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山を下りて、野崎は「今日はもう十分だ」と言い、異空間へ戻っていった。
私もぐったりしながら、あてがわれた住居で体を休めていた。
異空間には、野崎の住居と、女性用と男性用の住居が一棟ずつ、そして研究施設の建屋が建てられている。
今は女性が私一人なので、私はジョバンニと一緒に、その広々とした家を独り占めしていた。
シャワーを浴び、見飽きたレトルト食品で夕食を済ませて、ソファでくつろいでいたときだった。
ドアのチャイムが鳴り、出てみると、野崎が立っていた。
「疲れているところ悪いが、研究施設に来てくれ。みんなにはすでに集まってもらっている」
すぐ隣の建屋が研究施設なので、移動の手間はない。けれど、野崎の落ち着かない様子が気になった。
研究室に入ると、皆がテーブルを囲んで座っている。
その中央には、直径十センチほどの魔石球が十個ばかり並べられていた。
さまざまな色の魔石球で、色の濃さも一つ一つ違っている。
「こんなに……どうしたんですか?」
思わず駆け寄り、魔石球に手を伸ばしかけて、はっと思いとどまる。
以前、佐藤さんが知らずに魔石を吸収してしまったことを思い出したのだ。
「冒険者のマジックバッグから出てきた」
「あの巣の中にあったリュック。マジックバッグだったんですか!」
「ああ。このほかにも魔石が大量に入っていた。食料らしきものも入っていたが、すべて干からびていた。時間停止機能のないマジックバッグだったのか、それとも長い年月で効力が薄まったのか……たぶん後者だろう」
こんなに魔石球を集めたということは、相当な腕前の冒険者だったに違いない。
魔石球を持つ魔物は手強い。巨大な蛇も、大鷲も強敵だったのだから。
それとも、大鷲がたまたま荷物持ちだけをさらったのだろうか。
「日記も入っていた。この鞄の持ち主は、冒険者になりたてで、パーティーに加わったばかりの初心者だったらしい。要するに下っ端だ。荷物持ちを任されていたようだ」
日記には、できたばかりの迷宮へ足を踏み入れられる興奮が書き連ねられていた。
経験豊富なパーティーに加われた喜びと、この先の自分の活躍への期待も綴られている。
迷宮が「できたて」だったというのなら、これは三十年近く前の話になる。
この迷宮は、すでに三十年以上が経っていると言われているのだ。
彼らのパーティーは八階層まで到達し、一度探索を切り上げて帰還することにした。
一階層ずつ順に転移して地上へ戻る途中で、三階層に入ったところで日記の記述は途絶えている。
大鷲に連れ去られたときには、彼はもう事切れていたのかもしれない。
彼は、目の前に積み上がっていく大量の魔石球を見ながら、この先は自分にも回してもらえるのではないかと、ささやかな期待を抱いていたようだ。
経験豊富な冒険者が、すでに身につけている〈技能〉はこの迷宮では使えないと、愚痴をこぼしていたことも書かれていた。
「冒険者が、どうやってナメクジのモンスターハウスを通り抜けたかも書いてあったぞ。
転移の魔石を使ったようだ」
私は、野崎が見せてくれた転移盤を見つめた。
魔法陣が描かれた、直径二十センチほどの薄い円板だ。
中央が浅くへこんでいて、そこに黒い魔石をはめ込む仕組みになっているらしい。
冒険者のパーティーは十人だった。
佐藤さんの鑑定によれば、この転移盤で一度に転移できる人数の上限も十人。だからこそ、編成も十人なのだろう。
おそらく、魔石から力を吸い上げられる人数の限界も同じく十人なのだ。
この「十人」という制約は、迷宮を設計した魔導師があらかじめ定めた人数なのかもしれない。
野崎は、皆を集めて何をするつもりなのか。これを見せるだけだとは考えにくい。
私たちが野崎に注目していると、彼が静かに口を開いた。
「私は、この魔石をすべて吸収したいと思っている。そして佐藤に魔石球の鑑定をしてもらい、スキルを身につける」
そう言うと、彼は魔石球のそばに、大量の魔石をざらざらと積み上げた。
小宮山君と馬淵君が、目を輝かせて勢いよく立ち上がる。
「これを全部ですか。すごいです。私は賛成です」
「ここにある魔石をすべて吸収したら、レベルがすごいことになりそうです」
慎重派の佐藤さんはしばらく考え込んでいたが、やがて「賛成です」と言った。
私はどうしようかと悩んでいた。
「これ以上力をつけてどうするんですか?」
私がついこぼすと、野崎はくわっと目を見開き、すごい剣幕で怒鳴った。
「弁慶のことを取り戻すには、まず我々が力をつける必要がある。それが分からないのか」
「この日記を見ても、残された素材を見ても、冒険者と我々との力の差は明らかだ。人数の上でも、我々は敵わないだろう。相手は十人編成だそうだからな」
そこでようやく、私は理解したのだった。
***
「どうせ、この世界を去れば力は元通りになるんだ。もっと楽しみましょうよ、榊原さん」
腰が引けている私に、馬淵君が耳元でささやく。
確かに、その通りだった。
けれど……もし私たちの予想が外れていたらと考えると、やはり恐ろしい。
弁慶の気持ちが、今さらながら身にしみてきたのだ。
そんな私の気持ちなどお構いなしに、野崎は次々と魔石を潰していく。
そのそばで佐藤さんが皆の数値を確認し、ときおり「レベルが上がりました」とだけ報告していた。
体には、これといった変化を感じない。
自分の状態は、佐藤さんの言葉でようやく分かるくらいだった。
「これで最後だ」
そう言って、野崎が最後の魔石を潰す。
「レベル十二です」
佐藤さんが、いつも通りの調子で淡々と告げた。
「冒険者が残した魔石は強い魔物だったんでしょうね。今までとは数値の上昇が全く違います」
佐藤さんは、魔石球の鑑定をしながら感想を述べている。
「上層階の魔物は、下層階とは違うのは当たり前だ。それより、分かったか?」
「はい。赤い魔石球は精神耐性となっていますが、他にも火魔法が使えるそうです。黄色は風の魔法。青は水……? 緑は――空間操作。すごいな……」
「……なるほど。赤属性には精神耐性が付いているんですね。火魔法は精神の揺らぎで暴走しやすいので、その制御機構として精神耐性が組み込まれているのかもしれません」
紫は身体強化というスキルだった。この中には黒もあったが、「闇魔法」と鑑定された。銀や金色の魔石は、ここにはなかった。
そもそも、初めから存在していないのかもしれない。
だけど金があるとしたら、「治癒」とかだろうか?
日記には「すでに持っている技能は吸収できない」と書かれていた。
その確かめとして、佐藤さんが最初に青の魔石球を手に取った。
彼はすでに、薄青の魔石球を吸収している。
だからこそ、今回見つかった濃い青の魔石球が、本当に別の技能として扱われるのかを試そうとしているのだ。
「だめですね。吸収できません」
佐藤さんは、手の中の青い魔石球を見つめて首を振った。
「ここから予想できるのは、鑑定の技能の上位互換が、水魔法なのかもしれないということです」
「鑑定の方が、利用価値が高そうなのに」
私がそうこぼすと、佐藤さんは少しだけ考えてから、静かに続けた。
「モナミ。たぶん、魔導師はこの世界の魔素を変換するために必要な技能を習得する必要があるんだろう。世界の根源元素を操る力。それが一番大切なんだろうね」
では、せっかく倒した魔物から出た魔石球も、使えない技能だったとしたら、彼らはそれをどうするのだろう。
私が一人で思考にふけっていると、隣で野崎が口を開いた。
「使わない魔石球は、どうしているんだ?」
「そりゃあ、売るんでしょうね。魔具とかに利用するんですよ、きっと」
「魔具が高価なのも分かるな……」
虫狩りたちには絶対に届かない階層へ入る冒険者たちは、技能もさることながら、収入も莫大なのだろう。
この国を支えるインフラとなるダンジョンの素材を狩り、そして自らも力をつける。やがては魔導師へと成長することを目指して。
それを私たちは、運のおかげで、横からかすめ取って力をつけた。
なんだか、不正を働いているような気分になった。
だけど、弁慶を取り返さなければならない。
彼らは、弁慶をどうするつもりなのだろう。
弁慶を新たな魔導師として鍛えているのか。
それとも、魔導師として奉り、この国の王として据えるつもりなのか。
佐藤さんは、風の魔法が使えるという黄色い魔石球。
小宮山君は闇の魔石球。
馬淵君は空間魔法が使える、緑の魔石球。
そして野崎は、水魔法が使えるという青の魔石球を選んだ。
さらに三個あった紫の魔石球は、小宮山君と馬淵君、そして野崎がそれぞれ吸収した。
私はどれにしようかと悩んでいると、野崎から赤の魔石球を手渡された。
「君には是非、火力を備えてもらいたい。君の銃の扱いは群を抜いているからな」
そう言って、野崎はにやりと笑った。
――唯一の女性に、それを強要する?
使った魔石球は全部で八個で、残ったのは赤と緑だった。
「どうする。欲しかったら、吸収してもいいぞ」
野崎がそう言うと、皆は顔を見合わせて、もじもじと視線をそらした。
私ははっとして、さっき大鷲から取り出した黄色の魔石球を取り出し、テーブルの上に差し出した。
「三個……。取りあえず、これは私が預かっておく。また手に入ったときに、皆で話し合おう」
今日一日で、私たちは冒険者に匹敵する力を得た。
小宮山君たちは期待に顔を紅潮させ、野崎は不敵な笑みを浮かべている。
三十五歳になろうとしている野崎が、十も年下の若者と並んではしゃいでいるのを見ると、不安になってくる。
「佐藤さん。野崎さんって、あんなでしたっけ? 以前はもっと、冷静沈着不動の野崎って言われていたのに……」
「モナミ。あの姿が、本当の野崎さんなのかもな」
そう言われて、私は首をかしげた。
とにかく、なんだか疲れてしまった。ベッドに入って眠るのもいいけれど、外へ出て歩き、まず気持ちを静めたい。
野崎にことわりを入れて、異空間の外へ出してもらう。
ジョバンニと佐藤さんも一緒についてきた。
この三階層は、時間も地上と同じように流れている。
夕闇迫る山肌が、紫色に霞んでいた。
今日下ってきた山を見上げていると、何かが転げ落ちてきた。
「佐藤さん! 魔物かしら」
「……小さいな。雷鳥か?」
ジョバンニが駆け上がっていき、それをくわえて戻ってきた。
「これ、雷鳥ではなさそうだな。何の魔物だ? まるで生まれたての雛みたいだ」
「っ! 佐藤さん。これ……大鷲の卵……雛じゃないかしら」




