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異次元ドアには、座標を十個まで登録できるプリセットボタンが付いている。
でも、私が使うドアには、職場と動物病院とスーパーの三カ所しか登録されていなかった。
残りの七つは、空欄のままになっている。
私は、その中の一つに、意識を向けた。
このドアは、初期モデルとほとんど同じだ。
開発部で売り出したモデルには安全装置が付いている。『規定の座標』をセットしない限り、ドアは開かない。
それまでは、異次元ドアは、危険な物として市場には出回らなかった。
子どもや、酩酊状態の人間が地球の裏側や海や、高高度からの落下など事故が相次いだためだ。
世界中に売れたそのモデルこそが、異次元ドアエンタープライズ社ディメンショリンク事業部開発部の成果だった。
このお陰で、島を手に入れることができたのだ。
でも、これは……私が被検者になるために残しておいた初期モデルだ。
安全装置として座標指定は付いているが、明確な座標がなくても、意識した場所へつながる可能性がある。
私は吸い寄せられるように、ドアの前に立った。
私の足元にはジョバンニがすり寄ってくる。
「大丈夫。ちょっとだけ試すだけだから」
心配そうに見上げてくるジョバンニの頭をさすりながら、さっき考えた仮想異世界を思い浮かべて空欄のボタンに手を置き、念じた。
インジケーターの数値が猛烈な勢いで書き換わり始めた。
数分後、インジケーターが止まり、ある座標を叩き出す。
私は、じっくりと見つめ紙に書き込み、そして異次元ドアにも『LINK』と登録した。
ドアを開けて異世界へ飛び出す勇気は私にはなかった。
外は、豪雨になった。風も出てきたようだ。台風が近づいていた。
窓や玄関を確認して、地下室にペットたちと入る。
一瞬、職場へ逃げ込もうかとも考えたけど、私にはジョバンニたちがいる。野崎のあの洗練されたフロアには連れていけそうにない。
地下室には簡易トイレや三日分の食糧が備蓄されている。
――水も十分保管されているから、この嵐が過ぎるまでここにいれば大丈夫。
ペットたちは不安げに寄り添って、縮こまっていた。
家は強風に煽られてミシミシと不気味な音を立てている。
『屋根が吹き飛ばされそう……』
電気は、自家発電だから大丈夫、と考えた直後、灯りが消えた。
「やだ、雷が落ちたのかしら」
携帯を出して灯りを確保しようとしたが、携帯を風呂場に置いたままだったことを思い出す。
ジョバンニたちを風呂に入れたときに、洗面所に置いたままだった。
「携帯取ってくるから、ここで待っていてね」
短い階段を駆け上がり小さな扉を開けると、そこに愛菜が立っていた。
「先輩!良かった無事だったんですね」
「来てみたら、誰も居なくて心配したぞ、榊原君。ここにいては危険だ。会社へ行くぞ」
――嘘でしょう。野崎CEOまで来ている。
「あ、あの……ペットたちがいるので、それでは迷惑が――」
「何を馬鹿なことを。ペットたちも一緒に連れていけばいい。急がないとこのままでは家が吹き飛ばされるか、土砂崩れに巻き込まれてしまうぞ!」
「先輩。急いで。異次元ドアのセットはして置きますから」
どくどくと、私の耳の奥で心臓の音がし始めた。
急がないと危険だ――ジョバンニたちを安全な場所へ連れ出さないと。
再び地下へ降りて、リードをペットたちにつけ、愛猫たちはケージに入れる。
ケージは三つもある。私一人で持てそうになく、途方に暮れてしまった。
「貸しなさい」
振り向くと、野崎CEOがいた。
彼は猫たちのケージをまとめて抱え上げる。
ジョバンニたちのリードを引きながら私もその後を付いていった。
愛菜は大きなリュックを抱えている。
「すみません。勝手にタンスの中を引っかき回しました。当面の着替え、必要でしょう」
「あ、ありがとう。愛菜……」
愛菜と野崎は、異次元ドアを次々とくぐっていく。
ジョバンニたちは嫌がったが、構わずリードを引いて、私もドアをくぐった。
いつもの不快感が押し寄せてくるが、今は気にしていられない。
なぜか、いつもよりも遠くに出口が浮かんでいた。
そこを目指して、ゆっくりと進んでいく。
まず愛菜、次に野崎。そして私とジョバンニたちが、その後に続いたのだった。
ドアを抜けると愛菜が叫んでいる。
「ちょっとーっ! どこなのよここは」
周りを見まわすと、岩の上に私たちはいた。
後ろには、真っ赤な異次元ドアがぽつんと立っている。
初期モデルの特徴だった。規定の座標に設置される以前の異次元ドアはこういう仕様だ。
「愛菜。職場のプリセットボタン、押したんでしょ」
「押したわよ。「ディメンションリンク」でしょう」
「まさか、「LINK」を押したの……」
「そうに決まっているわ。一体どうなっているのよ。異次元ドア……嵐で壊れちゃったのかしら」
――ではここは異世界だ。私の想像した仮想異世界。やっぱりちゃんと存在した。本当に「LINK」していた。
「榊原君。ここはどこかね。君が登録していた別の島か?」
「……まだ確かなことは言えませんが、たぶん……異世界かも……」
「っ!」
野崎は驚き、あたりを歩き回る。
土を手に取ってみたり、空気を吸い込んだりしている。そして振り返り私を睨んだ。
「自分一人で試していた。そういうことか?」
「いえ、何となく想像してみただけです。私の異次元ドアは初期モデルなので、できそうかなって、つい試してしまいました」
「先輩! またいつもの「つい」ですか。どうすんですか。私たち、帰れないんですか」
「帰れるはずよ。ほら、異次元ドアはここにあるもの。「職場」のプリセットボタンを押せば……たぶん」
でも危なかった。四十メートルほどの岩の天辺に出てこられて、本当に幸運だった。もし座標が数メートルずれていたのならと思うと、体の底から悪寒が走った。
そのことは、今は言わないでおこう。いつもの考えなしの一言は控える。
愛菜に言ったら、絶対にけちょんけちょんに叱られそうだった。
「空気が読めない」と……。
「帰れるかどうか試してみないとな。座標は固定しているようだし、準備をしてもう一度ここに来ることになる。しかし……榊原君のスタンドプレーには驚かされたよ」
「す、すみませんでした。でも次にここに出るのは少し危険かも……もう少し安全な場所を探しませんか?」
「いや。まずは帰って報告だ。弁慶君たちが無意味なローラー作戦をしている。可哀想だからな」
ジョバンニが、しきりに尻尾を振っている。
「どうしたの?」
ジョバンニは、何もない空間をじっと見つめていた。
犬や猫は、たまにこういう行動を取るものだ。気にする必要はないだろう。
そのときはそう軽く考えて、私は異次元ドアを再びくぐったのだった。




