58
その日の朝、私は真っ赤な異次元ドアの前に立っていた。
隣には、まるで戦闘員のような格好をした、勇ましい愛菜がいる。
服装は私も同じなのだけど、私の場合はまったく似合っていない。
コロは小さくなって愛菜に寄り添い、私の後ろでは、ジョバンニが「はっ、はっ」と荒い息を吐きながら、おとなしくお座りしている。
さらにその後ろには、三人の護衛が慣れた様子で控えていた。
目の前の異次元ドアには、『リンク』と表示されたプリセットボタンがある。
プリセットボタンは全部で三つ。
『リンク1』『リンク2』、そして『リンク3』だ。
リンク1はアルケディアの本拠点。
リンク2は、プロメテウスの宮殿に設置された異次元ドアにつながっている。
そしてリンク3――。
この先には、あの魔物がうごめくダンジョンがあるのだ。
私は呼吸を整えて――思い切って、そのボタンを押した。『ポチッ』
ドアの先には、いつものような気味の悪い空間が広がっている。
足を踏み入れれば、空間が歪むあの違和感が押し寄せてきた。
だけど、今回はすぐ先に明るい出口が見えている。目測では三メートル先、といったところだ。
一歩、二歩と進むと、すぐに出口――入り口に差し掛かってしまった。
「ちょっとここで待機していてください」
三人の護衛たちは私たちの横をすり抜け、さっさと出口の向こうへ出ていってしまった。
この異次元ドアは、認証された者でなければ通過できない。
私たちディメンションリンク事業部の開発部が、安全性を考えて改良を重ねてきたものだ。
だから、某国で起きたように、魔物がこちら側へ入り込んでくるような事態にはならないはずだ。
――でも、万が一ということもある。
その点については、プロメテウスが、
《何かあれば我が対処しよう》
と請け負ってくれている。
神様が太鼓判を押してくれているのだ。 これ以上の安全保障は、たぶんない。
ドアから護衛が顔を出し、『OK』のサインを送ってよこした。
初めにコロが、その後に私と愛菜、しんがりをジョバンニという順でドアを抜けた。
ここは、昨日までに攻略を終えた場所だそうだ。
全員が通り抜けると、異次元ドアをいったん小さく縮めて取り外し、コロの背中にくくりつける。
なぜそんなことをするのかというと、攻略するたびに階層を移動しながら、異世界へ通じる道を探していくためだ。
だけど、そもそも上へ進めば出口があるのか、それとも下へ進んだ先に出口があるのか、それすら分かっていない。
まるで雲をつかむような探索なのだ。
もちろんドローンも飛ばしている。
けれど、調査を始めてまだ数日しか経っていない今では、ダンジョンの全容など到底つかめていなかった。
ただ、時間差については数日前に判明している。
アルケディアとこのダンジョンでは、時間の流れにほとんど差がない。
アルケディア:ダンジョン ≒ 1:1.02。
ロンゴンほど極端な時間差ではない。
これなら長期間探索しても、帰ってきたら何年も経っていた――なんてことにはならないだろう。
今はアルケディアと日本が異次元ドアでつながっているため、時間の流れも安定している。
だけど、もしアルケディアの本拠点に設置された異次元ドアのリンクが外れれば、おそらく日本との時間差は、本来の二十四倍に戻ってしまう。
そうなったら、このダンジョンも……。
事故か何かでリンクが外れないことを、祈るばかりだ。
前方から、戦闘の音が聞こえ始めた。
護衛たちが、魔物をこちらへ引きつけているのだろう。
激しい銃声が、だんだんこちらへ近づいてくる。
私は汗びっしょりになった掌をズボンでこすり、教えられた手順どおりに片膝をついて、銃を構えた。
まだ、安全装置はかけたままだ。
『OK』の合図が出るまでは、絶対に外してはいけない。
間違って護衛の人たちを撃ってしまうかもしれないからだ。
銃を握る手が小刻みに震えだしたが、気力で堪える。
額には、じっとりと汗がにじんでいた。
前方から、二人の護衛がこちらへ走ってきた。
残る一人は魔物に銃口を向けたまま、後ろ向きにこちらへ下がってくる。
ときおり足を止めては発砲し、再び距離を取っていた。
「撃ち方始め!」
その声に、びくりと肩が跳ねる。
だけど、すぐに教えられた手順を思い出した。
「安全装置、解除!」
自分に言い聞かせるように大声で叫び、安全装置を外す。
そして――引き金を引いた。
頭の中では、護衛のアーサー・川村に何度も教えられた言葉が繰り返されていた。
――照準を目標に合わせろ。
――スコープの中心に標的を捉えたら、迷うな。
――あとは撃て。
私はスコープの中の標的だけを見つめ、ひたすら引き金を引いた。
スコープから覗くと、弾がある一点を避けて当たる。
それが気持ち悪くてひたすら撃ち込むが、その一点にはなかなか当たらない。
弾はその一点の周りをくるりとえぐるように撃ち込まれていくようだった。
そして――気がつくと、耳の奥がキーンとして、何も聞こえなくなっていた。
肩に誰かの手が置かれている。
銃も私の手から取り上げられていた。どうやらずっと前から弾切れだったようだ。
それさえも知らずに引き金を引き続けていたのだ、私は……。
「もう十分だ。よく頑張ったな」
かすかに、そんな声が聞こえた気がする。
力が入りすぎて凝り固まった首を、ぎこちなく横へ向けた。
半べそをかいた愛菜が、私をじっと見つめている。
ジョバンニは私の顔をペロリとなめて、ようやく我に返った。
「モナミ、緊張しすぎ。でも、かっこよかったよ」
「先輩、わ、私何も出来なかった。こ、こわくって」
ギクシャクと身体を伸ばし、凝り固まった首をぐるりと回す。
目の前には、もう魔物の姿はなかった。
だけど、その消えたあたりで何かがキラリと光った。
「あれ、何かしら」
私が指さすと、みんなが一斉にそちらを見る。
ジョバンニが真っ先に駆けていき、光っていたものをくわえて戻ってきた。
そして、私の掌にぽとりと落とす。
「なに、これ……」
三センチほどの、先の尖った紫色の結晶だった。
水晶にも見えるけれど、手に取ってみても何なのかさっぱり分からない。
「これって、魔物が落としたのかしら」
愛菜が横から覗き込んだ。
「ほら、よく本に出てくる魔石とか、そんなものじゃない?」
「……魔石?」
私は掌の上で、紫色に輝く小さな結晶をまじまじと見つめた。
それから私たちはダンジョンの通路を進み、何度か戦闘を繰り返した。
今度は愛菜も、ちゃんと魔物に向かって発砲できたようだ。
分かれ道を確認しながら、行きつ戻りつを繰り返す。
そしてしばらく進んだところで、奇妙なものを見つけた。
通路の突き当たりに、ぽっかりと黒い円が浮かんでいる。
向こう側は何も見えない。
光さえ吸い込んでいるような、真っ黒な円だった。
「これ……階層をまたぐための入り口?」
「たぶんそうよ。でも、これをくぐってから異次元ドアを設置しても大丈夫なの? 向こうに何があるか分からないじゃない。危険だわ」
私は少し考えてから言った。
「今日は、ここに異次元ドアを設置して戻ったほうがいいかも……」
すると、みんなが素直にうなずいた。
「そうしましょう」
「ああ。そのほうが安全だ」
三人の護衛まで、誰一人反対しない。
――あれ?
なぜか護衛の三人までもが、私の言うことに素直に従ってくれたのだった。
***
その夜、アーサーたち三人の護衛は、今日ダンジョンで目にしたものについて、こっそりと話し込んでいた。
あの榊原という女性を、三人とも少し気味が悪いと感じていたのだ。
プレハブの拠点から少し離れた場所。
巨大な大理石の柱に寄りかかりながら、三人はネクターを飲んでいる。
「おかしくないか? 榊原さんの倒した魔物」
「ああ、たしかに。おかしな消え方をしたな。泥のように崩れ落ちた。他の魔物は黒いもやになって消えたのに」
「それに、彼女の周りを覆っていた薄い膜。あれが『闇の加護』ってやつなんだろうか?」
「どうだろうな……」
アーサー・川村は、確かに彼女に射撃を指導した。
物覚えは良かった。
ただ、いつもビクビクしていて、まるで小動物のような女性だと感じていたのだ。
実戦になれば怖気づいて、一発も撃てないかもしれない。
そう思っていた。
ところが、あれほど震えていたにもかかわらず、『撃ち方始め』の合図が出た途端、彼女は躊躇なく魔物に向かって引き金を引いた。
おそらく、恐怖が限界を振り切ってしまったのだろう。
自分の若い頃の経験からいっても、初めての実戦では皆、多かれ少なかれ平常心を失うものだ。
だが――。
彼女は一点に向かい集中して撃てていた。まるで、そこが弱点だと初めから知っているかのようだった。
初心者ができる技とは考えられない。
それに彼女が倒した魔物だけが魔石を落としたのはどういうわけだ?
ロンゴンの龍から授けられたという『加護』。
あれはいったい、どのような力なのだろう。
アーサー自身、これまで他国の紛争地へ赴き、目を背けたくなるような残酷な光景にも何度となく遭遇してきた。
だが、あのようなものは一度も見たことがなかった。
「なあ。この仕事が終わったら、俺は引退しようと思ってる」
川村が、手にしたネクターを揺らしながら呟いた。
「ディメンションリンクからは十分な報酬ももらったしな。そろそろ、ゆっくり暮らしたいんだ」
「俺は、もう少しこの会社にいたいな」
チェンと沢村がしばらく考え込んでから答える。
「もしかしたら、新しい世界で俺の力を思いっきり試せるかもしれない」
「……おいらは、どうしようかなあ」
三者三様の思いを胸に抱きながら、アルケディアの夜は更けていった。




