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野崎たちがすぐに戻ってきた。
ここを出発してから一日と経っていなかった。
「行かなかったのかしら。それとも時間軸が逆転した?」
開発部の皆は情報を知りたくてうずうずしている。
そこで野崎が徐に話し出した言葉が、
「榊原君。君は何を思ってあの異世界とリンクしたんだ」
というものだった。
「なにをって。古代の地球のような“神秘的”な未開の地でしょうか?」
そう答えた瞬間、 野崎の顔がみるみる赤くなっていった。
口の端がピクピクと震えている。
私は思わず首をすくめた。
しかし野崎は怒鳴らず、 代わりに一枚の紙を差し出してきた。
そこに描かれていたのは――
上半身は人。 山羊の角。 下半身は山羊。 そして、小脇には葦を束ねた笛。
「CEOって意外とロマンチストだったんですね」
口をついて出た言葉に、 野崎は眉を跳ね上げた。
「馬鹿もん。これは私が描いたものではない。 自衛官が描いたものだ」
「へえ、うまいものです」
「これは異世界の生物だ。“見たまま”を描いてもらった。 この意味は分かるか?」
野崎の声は低く、 いつもの冷静さとは違っていた。
開発部の空気が一気に張りつめる。
「……! もしかして……」
「そうだ、君は神話の世界。もしくは神話に似た異世界にリンクしたんだ」
「す……」
「……?」
「すごいです! 是非私にも行かせて下さい。以前から憧れだったんです。ギリシャ神話の神々。絶対に見て見たいです!」
開発部のメンバーは一斉に俯き、笑いを堪えている。
その様子を眺める野崎の顔はますます赤くなっていった。
「暫くは異世界へはいけなくなった。政府高官と話合い、どうするか決めなければならないからだ。自衛官たちは交代で行って貰うことになったが」
「じゃあ、良いじゃないですか。自衛官が一緒ならいけそうです」
「いや、自衛官は異次元ドアの警護のためにそこに行く。万が一あそこの生物が、ドアを使うかもしれないし、壊すかもしれないからな。政府の方針が決まるまでは誰も通れない」
「そんなぁ……」
政府が出した結論がもし、撤退だと出たとしたのならどうなるんだろう。
そのあと、私が一人でこっそり行ってもいいのだろうか。
落ち込んでいる私を余所に、弁慶や佐藤さんが質問し始めた。
「時間軸は、どうでしたか」
「ああ、それは完璧に同調しているようだ。他国へこの知識は高く売れるな」
そう言って野崎は、今までの不機嫌が嘘のようにニコニコし始めたのだった。
それから一ヶ月経っても政府の方針は決まらなかった。
その内に自衛官たちから奇妙な噂が出始めた。
「あそこには美しい女性がいて、誘ってくる」
という神話めいた話だった。
自衛官たちはこぞって異世界へ行きたがっているという。
だが不穏なことに、自衛官によって証言が異なっている。ごく少数ではあるが、「美少年が誘ってくる」という者もいたことだった。
私はその証言を聞き、「さてはエロスか!」とピンと来たのだった。
またいつもの癖で、みんなのいる前で口が滑る。
「自衛官にも少年好きがいるってことね」
野崎からは白い目で見られるし、弁慶からは、「腐女子?」と言われるしで、口は災いの元だと、肩身が狭くなってしまった。
***
首相官邸の奥まった会議室には、関係閣僚と限られた政府高官だけが集められ、異世界側との交渉に踏み出すか、完全撤退するかが極秘裏に協議されていた。
野崎も、その場にいた。
自分と自衛官が提出した報告書の内容が、この場の空気を決めるのだ。
円形のテーブルをおよそ十人の閣僚と高官が取り囲み、野崎たちは一歩下がった位置から、彼らが報告書に目を通し終えるのを、息をひそめて見守っていた。
「野崎さん。前回との違いは何かね」
「はい。自衛官からの証言が増えております。いずれも、危険性は低いだろうという見解です」
「……ふむ。読むかぎりでは友好的にも見える。しかし、向こうから“誘い”があったとはね。この世界というのは、いったいどういう場所なのだか。私には、ずいぶんと砕けた種族に思えるが」
「……この異世界とリンクした研究者は、ギリシャ神話に登場する神々のような種族が住んでいるのではないかと予測しております」
野崎の説明に、一部の高官は鼻先で笑い、ほかの者たちはあきれたような表情を見せた。
この国初めての女性首相が、そこで初めて口を開いた。
苦虫を噛みつぶしたような表情のまま、男ばかりの高官たちを見回し、固い声で話し始める。
「問題は、この異世界の住民と交渉が成り立つかどうかです。性に奔放かどうかは、この際どうでもよろしいでしょう」
「首相の仰るとおりだ。鉱物資源の有無すら、まだ把握できていない。まずは交渉に踏み出すのかどうか、それを決めなければ先へ進めん。下世話な話題は避けるべきだ」
そのとき、一人の自衛官が許可を得て口を開いた。
「報告書には記載しておりませんが、昨日戻った隊員の中から、巨大な種族を目撃したという証言が上がっております」
室内がざわめいた。
「巨大とは、どれほどの大きさだ。象ほどもあるのか」
「……山ほどだと、証言しております」
「その自衛官によれば、離れた地点からの確認ではありましたが、一つ目の巨人だったと申しておりました。三十メートル以上はあるはずだと」
一同は騒然となった。
「そのような生き物がいるのでは、危険ではないかね。やはり、ここへの進出は難しい。諦めるべきだ」
「そうだ。国民に万一のことがあれば、いったい誰が責任を取る」
高官たちは口々に持論をぶつけ合い、議論は収拾がつかなくなった。
やがて時間切れとなり、その日の会議はお開きとなる。結論は、またしても先送りにされた。
官邸を出ようとしたところで、野崎は秘書に呼び止められた。円卓会議の場でも見かけた、大臣付きの秘書だった。
「大臣が、折り入ってお話があるそうです」
「承知しました」
通された部屋では、その大臣と首相が待っていた。
「わざわざ呼び出してしまって、ごめんなさいね、野崎さん」
「いえ、構いません。何かご質問でも?」
「実は、自衛隊は動かせないのだけれど。あなたの企業で内密に調査できないかと思ってね。どうかしら?」
首相は、このままでは結論が出ないまま時間だけが過ぎてしまうことを危惧していた。
判断材料があまりに乏しい。それでも、国としては表立って動くことができない。
自衛隊は、あくまでも監視の任にとどめるしかないと考えているのだった。
「もし成果が出た暁には、あなたの企業を国を挙げて全面的にバックアップすると約束するわ。どうかしら?」
「……しかし」
「そうね、あなたの心配は分かっているわ。社員の命が懸かっているのですもの。その点についても、こちらで責任を持って保証します。
このままでは、世界に先駆けるはずのこの機会を逃してしまう恐れがある。そうは思わない?」
野崎は即答は避けたかったが、首相の次の言葉で決心がついた。
「異世界は、もはや夢物語ではないわ。他の国々も、いずれ同じように、それぞれが発見した異世界へ進出していくでしょう。
アメリカでは、すでに行動を起こしている。まだ誰も戻ってきてはいないようだけれど、プロジェクトそのものは動き出してしまった。
けれど、過去の侵略の歴史を繰り返してはならないと、私は考えています。
世界に向けて手本を示すこと。そこにこそ、日本が最初に接触する意味がある。そう確信しているの」
「承知しました。社を挙げて、この事業に取り組みます」




