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「野崎さん、さっき白龍から念話がありました……」
白龍は森へ飛び去ったきり、しばらく戻ってこなかった。
休んでいた私の頭の中に、ふいに白龍の声が直接響いた。
《今宵はそこで休んでほしい。少し気になるものが目に入った。それを確かめてくるゆえ》
「そうか。では今夜はここで野営だ。みんな、準備を始めよう」
野崎さんの号令で、みんなは背負ってきた荷物を下ろし、保温シートを取り出した。
即席のテントを張るつもりらしい。
小宮山君と馬淵君は、支柱に使えそうな枝を探しに、森の中へ入っていく。
佐藤さんはその背中を何気なく見送っていたが、はっとしたように顔を上げ、井ノ瀬さんの方へ振り向いた。
「博士。木の操作を使うチャンスですよ。やってみましょう」
「えっ! そうね、そうだったわ」
井ノ瀬博士が魔法を試すというので、みんなは興味津々で見守る。
「そんなに見つめられたら、恥ずかしいでしょう……。お願い、ジョバンニ。私に魔法の使い方を教えて」
ジョバンニは、以前蒼龍に教わった方法を思い出しながら、博士に伝えようとしている。だけど、井ノ瀬博士はまだこの世界の言葉を解せないでいた。
ジョバンニは日本語はできないからうまく伝わらないようだ。
「クーン……ワオン……だよ」
「……くーん……わおん?」
だから、私が通訳をすることにした。
「井ノ瀬博士。まずは木をどんな形にするか思い描くんです。そして、そのイメージに念を込めて、一気に吐き出す……みたいな感じです。ジョバンニは、そうやっているみたいですよ」
「思い描くだけで良いのね。分かった。やってみるわ」
しばらくのあいだ、井ノ瀬博士は眉間にしわを寄せたまま、じっと動かない。
私たちも息を詰めて見守っていた。
すると突然、博士が大きな声を上げた。
「うーん……生成! ……じゃない、形成?」
井ノ瀬博士のまわりに生えていた木々が、一瞬、ぶるんと震えた。
次の瞬間、枝がぐねぐねとうねり始める。
見る間に枝は絡み合い、大きなイグルーへと姿を変えた。
野趣あふれる、不思議な造形だった。
どの枝がどこへ続いているのか、ひと目では見分けがつかない。
太くごつごつした枝が幾重にも絡み合い、うねるような壁と、丸みを帯びた屋根を形作っている。
その姿は、まるで木そのものが育って生まれた洞窟のようだった。
野崎は口をあんぐりと開けたまま、その建物を見上げている。
「すごいわ! これなら野営も苦にならなくなるわね」
井ノ瀬博士は、子どものように目を輝かせて喜んだ。
彼女はこれまで何度も調査で山や森へ入り、そのたびに野営を経験してきた。だからこそ、この魔法の便利さが誰よりも身に染みて分かるのだろう。
入口はとても小さい。
一メートルほどの丸い口がぽっかりと開いているだけの出入り口を、身をかがめてくぐる。
すると中には、思いがけないほど広々とした空間があった。
中から見上げると、天井は規則正しく編み上げられた籠のようだ。
ところどころに開いた隙間から、ほのかな光が差し込み、床に光の模様を描いている。
足もとには、柔らかな草がびっしりと敷き詰められていた。
踏みしめるたびに、かすかな青い匂いが立ちのぼり、緑の絨毯の上を歩いているような気分になる。
私たちは寝袋を持ち込み、その夜はそこで休むことにした。
森から枝を抱えて戻ってきた若い二人は、
「……徒労に終わった……」
と、がっくり肩を落とす。
それでも、彼らが集めてきた枝は無駄にはならなかった。
あの魔法陣が刻まれていた切り株の上に枝を組み、焚き火を起こす。
切り株に残っていた木くずは乾いていて、ぱちぱちと心地よい音を立ててよく燃えた。
私たちは火を囲み、これからの予定を話し合いながら、わずかな酒を口にする。
こうして夜は静かに更けていった。
不思議なことに、誰一人として食事をしたいとは思わない。
白龍の術は、確かに効いていた。
空腹はおろか、喉の渇きも、排泄の欲求さえ感じない。
「不思議な術だ。これがあれば、仕事が捗りそうだ」
野崎がいかにも彼らしいことを言い出し、皆は顔を見合わせて苦笑した。
翌朝、目を覚ましてイグルーの外へ這い出ると、白龍が静かに身を横たえていた。
「白龍、いつ戻ったの?」
《つい先ほどだ。其方らに、こやつらを預ける。話を聞くがよい》
「話を聞くって……?」
白龍が顎で示した先へ目を向ける。
そこには、二人のトカゲ人が倒れていた。
二人の着衣は大きく裂け、その下には痛々しい裂傷が走っている。
私はイグルーへ取って返し、佐藤を揺り起こした。
「佐藤さん! 怪我人がいます。手当てをしてください!」
佐藤さんは荷物から救急セットを取り出すと、慌てて外へ飛び出した。
さっきまでそこにいたはずの白龍は、いつの間にか姿を消している。
「白龍……どうしちゃったんだろう」
「モナミ。このトカゲ人って、例の魔族か?」
「えっ!」
私は改めて怪我人の姿を見つめた。
彼らはトーガ村の人たちより一回り大柄で、体つきもがっしりとしている。
そして、身にまとっている服もまったく違っていた。
上質な織物で仕立てられた衣服は目が細かく詰まり、縫製も驚くほど精巧だ。
胸元の留め具には煌びやかな装飾が施され、一人は立派な剣を、もう一人は複雑な意匠の杖を腰に帯びていた。
佐藤さんは、まだイグルーの中で惰眠をむさぼっていたメンバーたちに声を掛け、トカゲ人を中へ運び込んでもらった。
皆は寝かされたトカゲ人を囲み、それぞれ観察を始める。
「これが魔族か。トーガ村の者たちと、ほとんど同じ種族のようだが……」
野崎はしゃがみ込み、トカゲ人の武器を手に取って、じっくりと眺めている。
小宮山君も衣服を緩めながら、
「立派な服ですね」
と感心したように呟いた。
怪我人は頭を強く打ったのか、なかなか意識を取り戻さない。
足も骨折していた。
佐藤さんは手際よく添え木を当て、裂傷を縫合していく。
「このまま目を覚まさないかもしれないな。まるで高い場所から落ちたような怪我だ」
適切な処置は、これ以上できない。
器具も薬も足りないと言って、佐藤さんはそれ以上手を施すことを諦めた。
足は複雑骨折している可能性が高いという。
化膿止めは投与したものの、このままでは命も危ないかもしれない。
白龍は「話を聞け」と言っていた。
だが、この状態では事情を尋ねることなどできそうにない。
私は佐藤さんの「高いところから落ちたような怪我だ」という言葉を聞き、ふと胸騒ぎを覚えた。
――もしかして、これは白龍の仕業なのではないだろうか。
魔族に騙されて封印されてしまった白龍は、彼らに深い恨みを抱いていた。
仕返しをしたとしても、不思議ではない。
翌日の夕方、一人のトカゲ人が息を引き取った。
私たちは森の中へ彼を埋葬する。
残されたもう一人の容態は、少しずつ安定していった。
そして、埋葬を終えた翌日。
生き残ったトカゲ人が、ようやく意識を取り戻した。
「ここは?」
彼は、私たちを認めて驚き、体が思うように動かないためか、怯え始めた。
「お前たちは何者だ!この世にこんな不気味な生き物がいるのか……龍が生み出したのか?」
トカゲ人から見れば、私たちは確かに不気味に映るのだろう。お互い様だけれど。
だが、この魔族と思われるトカゲ人は龍を畏れるというより、忌避しているようだった。
野崎が一歩前へ出ると、私に通訳するよう目で合図する。
白龍から言葉を授からなかったチームのメンバーは、こちらの言葉を学び始めてはいたが、まだ会話ができるほどではない。
「あなたは、北の魔族なのでしょうか?」
トカゲ人は警戒したまま、虚勢を張るが、痛みのためか恐怖からか声は震えていた。
「いかにも。私は北に住まう魔族。龍の支配を退けた、誇り高きカラン族だ」
「怪我を負っていたので、私たちが助けました。一体何があったか聞かせてもらえませんか?」
「そうであったか。すまなかった……我が守る砦に、南で不穏な動きがあると報告を受けた。トーガ族が龍を解放したという知らせだ。ゆえに我らは調査へ向かった」
彼はそこで一度苦しそうに息をつく。
「だが……白龍が襲ってきた。我らは宙へ放り上げられ、そのまま地面へ叩きつけられた……」
悔しそうに拳を震わせる。
「おそらく我が隊は全滅しただろう……。くそっ! 憎き龍め!」
***
私たちは森の中に、一週間ほど留まることになった。
カラン族のトカゲ人は、チョウランと名乗った。
傷はゆっくりではあるが快方へ向かっている。しかし、彼には白龍の術が掛かっていないため、食料を確保しなければならない。
わずかな非常食だけでは足りないと言い、野崎たちは毎日のように狩りへ出かけていった。
慣れない狩りは思うように成果が上がらず、森で見つけた果物や、ゴボウに似た根菜を持ち帰っては、井ノ瀬博士に毒の有無を調べてもらった。
たまに小宮山君が、ウサギとネズミの間の子のような小動物を捕まえてくることもあった。
彼はここで意外な才能を発揮している。小回りが利き、すばしっこい彼は、意外と狩りの才能があったようだった。
その他にも小宮山君は木登りが得意で、木の上にある鳥の巣から卵を失敬してくる。
私たちはそれらをすべてチョウランに差し出していた。
「かたじけない。私一人でこれを食べるのは、忍びない」
チョウランは、まるで日本の昔の武士のようだった。
仁義を重んじ、恥を知る。
その立ち居振る舞いには、どこか気品さえ漂っている。
このような人が、なぜ龍をそこまで敵視しているのか。
私は、その理由を聞き出したくて仕方がなかった。
こうして親しく接していると、とても悪人には思えない。
むしろ、親しみさえ湧いてくるのだった。
彼の面倒を見るのが、この頃の私の役目のようになっていた。
だんだん打ち解けてくると、チョウランは自分の持っている杖の使い方を私に教え始めた。
「これはトネリコで作った魔法の杖だ。 杖そのものに魔力が宿っているわけではない。 だが、これを握ると精神を統一しやすくなる」
「精神を統一? そうすればどうなるの?」
「魔法を発動しやすくなる」
「……魔法ね……。どうすれば魔法が使えるようになるんだろう。龍から加護をもらう……とか?」
私は、探りを入れるつもりでそう尋ねた。
以前、白龍が言っていた。
_――奴らに加護は与えていない。それでも魔法を使う。_
その言葉が、ずっと心に引っ掛かっていたのだ。
チョウランは少しだけ戸惑い考え込んでいたが、ようやく答えてくれた。
「魔法は、始祖龍の宝玉から力を引き出すものだ。誰にでも扱えるものではない。宝玉と同調できるものだけが力を受け取れる。私の隊でも使えたのは、この私一人だけだ」
そう言うと、彼は少しだけ胸を張る。
「私は、僅か十五歳で同調できた。すごかろう?」
ジョバンニが私の隣でもじもじし始めた。
彼が言いたいことは分かっている。
――「僕だって使えるワン!」
きっと、そう言いたいのだろう。
でも、チョウランの前では言葉を話してはいけないと、あらかじめ言い聞かせてある。
ジョバンニはそれを守ろうとして、口を開きたいのを必死に我慢しているようだった。
チョウランは北の魔族の歴史も話してくれた。
過去、北は不毛の大地だった。厳しい寒さ、土地は痩せて作物も僅かしか採れない。そして、灰龍はごく一部の気に入ったものにしか加護を与えない。
気に入られた部族は恩恵を受け、気に入られなかった部族は悲惨なままだった。
それでも土地に住まう灰龍を畏れ敬い、祀っていた。
龍は偉大な力を有し、怒りを買えば、自然は猛威を振るうのだから。
あるとき災害が襲った。大きな災害だ。風雪が数ヶ月も続き、凍死者や餓死者が大勢出た。
カラン族は三分の一にまで人口が減ってしまったという。
それでも灰龍は雪を降らし、加護は与えなかった。
そして変化が起きた。ある勇敢な部族が、地下から持ち帰ったもの。それが始祖龍の宝玉だった。
あまりにも大きすぎて一人では持てそうにない、三メートルはあるだろう宝玉。
それを数十人がかりで地下から引き上げたのだという。
「これは神話に語られる、眠りについた始祖龍の宝玉に違いない」
そのときの酋長は、そう言って宝玉を祀った。
宝玉に手をかざすと、不思議なことに体の奥から力が湧き上がってくる。
酋長は、その力に北の民の希望を見いだした。
そして、皆の前で高らかに宣言した。
「これより先、我らは龍など敬わぬ。この宝玉こそが、我らの願いを叶えるのだ」
カラン族の歴史を聞き、私は身の内が震えた。
白龍から教えられた神話の、あの宇宙の大渦。
その源となる宝玉が、今、カラン族の手にあるというのだ。
この世界の根幹を成すと言っても過言ではない力を、彼らは手に入れてしまったのではないのか。




