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リチャードは強くテーブルを叩き、叫んだ。
「せっかくのマジックバッグが消えただと!」
死に戻ったメンバーが気づいた時には、一階層に戻され、装備はすべて初期化されていた。苦労して買いそろえた高価なバッグまで失われている。
死に戻りは、かつてリチャード自身も経験していた。その時に使っていた、ディメンションリンク事業部支給の特別製異次元バッグは性能が高く、彼は今でもそれを惜しんでいた。
部下が死に戻ったこと自体には何の感慨もない。
リチャードにとって重要なのは、失われた命ではなく、失われたバッグだけだった。
「これじゃ儲けるどころか大損だ!」
「リチャード。日本の指示通り、下から順に攻略して、武器を鍛えた方がいいですよ」
「ふん。あんなへなちょこ日本人にできて、俺たちにできねえわけがない。しかも、奴らはもともとは研究者だというじゃないか!絶対どこかに裏技があるに決まっている」
裏技があると言い張ってはみたものの、リチャード自身も内心では半信半疑だった。
日本が公表している異世界は二つ。さらに、某国が取引している異世界にも、日本のディメンションリンク事業部が関わっているらしい。
そのどの世界にも、不思議な魔法や龍の加護が存在すると言われている。だが、それらの恩恵が日本以外の国にもたらされた例は、これまで一度もなかった。
アメリカ政府は、オラドンとの接触を試みるため、某国に圧力をかけていた。だが、異次元ドアの設定座標はいまだに明かされていない。
一方、お人好しの日本は、ロンゴンを観光地として世界に開放している。アメリカも調査員を観光客としてたびたび送り込んだが、龍の加護を得られた者は一人もいなかった。
「いったい、どうやって奴らは力を得たんだ?」
チームの一人が、おそるおそる口を開いた。
「リチャード。チェンたちとは昔なじみなんでしょう。事情を探るくらいはできるんじゃないですか」
リチャードは無精髭をこすりながら、黙り込んだ。
チェンたちとは、かつて同じ会社に所属し、傭兵として各地を渡り歩いた仲だ。彼らは野崎CEOに引き抜かれて会社を去った。だが、それ以降、日本は異世界に関する発見を次々と世界へ公表している。
リチャードはその偶然を、ただの偶然とは思っていなかった。
実のところ、アメリカもまた、水面下で異世界との接触を試みていたからだ。
アメリカはすでに二つの異世界を発見していた。
だが、一方に派遣した調査員はいまだ帰還せず、もう一方は宇宙空間にも等しい、生存に適さない環境だった。
「聞かなくても分かってるさ。奴らが龍の加護を持ってるのは確かだ。だが、俺たちにはない。きっと何か裏で取り引きしてるんだ。くそっ。このままじゃ、先に進むほど奴らより不利になる……」
すると、別のメンバーが口を挟んだ。
「リチャード。無理に先へ進む必要はないだろう。我々は資源さえ手に入ればいい。レアアースだって、必要な量を確保できれば十分なはずだ」
言っていることは正しい。
そんなことは、リチャードにも分かっていた。
だが、だからこそ腹が立った。
下っ端だと見くびっていたチェンたちに負けたようで、どうしても飲み込めなかった。
しかも、リチャードたちの動きは、アメリカ政府の支援によって辛うじて成り立っている。
このまま損失だけが積み上がれば、割に合わないと見なされ、見限られるのも時間の問題だった。
その焦燥に苛まれていたリチャードのもとを、二人の来客が訪れた。
アーサーとチェンだった。
リチャードは胸中の怒りを覆い隠し、努めて愛想よく二人を宿へ通した。
だが腰を下ろすなり、アーサーは思いもよらぬことを口にした。
「アンブロシアの実と、ネクタルの効能だと!」
「ああ。スフィンクスからもたらされた情報だ。野崎さんが、この先の階層を抜けるには不可欠だとして公表した。ほかにも武器の育成法や、階層ボスの情報まで載っている。これから各国の採掘者にも順繰りに手渡す予定だ」
爽やかな笑みを浮かべて語るアーサーに対し、リチャードは言葉を失った。
内容が理解できないのではない。むしろ、理解できるからこそ困惑した。
それほど重要な秘密を、なぜ自ら公にするのか。その意図だけが、どうしても読めなかった。
「なぜだ……なぜ、そんな重要なことをあっさり明かす?」
「野崎さんの方針だ。ここの迷宮は危険すぎる。神にとっちゃ、人の命なんてゲームの駒と同じらしい。それでも資源は必要だ。だったら情報を共有して、犠牲を減らしたほうがいい。そういうことだ」
次の相手にも情報を届けるのだと言い残し、アーサーたちは去っていった。
その背中を、リチャードは呆然としたまま見送った。
***
野崎の異空間で護衛たちの報告を聞きながら、私は心の中でエロスを罵っていた。
『彦麻呂だった頃のエロスは、もっと優しかったのに。名前をエロスに戻したせいで、変わってしまったなんて……』
この迷宮は、知れば知るほど、生身の人間には危険すぎた。
私たちは龍の加護があったからこそ、どうにかここまで来られた。だが、ほかの採掘者には難しすぎる。
野崎が情報を明かしたところで、それがどこまで役に立つかは分からない。
結局のところ、武器を育て、採掘具を育てていく以外に、確実な攻略法がないのだから。
しかも五階層では、それが絶対条件になる。
私たちが龍から授かった加護でさえ、そこでは通用しないのだ。
つい昨日も、四階層のボスを倒したあとで、私たちは五階層の様子をうかがった。
だが予想どおり、シールドは展開できなかった。佐藤さんの力も、私の力も通じない。
その中で、唯一の救いは腕力だけが失われていなかったことだ。
私の怪力は生きていたし、闇の加護を持つ佐藤さんにも力は残っていた。ジョバンニも同様だ。だが、重力操作は封じられていた。
「これって、どういうことだか分かりますか、佐藤さん」
「何となくは予想できる。闇の加護が体を守る力だと仮定するなら、その派生としてシールドというスキルが生まれたんだろう。ジョバンニの重力操作も同じ系統かもしれない。一方で、水の操作は使えなくなっているし、野崎さんの異空間もだめだ。どうやら、体の外に及ぶ力ほど影響を受けているようだな。小宮山や馬淵の知の力は健在だし」
「それじゃ、五階層では、物理現象や空間に干渉する力だけが封じられるってことでしょうか」
「おそらくな。加護そのものが消えたわけじゃない。今のところは、そう考えるのが自然だろう」
佐藤さんは、今日、治癒の力を手に入れたばかりでひどく上機嫌だった。
魔物を倒したあと、アンブロシアの実を武器に吸収させた。
ところが武器の形は何も変わらず、なぜか佐藤さんの手だけがぴかりと光った。
『治癒の力が手に入った!』と大喜びする本人を見ながら、周囲の私たちはそろって首をかしげるしかなかった。
私の百トンハンマーには、まだスフィアを吸収させていない。
先にタワーシールドを成長させてほしいと、野崎に言われたからだ。
闇のシールドが使えない今では、それも当然の判断だと思う。
その一方で、小宮山君の武器は長い杖に変化した。
本人は、それをいたく気に入っていた。
彼いわく、『賢者の杖』なのだそうだ。
杖の先には、五センチほどの金色のスフィアがついている。
「きっとこれは、賢者の石に違いない」
そう断言して、小宮山君は毎日熱心に杖を磨いていた。
一方、愛菜の弓は金色へと変化した。
放った矢がすぐに復活することも分かり、彼女は大喜びしている。
愛菜のデバフは魔物相手に非常に効果が高く、討伐の助けになっていた。
もっとも、その効果は三分しかもたない。効力を保つには、そのたびに矢を放たなければならないのだが。
ジョバンニやコロにも、野崎はスフィアを吸収させてみた。
しかし、彼らに変化は現れなかった。取り込んだはずのスフィアは、たちまち元に戻されてしまう。
「彼らは、この迷宮の生き物だと見なされているからなのだろうか」
確証はないけれど、今のところはその推測がもっとも自然に思えた。
明日からは、馬淵君と護衛たちも同行することになった。
護衛たちはこれまで、ほかの探索者たちの世話に回ってきた。
ようやく自分たちも希望の武器を手にできるとあって、皆うれしそうにしている。
馬淵君も短い間に武器を成長させ、ついに念願のタワーシールドを手に入れた。
それは私の持つ盾によく似た形をしていた。
「これって、ものすごく高かったって野崎さんが言っていたのよ」
「え、売ってるんですかぁ!」
馬淵君はがっくりと肩を落とした。
けれど、ここから先をどう育てていくかは、彼の裁量に委ねられている。
魔物は一日を置かなければ再出現しない。
そのため、向こう五日間は四階層のボスを周回し、装備の強化に専念する方針が決まった。
そして各自の装備が十分に育った時点で、五階層へ進む。
野崎はきっぱりとそう言い切った。




