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異世界にいた時間は、ほんの一時間足らずだった。
それなのに、野崎CEOのフロアに戻ったのは次の日の夕方だった。
「時間の経過が、あまりにもずれすぎている。これは少し考える必要がありそうだ」
野崎はその後、方々へ出向き、私たちとは別行動を取っている。
弁慶や佐藤さんは、まだローラー作戦を続けている。
「他にも見つかるはずだ」
というのだ。
確かに、私が簡単にリンクしてしまったくらいだ。少なくとも十数の異世界があると考えるのは、必然だろう。
「問題は時間軸のズレよ。野崎CEOは、もう少しズレの少ない異世界をご所望らしいわ」
弁慶たちが、いまだに地道な試行錯誤をしているのには、そういう事情があったようだった。
「そうなの……時間のズレは、どれくらいが許容範囲なのかしら」
「精々が二倍ってとこかしらね。異世界へ行ったはいいが、戻ってきたら浦島太郎になっているなんて、笑えない冗談だもの」
アメリカがいまだに公表していないのはそこに問題点がありそうだ。
物理学者は、戻るまで十年の月日が経過していた。そんなに長く異世界で暮らしていたとは考えられないほど見た目に変化がなかったという。
もしもその物理学者が、異世界からすぐに戻っていたとしたらどうだろうか。
その仮説が当っていたのなら、大問題ではないか。私がみつけた異世界よりも時間軸がずれている可能性が濃い。
仮に、その物理学者が一日で戻ったとしても単純計算で三千六百五十倍の時間のズレがある事になる。
一週間も滞在したら、戻ってきたときには時代が変わっているかもしれない。
下手をすれば、国そのものが消えている可能性だってある。
そんな世界では、資源の採掘など到底望めない。
「宇宙へ出ていくよりは、可能性が見込めるでしょうがね」
佐藤さんが、冷静に分析している。火星へ行くのにも、時間と金が莫大にかかる。危険なことは言わずもがなだ。
「重力にとらわれないっていうのは、大きいわね。もなっち、何か思いつかない?」
「重力か……そういえば、この前行った場所、体が妙に軽く感じた。参考になるかしら」
「時間との関連はないけど、採掘するには良い条件なんだけどな。時間のズレを入力し直して、今、他の異世界を念じてみているけど、うまくリンクしないのよ」
弁慶が疲れ切って、目頭を揉んでいる。
「念じる」という方法は私が教えた。初期の異次元ドアに安全装置の座標を設置したもので試しているが、なかなかヒットしないようだった。
「私が念じたのは……古代地球のような世界だった。人間が現れるずっと前の世界」
「……そんなことを考えていたの、もなっち」
「だって、文明社会に私たちが侵略するというのは、いやだったんだもの」
「それはずいぶんとアバウトな指示だな……そんなので引き当てたのか?」
佐藤さんは、ずいぶん細かく定義していたらしい。
だったら、条件をもっと簡単にすればヒットするかもしれない。
そのことを伝えると、ふうっとため息をついて、「やり直しか……」と言った。
私たちが使っているのは初期モデルだ。そこに、私は違和感を覚えた。
確かに、行きたいところへリンクするには初期モデルは最高のツールだ。
だが、もしかしたら、それが原因で時間軸が異世界側に引っ張られているのではないだろうか。
「ねえ、今思いついたんだけど。もう一度、私が見つけた異世界へ行ってみない?」
「なんでよ。あそこは時間が違いすぎて、候補から外れたばかりでしょう」
「私たちが開発した安全バージョン。あれを設置してきたいの。
こちらと異世界のあいだに通路を作れば、時間軸が同じにならないかしら」
「そ、そうか! 試してみる価値はある」
佐藤さんが、椅子から半分立ち上がった。疲れ切っていた目に、わずかに光が戻る。
弁慶も、腕を組み直した。
「……確かに。初期モデルは“意識座標”を拾うけれど、安全バージョンは“規定座標”しか通さない。もし両方を同じ場所に設置できれば……座標が安定して、時間軸も固定される可能性があるかもね」
野崎が戻ってきたので、このことを相談する。
彼は目をぱちくりさせて、「そんな簡単なことで解決できるのか?」と、疑わしそうだ。
だけど、検証することは一番大切なことだ。
もしだめでも、せいぜい一か月以内には確証が出るのだから。
「榊原君はここに残りなさい。後のことは、私とその専門が行くことになる」
「その専門って?」
開発部を差し置いて、私たち以外の専門家ということだろうか。早く結果を知りたかった私は、少しむっとしてしまった。
「そう膨れるな。自衛官を数名連れて行くことにした。どんな危険があるか分からない異世界だ」
言われてみればそうだった。前回はそれとは知らずに異世界へ踏み込んでしまったのを、すっかり失念していた。
今、CEOの個人スペースもペットたちが占領している。一度島に戻って、家がどうなったかを見てこなければだめなことを思い出す。
「野崎さん。では、私、島へ戻ってもいいでしょうか?」
「いや、今君の家の修理中だ。戻っても住める状態ではないだろう」
「ええーっ! いつの間に……」
「気にするな。修繕費は君の成功報酬から出ているから」
「ぐっ……」
成功報酬を勝手に使われてしまったようだ。意外に野崎は渋ちんだった。
「CEOって……もっとこう、 ドーンと会社の経費で払ってくれるものじゃないんですか」
つい口に出してしまった。
野崎は肩をすくめる。
「会社の経費は会社の金だ。 君の家の修繕は“君個人の資産”だ。 個人資産の修繕に会社の金を使うわけにはいかないだろう」
「うっ……正論……」
正論すぎて反論できない。 でも、なんとなく悔しい。
愛菜が私に請求書と修繕箇所の詳細を見せてきた。
「意外とお安くしてもらっちゃってます。系列会社でやったようですね。先輩、諦めてください」
「修理には二週間ほどかかるそうだ。それまでここにいてくれ。ちょうどいいだろう。 また勝手に何か思いつかれて行動を起こされないとも限らない。メンバーに見張っていてもらえるしな」
「……はい。余計なことは今後いたしません」
***
野崎は、自衛官五人と異次元ドアの技術者二人を連れて、異次元ドアの前に立った。
この異次元ドアは、ディメンションリンク事業部が開発したものだった。
「安心安全設計」をうたった、世界に誇るシステムだ。
これを思いついた開発者たちには、頭が下がる思いだった。
このたび、彼らがどのような思いで研究を完成させたかを、身をもって思い知らされたのである。
その中でも、特異な榊原は、会社にとっては宝とも言える存在だろう。
「何か、褒美を用意しなければな……」
技術者が、榊原から受け取った座標を打ち込んでいる。
この座標さえあれば、そこへ行ける。
そして異世界にも同じ異次元ドアを設置すれば、時間の流れも抑制されるかもしれないのだ。
自衛官たちは、じっとドアを見つめている。
彼らは防弾チョッキを着込み、緑の迷彩服に身を包み、肩には自動小銃をかけ、背中には重そうなリュックを背負っていた。
これから行く未知の世界には、どのような獣が生息しているか不明だ。
あの岩の周りの探索をしてこなければならないし、もし時間のズレがないとなれば、本格的に拠点を作ることになる。その下見も兼ねているのだから。
今は極秘の任務に自衛官たちは就いているが、これが本格的に始動すれば、世界に衝撃が走るだろう。
そして、この日本製の異次元ドアの価値が、また跳ね上がることだろう。
我が社は、さらに発展を遂げることになる。
ディメンションリンク事業部を独立させた当初は、本社に影響が及ばないようにするためだった。
だが、今後はまた吸収されるかもしれない。
若くしてCEOに就任できたのは、親族だったからだ。
だが、これからは堂々とCEOと名乗れそうだと、野崎は顔が次第にほころんでいくのを止められなかった。
出口がぼんやりと見えてきた。前回とは異次元ドアが違ったせいか、はっきりとは見えていなかった。
「全員、注意を怠らないでくれ。様子が前回とは違う。出口を抜ける前に足元を確認して欲しい」
「了解しました。先陣を任されている隊員はパラシュートも装備しておりますので、ご安心ください」
先陣がゆっくりと出口から出ていく。しばらくすると「ok」のサイン。
「よし。一名ずつ出口から出ろ」
「はいっ」
自衛官たちが出て行ったあとに野崎が出て、その後を技術者たちがついて行った。
以前出た場所からは少しだけずれていた。
やはり座標が曖昧になっていた。辛うじて岩の端に出たのだ。
早速技術者たちは異次元ドアを設置し始めた。分解して運んで来たドアを組み立て帰るためのディメンションリンク事業部の座標を入力しているようだ。
彼らはこれが終わればすぐに戻ってもらう予定だ。
危険はなるべく回避したい。
自衛官の一人が岩山から降りるためにロープを準備し始める。
「ここの重力は地球とは違っている。たぶん落下速度は遅いと思われる」
「試しに飛び降りてみましょうか」
などと、恐ろしいことを言い始めた。肉体派集団とは――呆れてしまう。
「普通に降りれば良いだろう。万が一怪我でもしたらどうする」
「……へへ、冗談ですって」
何とまあ、こんな場所で冗談を言えるとは。
彼らは精鋭部隊だという。海外派遣も経験したベテランたちだそうだ。
「ですが隊長。意外にいけそうです。本当に体が軽く感じられます」
「中間地点くらいなら飛び降りても問題なさそうだな」
一人ずつロープを伝って降りていく。
野崎はこの岩の上で待機だった。
上から自衛官たちを見ていると、彼らは、残り数メートルのところでぴょんと飛び降りていた。
自衛官の四人が降り、一名が岩山に残っている。
技術者たちはすぐに帰す。これ以上ここにいる必要はないだろう。
顔色が悪かった彼らはほっとして戻っていった。
一般人と自衛官たちの何と違うことか。災害派遣や戦地へまで赴く彼らは、やはり精神的に鍛えられているのだろう。
自衛官たちは散開して回りを見廻り始めた。
自動小銃を小脇に抱え、用心深く見廻っている。
ふと、彼らの先に動くものの気配がある。この高みから見ているので気が付いた。
同時に残った自衛官も気が付いたようだ。無線で「四時の方向――」
などと報告している。
彼は双眼鏡で確認し始めた。その直後
「異形の生物発見! 撤退せよ」
そう叫んでいる。
一体どのような生物なのか目をこらしてもよく見えない。
「一体どんな生物だ」
「半身が人型で、山羊のような角、下半身は山羊でした。もう走って逃げてしまったようです」
「まるで、パン神のようだな……」
自衛隊員は身軽にロープも使わずに岩山まで登ってきた。まるで猿のようだ。
「見たか」
「俺には見えなかった、お前は?」
「背中だけ……尻尾が生えていたけど、二足歩行だった」
「ここには人間の様な生き物がいる。そういうことですか?」
「榊原君の予想が外れたようだ。悪いが、なるべく現地の人と衝突は避けたいのだが」
しかし……万が一襲ってきたらどうするか。皆で真剣に話し合うこととなった。
詳しく見ていたのは双眼鏡を覗いていた隊員だけだ。彼に見たままを絵に描いて貰う。
意外に絵がうまいことにも驚いたが、彼が描いた絵は、正しく、以前挿絵に載っていたパン神そのものだった。小脇には葦を束ねたような、パーンの笛まで抱えていたのだから。
――榊原君。君は一体どんな世界を思い浮かべたんだ。




