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岩山の頂上はまるで松明のように燃え上がっている。
「でっかいろうそくみたいだな」
元自衛官の若者が呆然としながら呟く。
彼の言うとおりだった。
四十メートルはあろうかというひょろ長い岩山に、火がボウッと天に向かい立ち上っているのだから。
「神が降臨した……?」
もう一人の隊員が、岩山のすぐ近くを指さして叫んだ。
「見ろ、巨人だ!」
私も、火に照らされた巨人に目を向ける。
その大きな体は、筋骨たくましく盛り上がっている。
しかし、足はねじ曲がっていた。
その手には、巨大な金槌と金床が握られている。
顔はお世辞にもきれいとは言いがたく、目はらんらんと不気味に輝いていた。
顔は灰色がかったひげに覆われ、体には布きれ一枚まとっていない。
「ヘパイストス……」
私が思わずそう叫ぶと、ヘパイストスがぎろりとこちらに目を向けた。
「ひっ!」
次の瞬間、頭の中で、ぎーんぎーんと金属を叩くような神の声が炸裂した。
《其方は、儂のことをヘパイストスと言ったのか?》
確かに、そう聞こえた。
「はいっ! あなたは鍛冶の神、ヘパイストスという名前の神様でしょう?」
《如何にも。儂は、天空を司る者と女神らの女王とのあいだに生まれし、不具の子よ。鍛冶と火を司る者だ。今、儂は……名を与えられたのか?》
その言葉を聞いたとき、私ははっとした。
『そうだった。この世界には人間はいない。神々に名をつけて呼ぶ、人間がいないんだわ』
ヘパイストスは感極まった様子で、何度も自分の名を口ずさんでいる。
《ヘパイストス……ヘパイ……ストス……》
そして、思い出したように大きな掌を開いてこちらにゆっくりと足を引きずりながら歩いてきた。
一歩踏み出すたび、その巨大な身体が少しずつ縮んでいき、私たちのもとへ辿り着いた頃には、背丈は二メートルほどに収まっていた。
彼の手には、お供えした牛のもも肉が一本、高々と掲げられている。
《これは何だ》
「え? お供えしたお肉ですけど。お気に召しませんでしたか?」
《いや、この周りの皮は何だ。食らおうとしたが、歯に挟まって敵わん》
ああ、真空パックのビニールか……。
私は彼から肉を受け取り、ビニールを剥がそうとしながら周りを見回した。
他の隊員たちは一塊になって身を寄せ合い、ぶるぶると震えたまま固まっている。
野崎の方を見ると、顔を真っ青にしながらも、どうにかその場に踏みとどまっていた。
「さ、榊原君」
声が裏返っている。
「野崎隊長、ナイフを貸してください」
「……」
彼は腰に差していたサバイバルナイフを、無言のまま差し出した。
私はそれを受け取り、真空パックのビニールを切り裂いてから、ヘパイストスにもう一度肉を渡した。
しかしヘパイストスは、肉にはほとんど目もくれない。代わりに、私の手から切り取ったビニールをつまみ上げ、まじまじと観察し始めた。
《これは何だ》
「ええと、ビニールというものですね。石油から作った、環境にはあまりよろしくないけれど、とても便利な素材です。それを作り出したのが、私たち人間という種族です。初めまして、ヘパイストス神」
《人間という種族とな。其方らは、大地より湧き出したか。それとも、混沌から新たに生まれしものか?》
私には、とても答えようがなかった。
野崎の方を振り返って首をかしげると、彼は顔を引きつらせながら、ぶんぶんと首を横に振った。
そうなのだ。きちんと答えようとしたら、それこそ生命の誕生から語り始めなければならないし、第一、異世界から来たとは、今のところ明かすべきではない気がする。
もし巨大な神様に「儂を連れて行け」などと告げられたら、いったいどうすればいいのか。
私は一生懸命、頭を巡らせた。その末に出てきた答えが、
「ずっと遠いところから……です」
という、まるで子どものような受け答えだった。
それでも、純真な神様は「ああ、そうであったか」と、あっさり納得してくれた。
私は以前からヘパイストスに興味があった。
色んな逸話で語られるけど、一番驚いたのは、ヘラが産み落とした後、ヘパイストスを見て嫌悪して地上に投げ捨てたという部分だ。
あまりにも酷い所業に飛んでいて気分が悪くなり、ヘラという女神が嫌いになってしまった。
後は美しいアフロディーテが奧さんなんだけど、アレスと奧さんが浮気しまくってヘパイストスを蔑ろにする。
気の毒過ぎて、ずっと気になる存在だったのだ。
それが今、目の前にいる。素っ裸で。
なので私はテーブルクロスを引っ張ってきて彼に渡した。
《これを儂に捧げると?》
「はい、こうやって回して腰で結べば……格好いいと思います」
「榊原君……君は畏れ多くないのか?」
野崎が私に近づいてきてそっと耳元で囁くが、神にはつーかーだった。
《儂が恐ろしいと……恐ろしげな醜い体、そう言っているのか》
「い、いえとんでもない。畏れ多いと言ったのです。ヘパイストスは鍛冶や物作りの人間にとっては尊敬される神ですから」
《其方は「人間」というのか。人間に尊敬されているのか? 儂は》
神は気を良くしたのか、ニコニコして花柄のテーブルクロスを身に纏い、私の目の前からすーっと消えた。
***
その後私たちは車座になって、この世界の神々について語り合った。
「ここには人間がいないから、人と交わって生まれた半神はいないと予測できるな」
「多分そうね。ヘラクレスみたいなのはいそうにないわね。ヘラクレス、結構好きだったんだけど」
「ニンフはいますよね」
若い隊員はブレがない。やはり、綺麗な精霊や女神がお目当てのようだ。
「だが、榊原君。私は嫌な予感がするのだが」
「嫌な予感……ですか?」
「ここの神々は名前がないようだ。一々、『誰それから生まれいでし何々を司る~』などと名乗っているのだぞ。ヘパイストスの喜びようも尋常でなかったしな」
私は少し考えて「まさか……」とその可能性に辿り付いた。
「そうだ、下手をすれば、巨大な神々が、ここに押し寄せてくるかもしれない」
一同はそれを聞き、また体が震えだしてしまったのだった。
私は私で斜め上の心配をしていた。
――名前なんか既存のものがあるんだから平気だけど……テーブルクロスはもう無い。どうしよう……。




