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弁慶が異次元ドアを抜けると、目の前に黒い穴があった。
「これは?」
「榊原さんが言うには、階層ゲートではないかと」
小宮山がそう答えながら、黒い穴へサッと近づいていく。そして、何のためらいもなく腕を突っ込んだ。
「おい、よせ!」
護衛の中で最年少の沢村が叫んだときには、もう遅かった。小宮山の体は黒い穴へするりと吸い込まれ、その姿は跡形もなく消えた。
「なっ……!」
沢村が慌てて駆け寄ろうとする。
その直後、黒い穴から小宮山がひょいと飛び出してきた。
沢村はどさりとその場にしゃがみ込み、胸を撫で下ろす。
そして次の瞬間、今度は怒りがこみ上げてくる。
――一般人はこれだから困る。
チームの和を乱す勝手な行動は、時として仲間全員の死を招く。
ましてや、ここは何が起こるか分からない未知のダンジョンなのだ。
「お前! 勝手な行動はやめろ! 万が一のことがあったらどうするんだ!」
だが、そんな沢村の怒りなどどこ吹く風で、小宮山はへらへらと笑っている。
「大丈夫ですって。それよりここ、下へ行く階層ゲートですよ。たぶん」
「なぜ分かる?」
「だって、向こうの魔物、こっちより強そうでしたもん」
「……魔物と遭遇したのか?」
「はい。大きな牛もどきがいたんです。こっち見たんで、慌てて逃げ戻ってきちゃいました」
弁慶はしばらく考えてから、コロに頼み込んだ。
「コロ、一体でいいから倒してきてくれない? あたいたちはここで待っているから」
《グオォン!》
コロは威勢よく吠えるや否や、黒い階層ゲートへ飛び込み、その姿を消した。
そして、十分ほど経ったころ――。
黒い穴から、ぬっと三つの頭が現れた。
その異様な光景に、沢村は思わず一歩うしろへ飛び退いた。
無事に戻ってきたコロの口には、キラリと紫色に光るものと、大きな角らしきものが咥えられている。
「これって……もなっちが持ち帰った魔石ね。それと――」
「ドロップ品っすね」
小宮山が、当然のように言った。
紫色の魔石は四センチほどの大きさがあり、重さを測ってみると、榊原が持ち帰ったものの倍ほどもあった。
「やっぱり、強い魔物ほど魔石も大きくなるのかな」
「その可能性はありますね。あと、もう一つ確認しましょう」
弁慶と小宮山は、そこにいる全員を『鑑定もどき』で確認してみた。
だが――誰の数値にも変化はない。
「やはり、階層を跨ぐと、同じパーティーでも経験値は入らないことが分かりました」
これで、この黒い穴が別の階層へ通じている可能性は、さらに高くなった。
問題は、この先へ進むか。それとも、この階層にある別のゲートを探すかだ。
しばらく話し合った末、結論が出た。
「あたいたちの目的は、ダンジョンを攻略することじゃないわ。異世界へ抜けることだから、まずは他のゲートを探しましょう。それに、途中で簡単に倒せる魔物と遭遇したら、また検証を進められるわ」
その後、ドローンを駆使して分かれ道を探索していくと、新たに黒いゲートが一つ見つかった。
弁慶たちは、そこへ向かって確かめてみることにした。
まずは、コロに向こう側の様子を見てきてもらう。
《グオォン!》
コロは黒いゲートへ飛び込んだ。だが、今度はすぐに戻ってきた。
その口には、五〇センチほどのナメクジのような魔物が一匹、咥えられている。
床に置かれたそれを、全員で覗き込んだ。
ナメクジもどきはコロの猛毒の唾液が回ったのか、どんどん弱っていく。そして黒いタールのような物が床に残った。
しばらく見ているとそれは、床に染み込んで消えていった。
見たところ、かなり弱そうだった。
「これって魔石かしら」
床にはキラリと光る、芥子粒ほどの石が残っている。
それもしばらくすると、床に吸い取られるようにして消えてしまったのだった。
「きっと、ここが出口に近い階層です」
チェンがそう結論づけ、アーサーと弁慶を見る。
二人は顔を見合わせて頷いた。
「では、ここを抜けてみよう」
全員が順番に黒いゲートをくぐった。
出た先は、直径十メートルほどのドーム型の空間だった。
壁も床も石で覆われている。
そして、入ってきた場所のちょうど反対側にも、黒いゲートが浮かんでいた。
――ゲートが二つ? 向こうに見えているのが本来の出口なのか。それとも階層ゲートなのか……。
弁慶が考え込んでいると、小宮山が叫ぶ。
「おっ、当たりじゃないっすか? あそこを抜ければ――」
チェンが、周りを見まわして、かすれる声で、
「も、もしかして……ここって……無限に魔物が湧き出すという、モンスターハウス……」
「馬鹿な、ゲームじゃあるまいし――」
誰かが、天井を見上げた。全員の視線がつられて上へ向く。
天井一面を、小さなナメクジがびっしりと覆っていた。
一匹や二匹ではない。
隙間が見えないほど、無数に張り付いている。
ボトッ。
一匹が落ちた。
続いて、
ボトッ。ボト、ボトッ。
「まずい!」
次の瞬間――。
ボトボトボトボトッ……!
天井から、無数のナメクジが一斉に降りかかってきた。
護衛たちが慌ててライフルを構える。
だが、誰も撃てない。
対象が小さすぎるうえに、数が多すぎる。
しかも、ここは直径十メートルほどしかない石造りの閉鎖空間だ。下手に発砲すれば、跳弾で味方を傷つける危険がある。
「後退だ! 戻るぞ!」
全員が一斉に振り返った。
そして――動きを止めた。
「……ない」
そこにあるはずの黒いゲートが、消えていた。
「みんな、あたいのところに集まって!」
弁慶が叫ぶ。
彼は、以前榊原から聞いた話を思い出していた。
野崎CEOがジョバンニと一緒に水中へ飛び込み、無事に戻ってきたときのことだ。
彼女は、闇の加護について一つの仮説を立てていた。
――闇の加護は、もしかすると『フィジカルフィールド』のようなものではないか。身に纏った闇が、外部からの物理的な干渉を遮断する。だから水中でも呼吸ができ、強い衝撃にも耐えられるのではないか、と。
「闇の加護があるあたいにも、きっとできるはず」
弁慶は、自分のもとへ駆け寄ってくる仲間たちを見た。
意識を一点に絞り込む。――みんなを大きな膜で覆う。それだけを強く願う。
次の瞬間、膜がベールのように広がり、一行をすっぽりと包み込んだ。
さらに弁慶は「巻き戻し!」と叫んでいる。
小宮山は、その外側で起きている異変を凝視する。
――時間の巻き戻し、初めてこの目で見られる!
ボトボトと降っていたナメクジが、一瞬宙に浮かんでピタリと止まった。次の瞬間、くるくると巻き戻されるように天井へと吸い上げられていく。
闇の中を、無数の光の糸が逆流する。
このドームの中の「時間」そのものが、元へと巻き戻されているのだと、小宮山は直感した。
――この膜の中は……時間の逆行から切り離されたのか!
やがて、あたりはしんと静まりかえった。見上げると天井は、再びナメクジでびっしりと覆われ、ピクリとも動かない。
ドームの向こうには、初めと同じように黒い穴が浮かんでいた。
振り向くと、先ほどまであった後ろの穴は跡形もなく消えている。
――一体どういう仕組みだ。
小宮山は首をひねった。
――前にやったゲームとも、少し違う。
弁慶は全員の顔を見回し、小さく頷いた。
「先を目指すしかなさそうね」
***
弁慶たちが異次元ドアから出てきた。
「どうだった? 検証できた?」
私は駆け寄ると、真っ先に弁慶と小宮山君の顔を見た。
ところが二人とも、なぜか呆然とした顔をしている。
そして、弁慶がぽつりと言った。
「……異世界へ抜けることが……たぶんできると思う」
「えーーっ! もう出口を見つけたの? 凄いわ!」
愛菜も驚いて、辺りを見回す。
「……あれ? コロは?」
いつもなら真っ先に戻ってくるはずのコロが、どこにもいない。
愛菜の顔から、さっと血の気が引いた。
「コロはどうしたの? まさか……魔物に……」
「違う、違う!」
弁慶が慌てて否定した。
「悪戯されないように異次元ドアの管理をしてもらっているの。向こう側に設置してきたから」
「悪戯って、魔物に?」
「異世界人によ」
「……」
チームが全員集まったところで、弁慶が向こうで見た異世界人について話し始めた。
「最後のゲートを抜けたら、一本道だったの。かなり広い通路で、どこまでも続いていたわ」
壁からは、先ほど見たナメクジのほかにも、ゲジゲジに似た虫や、カマドウマのように飛び跳ねる魔物が、ときおり姿を現したという。
それらを倒しながら先へ進んでいくと、やがて前方から人の声が聞こえてきた。
「人がいたの?」
「いたわ。五人くらいの集団だった。九〇センチくらいのカマドウマみたいな魔物と戦っていたのよ」
弁慶たちはすぐに壁際へ身を寄せ、全員を闇のベールで覆って、気づかれないように様子を窺ったという。
彼らが話している言葉は、まったく理解できなかった。
だが、姿はどう見ても人間だった。
粗い生地で作られた服を着て、その上から簡素な胸当てを身につけている。一人は木製の盾を持ち、ほかの者たちは七〇センチほどの剣を手にして魔物と戦っていたそうだ。
「装備だけ見たら、中世の兵士か冒険者みたいだったわ」
「冒険者……本当に?」
「そうとしか見えなかったのよ」
五人は魔物を倒したあと、しばらくすると来た道を戻っていった。
「ただね、戦い方が妙だったのよ。最初は何をしているのか分からなかったわ」
弁慶は、そのときの様子を思い出すように続けた。
「魔物を倒すとき、みんな頭ばかり狙っていたの。それで、一匹の首を斬り落としたときに分かったわ」
「何が?」
「頭を落とされた魔物は、黒い靄になって消えなかったのよ。体がそのまま残ったの」
「……なるほど」
「たぶん彼らは、魔物の体を素材として持ち帰りたかったんだと思う」
身長は一七〇センチ前後。黒髪で、顔立ちは彫りが深く、西洋人に近い容姿をしていたという。
「そこにいた人たちも、あたいらと同じ人間だったの。それなのにダンジョンがあって、魔物と剣で戦っているのよ」
弁慶は困惑したように首を傾げた。
「まるで、本当にゲームの世界よね。これって」
野崎が、うんうんと首を縦に振りながら口を開く。
「この異次元ドアをリンクしたのは、某国の一般人だったらしい。研究室にたまたま見学に来ていた学生だそうだ。こっそり悪戯してリンクしたのだろうが、不幸なことに一発で引き当ててしまった。そして――」
「ダンジョンに入って魔物に食われた。そうですね」
「ああ、そういうことだろう」
小宮山君が合点がいったという顔をして話を広げる。
「だからダンジョンに人間がいる世界を想像して、たまたま似た世界にリンクできた、ということか。相当ゲームに嵌まっていたか、アニメ好きかですね」
「妄想と嗜好が、現実の座標を決めてしまう……そのせいで死んでしまうなんて、笑えないジョークね」
私がしんみりと締めくくると、野崎からすかさず突っ込まれた。
「君がそれを言うのか?」
私はきょとんとして、チームのみんなに目を向けると、佐藤さんも弁慶も、愛菜までがすっと目を反らした。
――なんで?
「では、チームを二つに分けたいと思う」
おかしな雰囲気を断ち切るように、野崎が話の舵を切った。
私たちのうち、「知」の加護を持っている小宮山君と弁慶が、まず異世界へ向かう。
現地の人たちと友好関係を築きながら、言葉や文化、この世界の事情を調べる役目だ。
三人の護衛たちも、弁慶たちに同行することになった。
一方、残されたメンバーは、引き続きダンジョンの調査を行う。
異世界側の事情がある程度分かり、安全な拠点を確保できたあとで、改めて護衛たちがダンジョン探索に加わることも許可された。
そこで、愛菜が「はい」と手を挙げた。
「……なんだ。何か他にあったか?」
「いえ、私も異世界組に入れてほしくって。ダンジョンの攻略は興味ないんで……すみません……」
「だったら、私も。私も異世界へ行きたいです」
私がそう言うと、野崎は例のごとく首を横に振った。
「君は問題を起こすに決まっている。それにコロも、ジョバンニもいなくなるのは困るんだ」
「……はーい。分かりました……」




