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弁慶がアルケディアへ移り住む決意を固めたと聞き、ILTのメンバーは騒然となった。
「なぜですか、弁慶さん!」
「弁慶先輩が行ってしまったら、私たちはどうすればいいんですか!」
若い二人に詰め寄られ、弁慶は困ったように頭をかいた。
「そんな大げさな話じゃないわよ。いつでも戻ってこられるし、連絡だって取れるでしょう?」
「でも……」
「あたいね、向こうでゆっくり研究してみたいの。まだ他の異世界にリンク出来るかもしれないし……もしかしたら、そこにこの加護を外してくれる神様がいるかもしれないでしょう?」
その一言には、弁慶の切実な思いが滲んでいた。
弁慶はこのままでは、落ち着いて研究できないと言う。
そこまで言われてしまえば、誰も引き留めることはできなかった。
野崎はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて皆を見渡し、静かに口を開く。
「アルケディアに、ILTの支部を設立しようと思う」
その言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰めた。
「弁慶と一緒に働きたい者がいれば、支店勤務という形で向こうへ行ってもらうつもりだ。希望者はいるか?」
私はすかさず手を上げる。
「い、行きます。私行きたいです!」
「……榊原君はだめだ」
「そんなぁ……なぜですか!」
「君は神と問題を起こすのが目に見えている。これ以上の厄介ごとは困る」
「ぐ……」
何も言えなかった。
確かに今まで私が引き起こした問題が、ちょっとだけあった気がする。
私がうじうじと肩を落としていると、井ノ瀬博士がすっと手を挙げた。
「野崎CEO。私を支部勤務にしてください。アルケディアの植物が、私の木の操作の力にどこまで応えてくれるのか、とても興味があります」
「分かった。井ノ瀬博士にはアルケディア支部へ行ってもらおう」
こうして、私が落ち込んでいる間に、井ノ瀬博士の支部勤務はあっさり決まってしまった。
支部は、アルケディアにある既存の施設とは別の場所へ建設するという。
まずは、プロメテウスに紹介された候補地を下見することになった。
野崎は、私の懇願をすげなく却下すると、井ノ瀬博士と弁慶を連れてさっさと出発してしまった。
「愛菜、どうして違う場所に支部を造ることにしたのかな?」
「弁慶を匿うつもりなんでしょう。わざわざ誰も知らない場所に支部を造るって、そういうことだと思うよ」
――そうだったのか。
私は野崎の真意も知らず、自分の希望ばかり口にしていたことが急に恥ずかしくなった。
時間を操る加護を授かった弁慶は、世界中から狙われかねない。
だから野崎は、人目につかない場所へ新たな支部を造ろうとしているのだ。
たぶん、新しい支部のリンク先は極秘になるだろう。
そうなれば、私が弁慶に会いに行きたくても、簡単には教えてもらえないかもしれない。
残されたチームのメンバーは、再び付与の研究をし始めた。
「モナミ、この椅子に付与を掛けてみてほしい」
「……壊れない椅子? 一体何百年持つのかしらね」
「そうだな、需要はなさそうだ。この布はどうだろう。破れることがない布……」
「縫製に時間が掛かりそう」
佐藤さんは呆れてしまったのか、振り返って、珍しく声を荒げた。
「……分かった。モナミ。君は何が不満なんだ? 一々文句ばかりじゃ、研究にならないだろう?」
「だって、弁慶と、この先何年も会えないかと思うと……寂しいでしょう」
「では、君が加護の解除方法を見つければどうだ?」
「……そんなことできないわ。神様の加護なのよ」
「本当にそうだろうか。白竜は、始祖龍の力は『封印』できたと言っていたはずだ。加護の力をきちんと解明すれば、どうにかなるかもしれない」
そうだわ。どうして今まで、そのことを考えつかなかったのだろう。
龍が言ったことだからと、私はどこかで鵜呑みにしていた。けれど、力そのものは同じではないだろうか。授けられたのか、勝手に引き出したのかという違いはあっても、使われている「加護」の正体は、一つのはずだ。
「封印……あの魔法陣の文様……」
何度も封印陣を見てきたから、模様は頭に刻み込まれている。
複雑な図形ではあるけれど、思い出しながら書き記していけば、きっと力の仕組みが解明できる。
その日から私は、ジョバンニにも手伝ってもらい、魔法陣を思い出せる限り復元していった。
「中心に祠があった。祠の下にも魔法陣があったはず……でも見ていなかった」
「祠の下の絵? それなら僕、知ってるよ」
ジョバンニに聞きながら、なんとか封印陣を完成させた。
けれど、この魔法陣そのものには、まだ何の力もない。
龍が持っていた宝玉が、魔法陣に力を与えていたのだから。
それでも、この図形には、何らかの意味が込められているはずだ。
チームのメンバーにも見てもらった。
佐藤さんは図形をじっと見つめ、「うーん」と唸る。
「文字ではないのは確実だ。ロンゴンには文字文化そのものが存在しなかった」
小宮山君は首をかしげた。
「でも、文字がないというのが不思議です。私には、象形文字のようにも見えるんですが……」
馬淵君も図形を眺めながら言う。
「あるいは、絵で何かを伝えようとしているのかもしれません」
三人は、それぞれ思いついたことを口にしながら、魔法陣を見つめ続けていた。
「そういえば、ミルバ族の遺跡……」
私はふと思い出した。
「弁慶が復元した家々の壁には、幾何学模様が描かれていたでしょう。あれにも何か意味があったのかしら」
私の言葉に、佐藤さんははっとしたように顔を上げた。
「その可能性はあるな。ミルバの街を撮影した映像が残っている。もう一度見直してみよう」
私たちは、保存してあったミルバの街の映像を皆で確認することにした。
「この、三角が重なり合う形や、渦巻きの形はどの家にもあるみたいだな」
「あ、ウィキペディアにも載っていますね。イスラーム美術では、円や四角、星形などを無限に反復させた幾何学文様が、宇宙の秩序や統一性を示す表現になっているそうですよ」
馬淵君がパソコンから知識を拾ってくる。
それによると、日本のアイヌにも、同じように模様に魔除けの意味を込める文化があるらしい。
「円や正方形から多角形や星を生み出して、それを終わりなく繰り返すことで、無限とか永遠とか、目に見えない秩序を示すそうです。壁一面を覆う装飾は、単なる飾りというより『この空間全体が神聖である』という宣言に近い。
ここでは、文字のクルアーンと並んで、模様そのものが世界観を語る『もうひとつの書物』のように機能している――と書かれています」
やはり、家の壁にも意味が込められているのではないのか。
私たちは、一つ一つの模様を描き出し、魔法陣の模様と照らし合わせていく。
半分ほど、同じような幾何学模様が見つかった。
「でも、不思議だ。紫龍から授かった知識には、こんなものはなかった」
小宮山君はそう言うけれど、それは紫龍が知らなかったのではなく、教えてもらえなかっただけではないだろうか。
紫龍は、白龍から魔法に関する知識を人間に授けることを禁じられていた。
だとすれば――。
窓枠に描かれた三角形の列は、外から来るものをはじくための『拒絶』の術式だと仮定する。
壁全体を覆っているジグザグや菱形模様は……『信仰』『守り』、それとも『龍』を表しているのだろうか。
柱に描かれた渦巻きは、流れ込んだものを絡め取り、力に変える『循環』の術式だと考えてみる。
こうして家々に残された模様を、魔法陣の図形と一つずつ照らし合わせていけば、その意味が少しずつ掴めてくるかもしれない。
壁に描かれた模様は、過去のミルバ族によるものだ。
その頃のミルバ族の人々は、紫龍から強い加護を授かっていたはずだ。
地球の模様とこれほどまでに同じなのは、幾何学模様そのものが単純だからか。
それとも、幾何学そのものが、異世界の理と通じているからなのか。
だからこそ、世界の創世に関わる龍の理にも使われているのではないのか。
家の壁に書かれた模様は、解読のための手がかりになるはずだ。
「ここに弁慶がいないのが悔やまれるわ。彼ならAIを使いこなして、もっと早く答えにたどり着けたでしょうに」
それでも、やるしかない。
私は一つ一つの模様をAIに読み込ませ、共通する形や配置を照らし合わせながら、少しずつ解読を進めていった。
しばらくして、アルケディアから野崎が戻ってきた。
チームのメンバーは野崎に注目し、彼が話し出すのをじりじりしながら待っていた。
「弁慶は、そのままアルケディアに留まることになった。井ノ瀬博士はこちらに戻ったが、支度が調いしだい、向こうへ行く」
「施設の建物は建てるんですよね。その作業員は信用できるんですか!」
私が強い口調で質問すると、野崎にぎろりと睨まれてしまった。
ヒクッとなり、思わず目を伏せる。
「施設は必要なくなった。必要な機器は……これから私が運ぶ。これなら心配ない。そうだろう?」
「で、でも。それならどこで暮らすんです? まさか、野宿――」
「馬鹿もん! 私がそんな無責任なことをすると思うのか。プロメテウスの住まいに世話になれることになった。良いところだぞ。大きくて荘厳で……少々、大きすぎるかもしれんが」
「プロメテウスの、住まい……」
私はつい、ジャックと豆の木に出てくる巨人の家を思い浮かべてしまった。
やたら広くて立派だけれど、シンクもテーブルも全部、私たちの身長の何倍もありそうな家。
そこで井ノ瀬博士が、椅子にどうやってよじ登ろうかと首をかしげて悩む姿を。
「そこでだ。君たちには、早急にアイテムボックスの改良をしてもらいたい」
そう言って野崎は、以前私たちに見せてくれた、容量が二倍になったというマジックバッグを取り出した。
確かこれは、新しくなった開発部に任せられた研究ではなかっただろうか。
「開発部は、まだ改良できていなかったのですか?」
佐藤さんがズバリと指摘する。
すると野崎は、気まずそうに鼻の頭をかきながら、ぼそりと言った。
「いや……やってはいるのだが、まったく進展がない」
私は、ふと疑問に思った。
このバッグは、野崎が金銀龍から授かった〈創造〉の力で作ったのではなかったのか。
でも、私が物に力を付与したとき、野崎は明らかに驚いていた。
だったら――野崎は一体、どうやってこのマジックバッグを作ったのだろう。
「野崎さん。そもそもの話なんですけど、アイテムボックスというか……異次元空間そのものを創造したんですよね?」
「何だ、異次元空間の創造とは」
「だから、よく物語に出てくるような、何でも入って、中では時間まで止まっている不思議な空間です。それを、金銀龍から授かった〈創造〉の力で作ったんでしょう? それから、その空間を鞄に付与したんじゃないんですか?」
「…………」
小宮山君が、突然「ぶふぉっ!」と噴き出した。
驚いて、私は小宮山君を見る。
「今の会話の、どこに笑えるところがあったの?」
「い、ひひ……榊原さん! そりゃ笑いますって。野崎CEO、たぶんマジックバッグもアイテムボックスも、それどころかインベントリまで、全部ごちゃ混ぜにして『マジックボックス』って覚えてたんですよ!」
「???」
「いいですか。あ、CEO。これからちょっと辛辣なことを言いますけど、勘弁してくださいね」
小宮山君は、まだ笑いを堪えながら話し始めた。
「世間でよく言う、異空間にたくさん物が入る不思議アイテム。容量に制限があるものとか、時間が止まるものとか、いろんな種類がありますけど……野崎CEOは、たぶんそんな細かいことまで考えていなかったんじゃないですか?」
「何が言いたい」
「ぼんやりと鞄を思い浮かべて、それから『物がいっぱい入るもの』って考えませんでした?」
「……そうだが、それがどうした。イメージとはそういうものだろう」
「もし、金銀龍の加護が〈創造〉――つまり『想像したものを形にする力』だとしたら……それ、失敗ですよ。イメージが……グフッ……ぼんやりしすぎたんです」
その瞬間、急に視界が開けたような気がした。
そうか。野崎は、鞄そのものを〈創造〉したのだ。
既にある鞄へ異空間を付与したのではない。
「たくさん物が入る鞄」をぼんやりと想像し、そのまま丸ごと作り出した。
だから、私が使った〈付与〉という方法に、あれほど驚いていたのだ。
そして、考えてみれば、いちばんおかしいのはそこだった。
野崎は、子供みたいに夢のあるものを作りたがるくせに、その元ネタになったはずのマジックバッグもアイテムボックスも、どうやらほとんどうろ覚えらしい。
もしかして、この人――。
ラノベや漫画なんて、ほとんど読んだことがないんじゃないの?
それからは、小宮山君のラノベ知識のオンパレードだった。
野崎は眉間にしわを寄せながらも、意外なほど真剣に耳を傾けている。
「だから野崎CEOは、まず〈異空間そのもの〉を想像するべきなんです。たとえば、中では時間が止まっているとか、容量には限界がないとか。それから、その空間につながる入口を作る」
「異空間そのものを……」
「想像するのは、それほど難しくないはずですよ。だって私たちは、異次元ドアを通って、実際に別の空間へ何度も行ってるんですから」
「……っ! そういうことか」
ようやく腑に落ちたようだ。
私は、いつもの癖で反射的に口走ってしまう。
「素晴らしい力を持っていても、使い方が分からないのは、力の持ち腐れですね」
その直後、場の空気が凍りついた。
――あれ?
私は、額から冷や汗がたらりと流れるのを感じた。




