勧誘と大崎梓
登場人物
若月慧
高校一年生。文芸部へ入部する決意を固めたものの、野球部へ入部させられてしまう。部員勧誘に頭を悩ませる。
伊勢崎華凛
高校一年生。慧を野球部に誘う。周囲の視線を奪う容姿の持ち主であり中学時代は名のある選手だったらしい。ただし硬式野球は高校から。部員勧誘に頭を悩ませる。
天宮捺
高校二年生。野球部部長。楽天的な性格。文乃へ部員勧誘のボード作成を依頼する。行動派。
近藤千春
高校二年生。野球部副部長。真面目な性格。生徒会の活動が忙しい。
西川文乃
高校二年生。夏の初戦では七番セカンドだった。美術の才能がある。恥ずかしがり屋。
吉田清
高校二年生。美的センスがあるかどうかは謎。
大崎梓
高校二年生。夏の初戦では六番ライトだった。
物静かで謎が多い。
「おぉー……」
捺の声が部室にこだまする。他の面々も一様にその美しさに見とれている。中には感嘆のため息を漏らす者もいた。
皆の視線の先には、ひとつの絵画作品があった。セットポジションを取る投手と、それを迎え撃つように構える打者の様子が描かれたそれは、真夏のグラウンドで繰り広げられる激闘、その手に汗握る緊迫した間合いが見事に再現されている。
「このままどっかのコンクールに応募したら金賞くらい簡単に取れそうね」
捺が顎を触りながら唸る。その言葉に僅かに肩を揺らし、なお俯いたままでいるのはこのボードの作者たる文乃だった。
「照れてないで堂々としなさいよっ!」
捺に背後から背筋を伸ばされる。反射的に上がった顔は恥ずかしさからか紅潮していた。
恥ずかしさから縮こまる文乃とは対照的に存在感を発揮するボード。それを前から斜めから余すことなく眺め入った後で、ため息混じりに直子が言葉を発した。
「しっかし気合い入れすぎたんじゃないの? 要はこれ持って「野球部に入りませんかー」って皆で並んで言うわけでしょ。なんか、もっと適当なもんで良かった気がするけどなあ」
「その適当なものを私が作ったら全然引っかかんなかったの!」
「ま、まあそりゃそうか」
直子のボヤキは捺に一蹴される。
「しかしたった一週間でこんなのが出来上がるとはな。しかも昼休みと練習後の時間だけで」
ボードの出来に感心しきったように賛辞を送ったのは清だった。
「あなたが絵の具の買い物をミスしなければもう一日程は早かったのでは?」
「そ、それはいいだろ別に……!」
脇から鋭く入る千春の厳しい指摘に清はたじろぐ。部室には笑いが起こった。
「いずれにせよ見事です、文乃。これならきっと、女子野球に興味を持ってくれる方が現れるでしょう」
「そ、そうかな……」
「勿論です。生徒会の用事が重なり、あまり手伝う事が出来ず申し訳ありません」
「いいって、いいって……」
律儀に謝罪する千春に対し、申し訳なさそうに文乃は首を左右に振る。
そんな上級生のやり取りをしみじみと眺めている慧は、改めて文乃が作成したボードに目を移した。素人目に見てもかなりの完成度。慧は、暫く何も考えずにぼんやりとそのボードを眺めていた。
ふと、慧は自らの両手に汗が滲んでいることを意識する。それから、その両手にのしかかる重圧。
それはバットだった。次の瞬間、慧は金属バットを構え、左打席に立っている。
手汗で上手く握れない。ただ形だけ構えという体をなしているだけの、非常に危ういバランス。この状態ではとてもスイングなど出来そうもない。
眼前にはセットポジションを取る投手。顎を引き一塁走者を目線で牽制しながら、やがてこちら側へ意識を向ける。
直後、クイックモーションで慧に対してストレートを投じる。
足を上げたと思った次の瞬間、球は向かって来ている。そのモーションの圧倒的な早さ、加えて迫り来るストレートの速度に慧は全く反応出来ない。震える体は立っているのがやっとの状態。
「慧」
突如、意識の外側から声がかかる。慧は反射的に、この状況から逃げ出すように声がした方を向くと、そこには華凛がいた。
「どうしたの?」
華凛はきょとんとした様子で慧の顔を見る。夢うつつのまま慧は答える。
「……や、すごい絵だなって、思って……」
「そうね。高校生のものとは思えないわね」
華凛の声を間近で聞き、慧はようやく自らの見たものが幻覚、イメージであることを自覚した。掌でスカートを軽く叩き、汗を拭き取る。
「……具合悪いの?」
「えっ!?」
華凛が怪訝そうに慧の顔を覗き込んで来る。慧は反射的に誤魔化した。
「う、ううん、そんなことないよ……!」
「そう……ならいいけど」
意外にも華凛はあっさりと引き下がった。慧は心の中で安堵する。しかしその足は震え、両手には再び汗が滲んでいるのを感じた。
「よし、じゃ校門行ってみようかしら!」
あらぬ不安に駆られた慧を現実に引き戻すかのように、捺の声が部室内に響き渡る。
「いいねえ、さっそくお披露目か」
「そうと決まれば時間はあまりありません。急ぎましょう」
直子と千春が同調し、はやる気持ちを抑えられないといった様子の捺に続いて部室を後にする。他のメンバーもそれに続き、たちまち部室は空となった。
「良かった。下校の生徒たち、まだ割といるわね」
「そうですね」
野球部一同は香椎東高校の校門前に集っていた。部長である捺、副部長である千春を先頭に、帰宅の途につく生徒達を出待ちするかのように列を組んでいる。
完成したボードは全部で三つ。それぞれ文乃、捺、直子が脇に抱えていた。
「あら……」
改めて部員を確認する捺が怪訝な顔付きとなる。
「どうしました?」
「梓がいないわ」
「……本当ですね」
捺に言われて状況を把握した千春も似たような表情になる。全員がこの場に集まっているはずだったが、その実、一名欠員が存在していた。
「仕方ないわね。いるメンバーで始めておきましょう。慧」
「は、はいっ!」
列の最後尾に陣取っていた慧は虚をつかれ、慌てて手招きする捺の元へ駆け寄る。
「どうも梓が来てないみたいなの。倉庫にいると思うから、連れてきてくれないかしら」
「わ……わかりました」
「よろしくね」
慧に頼み事をして、それから捺は全員へ向き直り勧誘開始の宣言をする。
「じゃ、早速始めていこうかしら」
そう言うなり、脇に抱えていたボードを掲げよく通る声を出す。
「みなさーん! 女子野球部にはいりませんかー?」
行動の早い捺に続けとばかりに、直子が同様にボードを上段に掲げて帰宅中の生徒へ呼び掛ける。ボードを持たない部員は捺や直子に調子を合わせて賑やかな声を上げる。
最も生徒の目に留まるであろう完成度を誇るボードの持ち主である文乃は恥ずかしそうに、自らの顔を隠すようにボードを構えていた。声は出さずに俯いている。
――あんなに明るく勧誘なんて出来ないよ……頼まれ事が来たのはある意味ラッキーだったかな。
慧は、既にその一団から離れ歩き出していた。捺の命により、場にいない最後のひとりを連れてくるためだ。
――でも梓先輩とはちゃんと話したこともないしなあ……会話できるか不安だよ。
仄かな緊張が訪れていることに気付く。知らず知らずのうちに慧は、いざ会話をするという場面のイメージを始めていた。
――やっぱり天気の話がテッパンかなあ……でも奇をてらっていくのも悪くないかも……なんか何言ってもムスッとされそうなんだよな……。
考えがまとまらず、歩きながら頭をかく。
――なんとかムスッとされるのを避けたいんだよなあ。気が重いよ……なんか良い切り出し方ないかなあ……いや、ふつうに「皆集まってるんで来てください」の一言でいいんじゃ……?
結論の出ない思考を繰り広げているうちに、慧は目標の場所へ到達していた。
香椎東高校グラウンドのバックネット裏、野球部の道具が格納されている倉庫である。男子野球部の倉庫脇にある女子野球部の倉庫は、普段通りひっそりと佇んでいる。施錠はされている状態であり、別段変わった様子はない。
――捺先輩はここにいるはずって言ってたけど、見当たらないな……。
辺りを見渡してもそれらしい影は無い。さらに捜索を進めるべく、どこへ向かうべきか考える。
「ん……?」
不意に、倉庫の壁を押すような弱い音が聞こえた。慧は思わず声を漏らす。
(誰か、いる……)
慧は歩を進め、倉庫の裏へと向かった。
「……あっ」
再び慧の声が漏れる。
倉庫の裏では、ビールケースに腰を下ろし、膝に仔猫を抱える少女の姿があった。その手は仔猫の背中に添えられている。
香椎東高校二年、大崎梓。捺の読み通り、この場所に彼女はいた。
夏の陽射しが届かない日陰の中、まるで寝ているかのように俯き仔猫をゆっくりと、優しく撫で続ける少女のその佇まいに思わず慧は息を飲む。それはどこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
不意に、仔猫が梓の膝から勢いよく飛び降り、草むらへと逃げ込んだ。慧が踏んだ枝の音に反応したのだ。
「……」
ゆっくりと顔を上げた梓は、そこで慧の存在を認識した。
「あ、あの……」
慧は梓と一対一で話したことがなかった。梓は日頃から無口であり、練習の際も捺や直子が騒ぎ立てる中それに参加することなく、黙々とこなしている。故に彼女に対する接し方の切り口が掴めていない慧は、先程思案したいくつかの案の中から、思い切って用件だけを伝える方法を選択した。
「あの……校門で部員勧誘してるから、来てほしい、って……」
梓はまっすぐに慧の方を見る。やや首を傾げたものの、立ち上がろうとしない。視線を膝元へ移し、一言呟いた。
「ここにいる」
喜怒哀楽の見えない表情で不参加の意を伝えられた慧は内心で焦る。
――そ、そんなこと言われても……!
いっそこのまま引き返して捺へ聞いたままを伝えようかとも考えた慧は、思いとどまりもう少しだけ粘り腰の交渉をすることにした。
「で……でも、捺先輩に言われて……」
梓は何も答えない。沈黙が場を包んだ。
――き、気まずいな……どうしよう、何か言わないと……。
慧は場を取り繕うための思考を巡らせる。しかし方策は見つからない。ただ脳内をかき回すだけの思考を繰り広げる中、梓がゆっくりと立ち上がった。
「行く」
突然の返答に虚をつかれ慧は少しの間固まった。しかしどうにか復帰し、梓へ一礼した後校門を目指して歩き出した。梓もそれについてくる。
――このヒトの、ペースがつかめない……。
歩きながらも慧は混乱の中にいた。梓の挙動にただただ困惑していた。
梓の行動は読めない。それは他の部員も認めるところだが、慧はそれを改めて認識した。
「おっ、ちゃんと連れて来れてんじゃん! えらいねえ」
「あの梓をあっさりと……慧、あなた実はただ者ではないわね?」
開口一番、やたらと驚く上級生達。
――いったいどんな評価がこのヒトに下されているんだ……?
戸惑う思いは口外せず、慧は頭を下げた。
「でももう時間だし今日は終わりなの。ごめんね」
「そっ、そうですか……」
拍子抜けする慧。ふと、ちらと隣の少女に目をやる。
「……」
梓は、無表情でただ立っているだけだった。
「せっかく来たのにごめんね、梓。明日もまたやるからよろしくね」
捺に声を掛けられても無表情は崩れない。そのまま皆部室に向かう。梓もその後ろに付いていく形で歩みを共にした。
――読めないな……ほんとにこのヒトは。
面と向かって梓に接したのは今日がほとんど初めてと言って良い。ほんの数分間程度のやりとりで、慧は完全に梓のペースに呑まれていた。




