56
明日から、第三部に入ります。
「な、何よこれ!]
朝早くから、愛菜の叫び声が階下から聞こえてきた。
眠い目をこすりながら、階段をのそりと降りていく。
そして、そこで目にした光景に、私は眠気が一気に吹き飛んだ。
我が家のリビングで、ありとあらゆるものが宙に浮かんでいた。
テーブルの上にあったコップや皿、クッション、小物――それらが空中でごちゃ混ぜになり、ふわふわと漂っている。
そして、その真ん中をジョバンニが嬉しそうに空中を駆けずり回っていた。
「あ、モナミ! 僕、ちゃんとできたよ! じゅうりょくそうさ」
なぜ!? ジョバンニができてしまったの?
仮説が間違っていたのか―― 白龍の言葉も、すべて間違いだったということ?
黒龍から大きな加護を授っていたっていうことなのだろうか。それとも……。
「じょ、ジョバンニ。ちょっと降りてきて」
「ワン!」
ジョバンニが床に降りた瞬間――ガラガラガッシャーン。
リビングには荷物が散乱して足の踏み場もない。
「先輩! どうするんですか、これ!」
「と、とにかく、ILTへ行かなくっちゃ……」
愛菜に拝み倒し、カオス状態から抜け出した私は、ジョバンニを連れてILTへ駆け込んだ。
「佐藤さん! 大変です」
「どうした?」
そこには野崎もいた。
私は言葉に詰り、言い出せなくなってしまったが、佐藤さんに促されて、今朝の異常事態を報告する。
野崎は、やはり眉間にしわを寄せて私をにらんだ。
「君は、ここでも問題を起こすのか!」
「まあまあ、野崎CEO。で、私たちの理論が間違っているとモナミは考えているんだ、そうかい?」
「ええ。白龍が言ったことまで間違っていたとしたら……初めから全部の理論が覆されることになりませんか?」
佐藤さんと馬淵君が、こそこそと理論の確認をし始めた。
「ジョバンニだけが特別ということか――」
「多分そうかと……」
話を聞いていた野崎は、気味悪そうに私とジョバンニから、じりじりと距離を取る。
小宮山君だけが、ジョバンニに話しかけていた。
「ジョバンニはすごいねぇ。どうやったの?」
「モナミが昨日言ったことをそのままやってみたワン。上も、下も関係なくなる……」
「……ジョバンニ……」
そういえば、ジョバンニは普通の犬ではなかった。 アルケディアの素材で作られた、精霊のようなものとなって生まれ出たのだった。
それを私は失念していた。
ということは――。
「モナミ。馬淵と話して分かったことだが、白龍は間違っていないし、私たちの理論にも、それほど間違いはないだろう」
「はい。今、私も気が付きました。ジョバンニは、初めから『力』があったんです」
「そういうことだと思う。そしてジョバンニは、加護を授かり……そして今、力の使い方を理解してしまった」
野崎は顔を青くして、声をつまらせる。
「……っ! スーパーワンコ……?」
***
とにかく、理論が正しければ、私や佐藤さんの闇の加護は、今まで通りで、心配するほどではないと結論づいた。
ジョバンニは……ジョバンニだから、言い聞かせておけば力を悪い方向へは向けないだろう。たぶん。
「この犬は、アルケディアへ捨ててきたほうが良くないか?」
野崎はこういう酷いことを平気で言うので、この頃私は、彼とは口を利かないことにしている。
私は、面と向かってたてつけない。なので、小宮山君に向かって、独り言を言うように反論してみせるのだ。
「ジョバンニは言うことを聞く相棒よ。ねぇ、ジョバンニは賢くて正義の味方だものね」
「ワン! モナミを助ける、賢い犬だよ」
加護の問題は、ひとまず棚上げになった。
これ以上、今の私たちにできることはなかった。
そして、それは魔法陣についても同じだった。
魔法陣を解明したその日のうちに、佐藤さんは一つの結論を出していた。
「魔法陣の解釈は、これで間違いないはずだ。だが、これは龍の力があってこその封印陣だ。私たちが授かった加護とは違う。宝玉そのものが持つ力がなければ、発動も、構築もできない」
仕組みや意味が分かっても、それを動かすための力がなければ使うことはできない。
結局、私たちは魔法陣の意味を読み解くことはできても、それを運用することまではできなかった。
「まあ、弁慶はあっちで楽しくやっているみたいだし、しばらくはこのまま様子を見るしかなさそうね」
「井ノ瀬博士は、アルケディアの木と話ができそうだと、この間手紙に書いていたよ」
通信器も、異次元ドアも、何も置かれていないプロメテウスの住居。
野崎だけが知っている秘密の場所だ。
野崎は、定期的にこちらに来るエロスから手紙を預かり、必要があればエロスに転移で連れて行ってもらっているようだ。
「私も連れて行ってほしい。弁慶たちと話したい……」
私がこぼすと、愛菜も「私も」と言う。
けれど、その願いは叶わないまま、時間だけが過ぎていき、ロンゴンに観光客を招き入れることになった。
高額な滞在費がかかるという。
三日コース。一週間コース。長期滞在コースに分かれていて、日程が決められているという。
真垣GMは、「予約金だけで今までの投資分が戻ってきた」と喜んでいる。
畑山さんは、観光課の仕事を終えた後、開発部の新しい部長に就任したそうだ。
彼女は、自分の加護も製品化する予定だといって鼻息が荒い。
けれど、ライターと変わらない性能を、どうやって生かして製品化するのか。そして、一体いくらで売るつもりなのか。私には疑問だった。
私たちの能力の開発のために設けられたILTは、今や方向性が曖昧になりつつあった。
製品開発は開発部に丸投げしているし、異次元ドアの開発も同じだ。
各自の能力がこれ以上成長しないと分かった今、
私たちは、これから何を目指して研究していけばいいのか。
進むべき道は、霧の中に隠れてしまったのだった。
そんなある日、真垣GMが大変な知らせを持ってやってきた。
《某国政府は先日、異次元ドアによる異世界とのリンクに成功したと発表しました。しかし接続直後、ドアの向こうから多数の未知の生物が流入。現在、軍が出動し、対応に当たっている模様です――》
私たちは、真垣が見せてくれた画面を見たまま言葉を失った。
異次元ドアから、未知の生物が?
「あり得ないな。一体、どんな管理をしているんだ」
佐藤さんはそう言うけれど、以前、私の島にもエロスが勝手についてきたことがある。
異次元ドアには認証機能があり、本来なら許可された者しか通れない。
けれど、あのときのエロスは姿を消し、私と同化するようにして一緒についてきてしまった。
つまり、認証機能も絶対ではないのだ。
それでも、溢れるほどの生物が渡ってこれるとは考えられなかった。
「異次元ドアの不具合か……異次元ドアエンタープライズ社の製品ではないよな?」
「真垣GM、何か知っていますか?」
「そこがはっきりしない。だが、某国はまっ先にディメンションリンク事業部に連絡してきた。……野崎CEOは、今その対処に追われているようだ。某国から問い合わせが来て、手が離せないそうだ」
「では、我が社の製品だということですか!」
嘘よ……私が開発した異次元ドアのはずがない。
あれは、異世界へのリンクはできないはず。
ディメンションリンク事業部で開発した異次元ドアは、座標を固定して、リンク先を安定させたものだ。
だから、座標が分からなければ絶対にリンクできないのだ。
もし、異世界へリンクしたのなら、初期の異次元ドアを使った可能性がある。
初期型の異次元ドアは、使用者本人の意識に紐づく仕様だった。
行きたい場所を強く思い描き、そこへ意識をリンクさせることさえできれば、簡単に行くことができる。
だけどイメージした場所が安全とは限らないのだ。空中に出現したり、海の上だったり。
意識が曖昧だったりすれば、どこへもリンクできないのだ。
私は立ったまま宙を睨み、仮説を考えていた。
ある研究者が、自分の思い描いた異世界とのリンクに成功したとする。
そして異次元ドアをくぐり抜けた直後、向こうにいた生き物に襲われ、命を落としたとしたら?
リンクを解除する人間はいなくなる。
けれど、異次元ドアは開いたまま、そこに残される。
だとしたら――。
向こうの生き物が、そのドアを通ってこちらへ入ってくることもできるのではないだろうか。
そこまでぼんやりと想像して、私ははっとした。
「大変! 早く、異次元ドアを壊さないと!」
「分かった。すぐに知らせよう」
真垣GMは携帯端末を開き、私たちにも聞こえるようスピーカーモードにして、野崎さんへ連絡を取った。
『分かった。榊原君の助言を某国へ提案しよう』
そう言って、通信は切れた。
***
その後、犠牲を出しながらも、異界から流入した生物は制圧され、事態はひとまず収束した。
私の助言通り、異次元ドアを破壊し、事態の収束を見たのだ。
だが後日、その国から野崎のもとへ、新たな依頼が舞い込んできた。
『異世界の調査をお願いしたい』
その話を聞いたILTのメンバーは憤慨した。
「自分たちでリンクした異世界でしょう? なぜ、その調査を我々が請け負わなければならないんですか?」
野崎は渋い顔をして、こう言った。
「私たちは異世界の専門家だろう、と言われたよ。これまで二カ所の異世界とリンクし、異次元ドアの開発にも携わっているからな。それに――」
野崎はそこで一度、私を見た。
「榊原君の論文を見て、そのまま実行したそうだ。その結果が今回の事故だ。さらに、我々の助言に従って異次元ドアまで破壊した。だから、その責任を取って調査に協力してもらいたい――と」
「そんなぁ……」
「ただし、接続した異世界の座標そのものは記録されているそうだ。異次元ドアさえ用意すれば、再び同じ場所へリンクすることはできる」
私が書いた論文には、こう記していた。
『初期型の異次元ドアに、私が開発した座標特定システムを組み込めば、たとえ未知の異世界と偶発的にリンクしたとしても、その接続先の座標を特定し、記録することができる。座標さえ分かれば、同じ異世界への扉を再び安定して開くことも可能だろう――』
「そんな……私のせいなの?」
私はその場に、力なくへたり込んだ。
そんな私を気にする様子もなく、野崎は話を続ける。
「事情は分かってもらえたと思う。この依頼を、簡単に断るわけにはいかない」
佐藤さんが厳しい表情で詰め寄った。
「ですが、モナミの書いた論文を見て試した国は、そこだけではないはずです。今回これを引き受ければ、前例になってしまいますよ。同じような問題は、今後も起こり得ます」
「そうですよ。いちいち取り合っていたら、きりがありません」
馬淵君も首を振って、佐藤さんに同調した。
そこで野崎はパソコンを立ち上げ、ある映像を皆に見せた。
そこには、三メートルほどもあるナメクジに似た生物が映し出されていた。
周囲では軍人とおぼしき人々が、奇怪な生物に向かって銃を撃ち込んでいる。
ナメクジは百発もの銃弾を浴びても、まだ動いていた。
だが、次第に動きは緩慢になり、やがて完全に動かなくなった。
驚いたのは、その後だった。
動かなくなったナメクジは、しばらくすると黒い靄となり、跡形もなく消えてしまった。
私たちはパソコンの周りに集まり、食い入るように映像を見つめていた。
馬淵君は、真っ青になって、
「こんな化物がいる異世界なんて、とても無理です」
私も同意する。
「そうですよ。そんな異世界の危険生物に、どうやって対抗できます?」
「榊原君なら勝てるさ。怪力の持ち主だし、第一スーパーワンコがついている」
野崎は冗談で言っているのだ、そうに決まっている。
「……あり得ないわ」
異世界の生物。今までは幻獣がそれに当たるけど、プロメテウスが名前をつけたお陰で、危険ではなくなっている。
まったく未知の生物なんて考えただけで恐ろしい。
野崎はさらに別の映像へ切り替え、私たちに見せた。
そこに映し出されたのは、石造りの回廊だった。
数人の兵士が警戒しながら、その奥へと進んでいる。
兵士たちの後方、少し高い位置から撮影されているところを見ると、たぶんドローンの映像だろう。
回廊は幅も高さも五メートルほどありそうで、薄暗い奥へどこまでも続いている。
映像の右端の壁の一部が黒く揺らめくのが見えた。
それに注目していると――
そこから、先ほど見た巨大なナメクジが、ぬるりと姿を現した。
「ああーっ!?」「何だこれは……壁から湧き出たぞ!」
誰ともなく、驚きの声が上がる。
しばらく進むと、また一匹。
さらに奥でも、何もなかったはずの壁から新たな一匹が湧き出してくる。
「こ、これって……ダンジョン!」
小宮山君が叫んだ。
「ダンジョンのある異世界にリンクしたってことですか。凄いです!」
野崎は口を曲げ、肩をすくめた。
「ダンジョンというものは、一般常識なのか……」
ぼそりと呟いてから、話を続ける。
「某国は、このダンジョンを抜けた先に、別の世界があるのではないかと見込んでいる。そこで、私たちに調査にしてもらいたいそうだ」
「今後、同じような理由で他国から依頼があれば、私は受けようと思う。ただし、我々にリンク先の座標を開示することが条件だ。この制約があれば、むやみに依頼を寄こすこともないだろう」
「確かにそうですね。国にとっては、未知の資源が眠っているかもしれない重要な座標ですから」
佐藤さんの同意を得て、野崎はようやく肩の力を抜いた。
「それに――私たちは世界で初めて異次元への安定したリンクを実現し、その存在を世に知らしめたチームだ」
そう言って、私を見る。
私は首をすくめた。
私が不用意に発表した論文が、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
それでも、私の論文がきっかけになったことは間違いない。
会社にも、チームのみんなにも迷惑をかけてしまった。
「榊原君。確かに君は不用意で、考えなしだった」
うっ……。
「だが、理由はそれだけではない」
野崎は、みんなを見回した。
「私たちは、この世界にはない力を授かった」
「異世界では、言語も習慣も何もかも違う。何が起こるか分からない。だから、すでに二つの異世界を経験している私たちが、調査を請け負うのは理にかなっていると思う」
「どうだろう、みんな。君たちが授かった力を、今度は実際に役立ててみないか?」
それから野崎は、「知」の力は未知の言語を解析するうえで、大いに役立つはずだと言う。
ジョバンニの力。
私や佐藤さんが授かった闇の力。
野崎自身が持つ、金龍と銀龍の力。
野崎の心構えと今後のILTのあり方を示されて、小宮山君や佐藤さんまで、考え込むようになってしまった。
第二部 完




