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野崎はその後、開発部のメンバーにも話を通し、佐藤さんは行くことを了承した。
「先輩。良かったですね、望みが叶って。あとのことは任せてください。弁慶さんと二人で、ここを守っていますから」
愛菜は笑顔でそう言ってくれたが、目が潤んでいる。
「異世界に着いたら、向こうに設置した安全対策付きのドアは外そうと思う。時間軸が一致してしまうのは、今は困るのでね。下手をすれば、ここへは数年戻れないかもしれない」
まだ工事には時間がかかる。施設ができあがる前に異界から生物が入ってきてしまえば、対処できない。
そこで時間軸のぶれを利用し、事態を先延ばしにできるようにするのだという。
他にも十人ほど参加者がいるそうだ。地質専門家が一人、技術者が一人、そして新入社員が八人。
「新入社員……ですか?」
「オフレコだが、彼らは元自衛官だ。希望者を募ったら、こうなった」
「ふーん。美しい女神やニンフ狙いでしょうね」
私以外は全員男性だった。その人選を見て、私は不信感を覚えた。
「なぜ女性隊員がいないのでしょう。やはり、希望者がいなかったということでしょうか」
「いや、いたことはいた。だが、きれいすぎた。ギリシャ神話では、色好みの神が多い。危険だろう?」
「……私、大丈夫かしら……」
「君は心配する必要はない。神の美意識からは、かなり外れている」
「……でしょうね」
異次元ドアの前には、大量のレトルトパックが詰まった荷物が山と積まれている。
着替えは少なめ、武器も最小限だ。
「けんかをしに行くわけではないからな。身を守る。それだけを考えて行動してくれ」
野崎は、今回の調査隊の隊長だ。
異世界へ行く前の最終確認をしていた。
元自衛官たちは、二十代の若者ばかりだった。
地質専門家と技術者は、五十は過ぎていそうだ。
私は三十代、野崎も佐藤さんも同じくらいだ。
医師はここには同行していない。それが少し不安だった。
佐藤さんは医師免許を持っているというので、今回、野崎にどうしても同行してほしいと頼まれたのだそうだ。
「佐藤さん、お医者様だったんですね」
「すぐに辞めてしまったけどね。インターンって、結構大変でね。研究のほうが合っているって、鞍替えしたんだ」
この若者たちが無茶をしないように、私たちが気を配ってやらなければならないだろう。
「野崎隊長!」
私は意見を述べるために、しゅたっと手を上げる。これは野崎と前もって打ち合わせていた。異世界の神へどのように接するかを、身をもって隊員たちに示すためでもあった。
「何だ、榊原君」
「異世界に着いたら、いちばん初めに祭壇を作りたいです。最初に捧げものをしておけば、神様も良い気分になってくれそうです」
「それはいい考えだ。ありがとう。さっそく手配をしよう。明日の出発に向け、一同は十分休養を取ってくれたまえ」
「「「「はい」」」」
「あ、あと。この間渡した資料に、もう一度目を通しておいてね。神様のことをよく知れば、不要な諍いを避けられます。神様は強大だけど、話せば分かる相手かもしれないでしょう」
「あの……榊原さん」
「はい?」
「言葉は通じるでしょうか?」
「……」
それは盲点だった。確かに、言葉が通じなければ話し合いなど持てそうにない。どうしようかとおろおろしていると、野崎が口を開いた。
「まあ、日本人なら忖度できるはずだ。神と接触したなら、とりあえず笑って平身低頭。これに尽きる。間違っても、こちらから攻撃してはだめだ」
「はい。心に刻みます!」
いよいよ、異世界への旅立ちの日だ。
緊張感の漂うディメンションリンクのフロアに、調査隊が集合している。
その周囲では、荷物を運び入れる社員たちが数十人、忙しなく動き回っていた。
荷物は多い。予定では、彼方の世界に一か月滞在することになっている。
時間軸がずれていれば、日本ではそのあいだに数年が過ぎてしまうかもしれない。
こっそり隊員たちの顔色をうかがってみるが、誰も青ざめてはいない。
それどころか、目を輝かせている。
このあとどのような神々と遭遇するのか、期待に胸をふくらませているようだった。
赤いドアをくぐり抜け、全員が異世界側へ出ると、ここで待機していた自衛隊員たちが交代で日本へ戻っていく。
去っていく彼らの背中を見送っているうちに、私はだんだん心細くなってきた。
さっきまでここにいて、怖そうな自動小銃を抱えていた彼らは、もう一人も残っていない。
そのあと、ディメンションリンクの社員たちが荷物を抱えて次々とドアを抜けてきたが、
荷物を台地の上に積み上げると、すぐに引き返していった。
やがて、同行してきた技術者が、異次元ドアのフレームを岩肌から外し始める。
日本へ戻るときにはまた使うドアだ。慎重に解体していった。
残った隊員たちは資材の箱を開き、祭壇の組み立てを始めた。
私は、四角いビルのような岩山の上で、ぐるりと周囲を見渡す。
「十階建てのビルの屋上にいるみたいだわ」
細長い台形型の岩山は、頂上だけが平らになっていて、広さは十メートル四方ほどだ。
遠くのほうで、鳥の群れが一斉に飛び立つのが見えた。
鳥は、見たかぎりでは私たちの世界と変わらないようだった。
岩の下方をのぞき込むと、ちらほらと動物が駆けていくのも見える。
「野崎さん。動物の報告が上がっていませんでしたか?」
「上がっていたが、君たちには知らせていなかったな。地球とほとんど同じだという報告だった。まだ、この狭い範囲でしか調査できていないから、他にもいろいろいるはずだが……」
元自衛官の若者たちが、荷物を背中にくくりつけて、岩山からロープを伝い、降りていく。
その姿を見て、私は心から「彼らがいてくれて良かった」と思った。
「若いってすごいわね。あんなに大きな荷物を、軽々と運ぶなんて」
「実際に、軽いんだ。榊原君、ジャンプしてみれば分かる」
そうだった。この世界は、重力が地球よりも軽かったのだ。
私は、その場でちょっと跳び上がってみた。
すると、一メートル近くまで体が浮き上がってしまい、あわてて手足をばたつかせる。
着地の瞬間、思っていたよりゆっくり地面が近づいてきて、変に力が抜けた。
腰が抜けて、そのまま四つんばいになってしまう。
「新しい拠点は下に見える林の中にしようと思う。そこには綺麗な小川がある。水質調査は済ませているから安心して飲むことができる。水道水よりも美味しいし綺麗だというしな」
「微生物は? 検査しても問題なかったと言うことでしょうか」
「ああ、それも地球とほとんど同じだそうだ。未知の微生物は見つからなかった」
考えてみれば、当たり前の話だった。
私は「地球と同じ環境」を想定して、人間だけがいない世界を思い浮かべたのだから。
「私の思い浮かべた、神秘的な地球でしょうか」
「たぶん、そんなふうな世界に、君がリンクしたということなんだろうな」
水素発電機や太陽光発電機を隊員たちが設置し始めている。
どちらがより効率が良いか確かめるためだ。
テントも張られ、拠点らしい形が少しずつ出来上がっていく。
白いテントの列。折り畳み机。発電機。資材の入ったコンテナ。
まるでどこかの山岳地帯でキャンプをしているような光景だった。
違うのは、その頭上に人工衛星がなく、足元にギリシャ神話の神々が住んでいるかもしれないということだけだ。
拠点ができあがっていく様子を岩の上から眺めていると、野崎が「そろそろ祭壇へ供物をお供えするか」と言いだした。
彼が取り出したのは、精肉工場から仕入れた牛の巨大なもも肉だった。
真空パックされた肉が二本、祭壇に載せられ、続いて燭台に三十センチほどの太い和ろうそくを立てて火を点す。
「お線香は……仏教じゃなかったか。要らないわね」
「当たり前だ。何を考えているんだ君は。……だが、ろうそくも少しおかしかったな」
「えっ、ろうそくも?」
「ギリシャ神話に“和ろうそく”は失敗だったな。 本来ならオリーブ油のランプか、松明か……まあ、気は心だ。神には伝わるはずだ」
そう言いながらも、野崎は太い和ろうそくの炎をじっと見つめた。
しばらく待っても、神らしき姿は現れない。
「ニンフやパン神は出現したんですよね。私がいるから現れないのかしら……」
「自衛隊員の話からしても、ニンフが現れたのは二回ほどだそうだ。
めったにお目にかかれる相手じゃない。私が見たのも一度だけだった。しかも遠くからだけだからな。そろそろ、私たちも下へ降りるぞ」
私のテントは一番小さく、その隣には野崎の大きなテントが張られていた。
野崎のテントは寝室のほかに、会議室も兼ねているようだった。
女性が私一人だけなので、彼らはこういう配置にしてくれたらしい。
野崎のテントに入り、今後の調査の日程を決める。
「明日からは東から順に調べていく。まずは地質調査だろうな」
「探すのは金とか?」
「いや、欲しいのはレアメタルのような希少鉱物だ。リチウム、ネオジム、ジスプロシウム……そういう類だな」
そう言うと、彼は荷物のコンテナを開け、ごそごそと手を突っ込んだ。
取り出したのは金属光沢を放つ小さなサンプルケースだった。
中にはタングステン、ニオブ、タンタルなど、地球でも貴重とされる金属が整然と並んでいる。
「これが比較用のサンプルだ。この世界に同じものが存在するか、まずは確認する」
食事は、その日だけ大きなタープテントの下でとった。
目の前では、幅十メートルほどの水深が浅い川がさらさらと流れている。
ほどよい間隔をあけて木々がまばらに茂る林。
しかし、対岸は深い森になっているようだ。
「森の調査もそのうち行うが、暫くは東の、岩がちな地域の探索だな」
拠点とした林は、岩がちな地形と深い森の中間にあたる。
そこは、木の葉越しに光がやわらかく降りそそぎ、落ち着いた空間をつくっていた。
「あと一時間もすれば、日が落ちるな」
「真っ暗になってしまうと、野生の獣が寄ってくる。灯りは絶やさないようにしないとな」
「危険な肉食獣は、ここいらにはいないと聞いていますが」
「見張りは交代でする。今までとは違う。岩の上は安全だったが、ここは水場があるからな……」
銘々、話をしながら、自分の好きなレトルト食品をほおばっていた。
私はパンの缶詰を開けてシチューにつけて食べている。一人で食べる食事は味気なかったと、今はそう感じた。
彼らの声が程よい音楽に聞こえてくるのだ。
まわりに人がいても、気にならなくなっていた自分に驚く。
――愛菜や弁慶たちとしばらく過ごしたからかな……。
いや、高校までは、普通に家族と食事をしていたではないか。友達とも。
変わったのは、大学生のときからだ。
友人に心ない言葉を浴びせられたこともあったが、一番心が疲れてしまったのは、家族をいっぺんに失ったことが原因かもしれない。
上京して一人暮らしをしていたとき、火事で両親と祖母が焼け死んでしまった。
そのとき、私はただ呆然としていた。泣くことはしなかった。
なぜか、自分で自分の悲しみに蓋をしてしまったのだ。
ふと、風に乗って在りし日の父の声が聞こえた気がした。
振り仰いでみると、岩山の頂上がこうこうと輝いていた。
「っ、の、野崎さん。見て!」




