57 第3部 プロローグ
野崎を囲む三人の護衛が、同時に周囲へ視線を走らせた。空気が変わったのだと、素人でも分かる。
「野崎CEO、しばらくここで待機です」
「……ん」
先頭を行くのはアーサー・川村。野崎のすぐ横には沢村康夫、背後にはチェン・ジウがついている。
三人とも、アメリカの民間特殊部隊上がりの傭兵だ。書類の上の国籍はばらばらだが、見た目は全員、日系といって差し支えない顔立ちをしていた。
川村が素早く腰を落とし、銃口を奥へ向ける。
そして片手で合図を送った。
「手榴弾を投げる。下がれ!」
野崎は、さらに石造りの通路の後方へと退いた。
――ボンッ!
腹の底に響くような爆発音が轟いた。
白い煙が通路いっぱいに広がり、その中から、ぬうっと巨大な影が姿を現す。
あのナメクジだ。
体の一部が大きく吹き飛んでいる。
だが、傷口は見る間に盛り上がり、再生し始めていた。
「撃て!」
三人が一斉に銃火を浴びせる。
激しい銃声が石の回廊に反響した。
無数の弾丸を受け、巨大ナメクジの体は次々と飛び散っていく。
やがて動きを止めたその体は、黒い靄となって跡形もなく消えた。
三人はそれぞれ、アサルトライフルやセミオートショットガンを装備している。
野崎も、FN SCAR-Hを肩から提げていた。
しかし、多少の射撃訓練を受けた程度の彼が、こんな実戦でまともに使えるはずもない。
銃声と爆発が響く中、野崎にできるのは、ただ身を低くしてその場にうずくまることだけだった。
だが、チェンから容赦のない声が飛ぶ。
「CEOも撃ってください。そうしないと検査できないじゃないですか」
「わ、分かった……」
「さあ、次が来ますよ!」
野崎はおそるおそる立ち上がった。
肩から提げていた銃を構える。
だが、銃口が小刻みに揺れて、なかなか狙いが定まらない。
「撃って!」
「わ、分かっている!」
野崎は震える手で、引き金を引いた。
***
野崎たちが異次元ドアを抜け拠点に戻ってきた。
「どうでしたか? 魔物を攻略しました?」
小宮山君が駆け寄って野崎に期待の目を向ける。
「ああ、何とかな……」
野崎の後ろでは苦笑する護衛の姿が見えたけど、とにかく弾を撃ち込んだことは本当なのだろう。
私は早速検査しましょうと野崎たちを検査室に促す。
ここはアルケディアの、カウカソス山にあるプロメテウスの住居だ。
「カウカソス山」というのは、私が勝手につけた名前だった。
この荒涼とした岩だらけの土地には、黒海を思わせる大きな湖が広がり、その向こうには峻険な山々がそびえている。
そして空には、ロック鳥と見まごうばかりの巨大な大鷲が飛んでいるのだ。
ギリシャ神話では、プロメテウスはカウカソス山に縛りつけられ、毎日、大鷲に肝臓をついばまれるという責め苦を受けたとされている。
あまりにも、この場所とよく似ている。
だから私は、勝手にそう名づけて呼んでいる。
もっとも、ここのプロメテウスが、神話で語られるような酷い仕打ちを受けることはないはずだけど。
銃器類は、ちゃんと許可を取って持ち込んだ。
日本では決して持ち歩いてはいけない代物だが、ここアルケディアには、そもそもそんな法律はない。
それでも勝手に持ち込むわけにはいかないので、まずはこの地に住むプロメテウスに許可を取った。
すると、なぜかヘパイストスやキュクロプスたちまで現れて、銃器を興味深そうに眺め始めたのだ。
どうやら彼らにとっても、火薬の力で金属の弾丸を撃ち出す武器は珍しかったらしい。
お互いに撃ち合って、威力を確かめ始める有り様だった。
人類の銃器は神々には効果がないのか、キュクロプスは撃たれた場所をポリポリとかきながら、《こそばゆいのう》などと呟いていた。
ヘパイストスからは《これを一挺くれぬか》と言われたので、進呈した。
そのうち、神様仕様の武器が出来上がるかもしれない。
その後、某国とのあいだで話し合いが行われ、銃器の提供を含めた取引が成立した。
日本政府も、「アルケディア内でのみ携帯し、日本には絶対に持ち帰らない」という条件つきで、渋々ながら認めたのだった。
野崎は今、小宮山君と弁慶、それに馬淵君によって検査されていた。
「総合力がプラス〇・〇二……上がっています!」
「内訳は……主に体力の数値が上がっていますね。攻略前より、わずかですが確実に向上しています」
小宮山君は表示された数値を何度も確認している。
「もなっち、次は貴方が行く番ね」
そうなのだ。
小宮山君の発案で、各自の能力をダンジョン攻略によって意図的に上げられるか、試してみようということになったのだ。
「そんなゲームみたいなことが、あるとは思えん」
と、野崎は以前は懐疑的だった。
そもそも、魔物を倒したからといって人間の能力が上がるなど、どう考えても理屈に合わないと、彼は思っていたようだった。
だけど、今回の検査結果を見るかぎり、どうやら本当に効果があったらしい。
佐藤さんは、
「龍から与えてもらえなかった『力』が、ここで手に入れられるかもしれません。そうなれば、本来の力の本質、いえ、能力の向上が見込めます」
と言った。
弁慶は少し目を伏せながら、何かを考え始めた。そして、
「力がついてしまったら、日本で暮らしづらくなるわよ……」
と口にする。
けれど、これからできるだけ力をつけなければ、新たな異世界の調査はできない。
どのような世界か、皆目予想もつかないのだから。
「弁慶はどうするの? 異世界へは行きたくない?」
「行くわ。決まっているでしょう。あたいは決めたの。日本には帰らないって。だから目一杯強くなってみせるわ」
さっきまでとは打って変わったような、力強い言葉だった。
チームの中で、井ノ瀬博士だけはアルケディアに残ることが決まっていた。
彼女はここで研究を続け、ある程度成果がまとまったところで日本へ戻り、研究結果を整理したいという希望を持っている。
それ以外のメンバーは、野崎も含めて、新たな異世界へ向かうことを決めていた。
でも、野崎さんは本当に大丈夫なのだろうか。会社のトップが、そんなことできるはずがない。
そのことを指摘すると、彼はとんでもないことを話し出した。
「異次元ドアエンタープライズ社は会長に復帰してもらうことで話はついた。ディメンションリンク事業部には、真垣GMがいる。だから私は、自由に動けるようになったんだ」
無駄に爽やかな笑顔で言い切る野崎を、みんなは口をあんぐりと開けて見つめた。
以前から薄々感じていたことだが、私はこのとき確信した。
――この人、ピーターパン症候群だ。
***
次の日、私と愛菜は、三人の護衛と一緒にダンジョンへ入ることになった。
そうだ。愛菜もここに来ているのだ。
ペットたちもみんな連れてきて、今はプロメテウスの壮大な宮殿の一角で暮らしている。
あまりにも巨大なプロメテウスの住居は、まさしく宮殿と呼ぶにふさわしい。
だけど、私たち人間にとっては、どうにも落ち着かなかった。
それでも、天井を見上げれば、その向こうには空が広がっている。
屋根がない開放的な造りなのに、不思議なことに雨が降り込むこともない。
夜になれば、頭上いっぱいに星空が広がる。
私たちは毎晩、神々の宮殿にいながら満天の星を眺めるという、なんとも贅沢な生活を送っていた。
「なんで、雨も風も吹き込んでこないんだろう」
愛菜も不思議がっている。
私が思うに、ここは神の思念によって作り上げられた宮殿なのだろう。
巨大な大理石の柱が立ち並ぶ光景は、どこか古代ギリシャの建築にも似ている。
だけど、人間が造った建物とは根本的に何かが違う。
空は見えるのに、雨も風も入ってこない。
もしかすると、この宮殿そのものが、神々の住まう聖域なのかもしれない。
「でも、なんだか落ち着かないわね……」
そこで野崎さんが宮殿の一角に仕切りを設け、プレハブまで持ち込んで、私たちが生活しやすい空間を作ってくれたのだ。
巨大な大理石の柱が立ち並ぶ神々の宮殿に、ぽつんと建つプレハブ。
……なんとなく聖域を汚しているように感じるのは、私だけだろうか。
機能性だけを追求した無機質な建物は、この荘厳な宮殿の中で、これでもかというほど浮きまくっていた。
食糧や生活に必要と思われるものは、野崎が異空間収納倉庫に大量に入れてあるというが、今は食糧はプロメテウスがどこからか仕入れてきてくれている。
彼が戻ってくるたびに、卓の上には見たことのない果物や、香りの強いパンが山のように積み上がった。
その中には、神々の食べ物といわれるアンブロシアや、美酒ネクターまであった。
「これって食べても大丈夫なの? 死ねない身体になっちゃうかも……」
《不老不死になるかどうかは知らぬが、そのパンはヘスティアが焼いたものだ。この頃は、神々にもなかなか評判でな》
死なない神々の食べ物――。
いや、食べたから死ななくなるのではなく、死なない神々が食べているから、そう言われているだけなのだろう。
そうだ。きっとそうに違いない……。
だけど、チームのみんなは、そんな心配などどこ吹く風で、むさぼるように食べていた。
どうやら、これから始まるダンジョン攻略を前に、藁にもすがる思いらしい。
もし本当に、これを口にすることで少しでも死から遠ざかることができるのなら――。
そんな淡い期待を抱いているようだった。




