思い付いた。
「よ……」
「ん?」
名前を呼ぶことさえ億劫な気持ちを、どうにか押し殺す。
「よ、吉田さんは……趣味ってないんですか……?」
「おめー失礼だな! ちゃんとあるよ」
バシンと慧の背中を叩きながら清は質問に答えた。
――あれ……なんだろう、機嫌いいのかな……。
背中を叩かれたことで一瞬背筋が凍った慧だが、やはり清は怒っているわけでは無いことがその雰囲気から感じ取れた。
「い、いったい、その趣味って……」
「釣りだよ」
「つ、つり……ですか!?」
思わず慧の声が上ずる。次の瞬間また背中を叩かれ、慧は上ずった悲鳴を上げる。
「なんだよ、なにかおかしーか」
「い、いえ、別に……」
――明らかにおかしいよ……! 釣りが趣味の女子高生っているの……?
頭と口で正反対の事を言いながら、慧は清の顔を見る。
そこで慧は思わず呟いてしまった。
「で、でも……似合ってる、かも……」
「おめーやっぱり失礼なやつだな!」
不意に慧が呟いた次の瞬間、今日三度目の背中叩きが炸裂した。
「ひんっ……!」
またも慧の背筋が伸びる。流石にヒリヒリしてきた背中をどうにか触りながら、慧は自らの気付きを声に出してしまったことを恨んだ。
――でも自分から言っといてあんまりだよ……ふつうにふつうじゃないよね……ぜったい……。
「まあ、俺も女子高生にしては変わった趣味だってことは自覚してるよ」
「えっ……」
あまりにあっさりとした自白に慧は目を丸くする。
「釣りが好きな女子なんて聞いたことないしな」
清は心なしか遠い目をする。
――そんな……それならわたし叩かれ損じゃ……。
突如、清は思わずジト目になる慧を掴まえ、その両肩を背後から揉み出した。
「!?」
不意の出来事にビクッとする慧。その耳に、清の、聞いたことのない調子の声が入ってきた。
「そう怒んなよー! 何回も叩いて悪かったな」
そう言いながら肩を揉み続ける清。
その様子に、慧は思わず吹き出してしまった。
「なにがおかしーんだよ!」
「ひぅっ……!」
盛大に背中を叩かれる。
それでも、慧の顔から笑みは消えなかった。
――そっか……この人も、ただ何か話したかっただけなんだな。
「……んだよ、気味わりーな」
「あっ……い、いや、すいません……!」
正面に回った清にジト目をされ、慧は自らの表情が笑みで崩れている事をやっと自覚した。
「ま、いいや。着いたぜ」
「あっ……」
いつの間にか、二人は購買部へ到達していた。時間の感じ方っていうのはほんとに不思議だ。慧はしみじみとそんな事を考えていた。
ふと、隣を歩く清が立ち尽くした。
「……おい」
わなわなしながら慧の方を向く。不思議そうに慧は清の顔を覗いた。
「若月……おめー、絵の具何色買えばいいかわかるか?」
「……あっ」
清の言葉で全てを理解した慧は、同じ様に立ち尽くした。そこから部室に戻り文乃にひとしきり呆れられ、必要な色を確認したあたりで午後の授業開始の予鈴が鳴り響いた。