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弁慶は、紫龍の土地の地図を見つめていた。
ここへ来てから、皆で作り上げた詳細な地図だ。
この街は紫龍の治める土地のほぼ中央に位置している。西へ向かえば黒龍の領域に接し、東へ進めば海へ出るらしい。
「ここから百キロほど行けば海辺に出る。そこまで行けば、トカゲ人……紫龍の元の民、ミルバ族の生き残りがいるかもしれないよ」
北の魔族に追われて逃げたのだとすれば、その推測は十分あり得る。
北は魔族の支配地だった。南や中央へ逃げても、他の龍の民が暮らす土地に出てしまう。
当時の北の魔族は、龍の治める土地を絶えず監視していたのだろう。龍の民には加護を授かる者がいる。いつ封印を解こうとする者が現れるか分からない以上、警戒を緩めるはずがなかっただろう。
もっとも、今では加護を受けた者たちは死に絶え、監視の必要もなかった。
――だけど、私たちが封印を解いてしまった。
これからは再び龍の加護を受けるトカゲ人も現れるだろう。だが、白龍の話では、かつてのような強い加護は、もう人の子には与えないそうだ。
愛して愛でていた人の子を、今までのようには信用出来なくなってしまったのだ。
悲しいことだが、龍にしてみれば、もう二度と警戒を解くことはないということだ。
紫龍の民は、他の龍の民に比べても、とりわけひ弱だったという。
豊かな知識を持ちながらも戦う力は弱い。だからこそ、人目につかない土地へ身を隠し、細々と生き延びてきたのかもしれない。
「見つかると良いわね」
「気長に探すしかないんだけど、今度は見つかるような気がする」
これまで私たちは各地を探し回ったものの、ミルバ族を見つけることはできなかった。
しかし、地図を見返しているうちに、一つだけ探していない場所があることに気づく。
《海辺か……あそこは険しい断崖ばかりで、虫も美味しくない……あのような場所で生きていけるはずはないのじゃ》
紫龍の声には、諦めの色が濃く滲んでいた。
「とにかく行ってみましょう。紫龍」
移動はいつものように一瞬で済んでしまったが、この後は手分けしてこの辺り一帯を歩いて探し回ることになる。
紫龍と馬淵君、私とジョバンニ。井ノ瀬博士と小宮山君と弁慶。
そして拠点に設けた、通信用のアンテナの管理に佐藤さんが留まる事にした。
東の海岸線は、数キロに渡って切り立った崖になっている。
海を見下ろせば、数十メートル下に波が打ち寄せる荒々しい自然だ。
まるで、大きな神が、斧でザックリと切ってしまったような地形だった。
振り向いて西を望めば、ゆったりとした起伏を描く緑色の草原。
海風に晒されている草花は背が低く、一方にかしいで生えそろっている。
沢山の虫が飛び交い、中には鈴虫のような鳴き声も聞こえていた。
「ここの虫は地球サイズですね」
身軽な小宮山君は、飛び回る虫をひょいと捕まえ、興味深そうに観察している。
「弁慶! ここからは手分けして海岸線を捜索してくれ。私はここで待機する」
佐藤さんの声を合図に、私たちは三つの班に分かれて散開した。
私はジョバンニと二人で南へ向かう。
他のチームは北と西へ向かって歩き始めた。
一時間ほど歩くと他のメンバーの姿が見えなくなった。
何か見つかれば、携帯に連絡があるはずだ。
「ジョバンニ。崖の下を見たい。ここから降りて見ましょう」
「モナミ待って。先に僕が見てくる」
ジョバンニはあっと言う間に崖を下り始めてしまった。
ここの崖は、ほかよりいくぶんなだらかだった。
下にはごつごつとした岩場が広がり、その周囲を細かな小石の浜が帯のように縁取っている。
「すっごく高い……」
体がブルリとして、足がすくむ。
「でも、きっと大丈夫。私には闇の力があるんだから……」
意を決して、すぐ下の岩棚へ足を下ろした――が、そこがぼろりと崩れた。
「きゃあーーあ!?」
転げ落ちた、と思った次の瞬間には尻餅をついていた。けれど、まったく痛くない。
見上げると、三メートルは落ちたようだ。着地のときに地面を支えた手にも、傷ひとつない。
下では、ジョバンニが心配して吠えている。
「だ、大丈夫みたい。なんだか平気だった!」
立ち上がり、思い切って地面を蹴った。
「えっ!?」
予想以上に体が宙へ舞い上がる。
まるで風船に体が囲まれている感じだ。
慌てて両手を振り回しながら着地すると、ほとんど衝撃もなく地面へ降り立っていた。
――うそ……でしょう。これって、水の中に入ったときと同じだわ。
気を良くした私は、その後はジャンプを繰り返しながらジョバンニのところまで、無事に降りることができた。
「ジョバンニ!私、スーパーマンになったみたい」
「そうだね。モナミ、かっこよかったワン」
小石の浜を見ると、そこここに魚の骨が散乱している。
「これって、ここで魚を捕って食べている生き物がいる証拠よね」
崖の肌に目をこらすと、ところどころに黒く口を開けた洞窟が見える。
「ここにミルバ族が住んでいるんだわ」
携帯を取り出し、連絡を入れようとした、そのとき
――着信音が鳴り響く。
画面には佐藤さんの名前が表示されていた。
「はい」
『モナミ。ミルバ族の住処が見つかったようだ。すぐ戻ってきてくれ』
「えっ、そっちも?」
『そっちもって……モナミも見つけたのか!』
「まだ確認はしていません。でも、それらしい洞窟があります」
私が話しながら洞窟を見上げると、ジョバンニが中へ入っていくところだった。
「ジョバンニ!」
ジョバンニは一瞬だけ振り返り、「ワン」とひと声鳴くと、そのまま洞窟の奥へ消えてしまう。
「佐藤さん。こちらも調査してみます」
そう告げて通話を切り、私は携帯をしまうとジョバンニの後を追った。
体は羽根のように軽い。
――どうして今まで気づかなかったんだろう。
体へ意識を向けると、不思議なくらい軽くなっていく。
ぴょん、ぴょんと跳ねるように崖を駆け上がる。
洞窟の入り口は二メートルほどの高さがあり、中は思いのほか暖かかった。
「ジョバンニーっ!」
彼はずっと先へ進んでいるようだ。
奥へ行くたびに周囲は暗くなる。
携帯のライトを点けて進むと、やがて道は二股に分かれていた。
その片方からジョバンニの鳴き声が聞こえてくる。
ライトを向けると――
数人の青白いトカゲ人が、卵を抱きしめたまま震えていた。
***
ミルバの人たちは、五百人以上も洞窟を住処として暮らしていた。
彼らは卵を抱えて、憔悴したように草原に座り込んでいる。
長老らしきトカゲ人が、恐る恐る話し出した。
「おらたちは、何も悪いことはしていない。ここで静かに暮らしているだけだ。……りゅ、龍も祀っていねぇ」
紫龍は、悲しげにその言葉を聞いていた。
ミルバの民は、もはや龍が実在することさえ信じていない。
初めて目にする紫龍にも、ただ怯えるばかりだった。
祖先から受け継がれてきた言い伝えは、「龍を祀ってはならない」という戒めだけになってしまったらしい。
かつて紫龍が授けたはずの貴重な知識も、長い年月の中で、ほとんど失われてしまっていた。
紫龍は、震える民を見つめ、静かに語りかける。
《我が民よ。すでに魔族は消え去った。其方らは、もう自由じゃ》
紫龍は一拍置き、慈しむような眼差しを向けた。
《知を授けよう。龍の民としての誇りを、思い出すのじゃ》
紫龍の体から、淡い紫色の光があふれ出した。
その光はゆっくりと広がり、やがてミルバ族全体を優しく包み込んでいく。
突然の出来事に彼らは体を強張らせ、身動き一つできない。
だが、抵抗する間もなく、光は春の日差しのように穏やかに彼らの体へと染み込んでいった。
開発部のメンバーは、その光景に息を呑んで見入っている。
あまりにも優しく、あまりにも穏やかな光だった。
気がつくと、私の頬を一筋の涙が伝っていた。
ミルバ族の顔つきが急に生き生きとし出した。
光が消えると、しばしの沈黙のあと、誰からか、ぽつりと声が上がった。
「我らは、もう消えゆく種族ではない」
「そうだ、おいらたちは……誇り高い種族の末裔だった」
《其方らには、ミルバ族の成り立ちと歴史を授けた。これ以上は止められておって敵わぬが――わらわに着いてきてくれるかえ?》
ミルバ族の人たちは、思い出したように紫龍へ跪いた。
失われていた記憶が蘇ったのだろう。誰もが喜びに目を輝かせている。
「これで、やっと仕事が終ったね。もなっち」
「そうね。野崎さんも一安心するかしら」




