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この深く巨大な森には、翠龍が封印されていた。
ひときわ大きな切り株の上に、その祠はあった。
かつては天を衝くほどの巨木だったのだろう。
残された切り株だけでも直径は五メートルほどあり、その表面には巨大な魔法陣が描かれている。祠は、その中心にこじんまりと据えられていた。
すぐ脇の大木には、翠龍が長い身体を巻きつけ、私たちをじっと見下ろしている。
例によって白龍は、かなり上空まで退避し、不安そうにこちらを窺っていた。
《早う、我を解放してくれ。解放してくれたのなら、何なりと褒美を使わそう》
その言葉を聞くや否や、野崎はすかさず条件を切り出した。
「では、ここにいる全員へ加護を授けてもらえないだろうか」
《か、加護だと!? それは難しい。其方らが再び我を封印せぬ保証などないではないか》
「龍のわりには肝っ玉が小さいな……」
野崎はぼそりと呟く。
「では、ほんの少しだけでも力を分けてくれないだろうか。私は、一度でいいから魔法というものを使ってみたい」
翠龍はしばらく黙り込んだ。
やがて観念したように口を開く。
《……よかろう。木を操る力なら、一人にだけ授けてやる》
私が進み出ようとすると、野崎に制された。
「榊原君。私が試してみる。本当に他の者が魔法陣に拒まれるのか、確かめたい」
野崎はそう言って切り株へ歩み寄り、そっと手を伸ばした。
次の瞬間――
バシィッ!
乾いた破裂音が森に響いた。
野崎の身体は見えない壁に弾き飛ばされたように、数メートル後方まで吹き飛ぶ。
「野崎さん!」
私たちが駆け寄ると、野崎は土を払いながらゆっくりと立ち上がった。
「……やはり、無理か。分かった、榊原君。やってくれ」
「はい。ジョバンニ、行こう」
私とジョバンニは、何の抵抗もなく切り株の上へとたどり着いた。
その様子を、チームの面々は息を呑んで見守っている。
「もなっち……本当に結界に入れちゃった……」
「結界? 封印陣ではないのか?」
野崎が弁慶に尋ねると、彼は得意げに胸を張った。
「たぶん結界ですよ。漫画やアニメによく出てきます。さっきCEOが弾き飛ばされたのを見て、ピンときました。封印陣って結界とよく似ているなって」
「結界か……」
野崎は腕を組み、納得したように頷く。
一方、井ノ瀬博士は落ち着かない様子で佐藤を見上げていた。
「どうしたんですか、井ノ瀬博士」
「佐藤さん……私、木を操る魔法が欲しいんです。翠龍に頼んで、私へ授けてもらえないかしら」
佐藤は少し考え込む。
「……そうですね。植物学の専門家である博士なら、適任かもしれません。野崎CEO――」
皆が相談している声を背中に聞きながら、私は祠の前へ歩み寄った。
リュックから鑿と金槌を取り出し、大きく振りかぶる。
「えいっ!」
ガンッ――。
たった一撃で祠には大きな亀裂が走った。
――私でも出来そう!
勢いづいた私は、二撃、三撃と金槌を振り下ろした。
やがて祠は激しい音を立てて崩れ落ち、粉々に砕け散る。
恐る恐る中を覗くと、深さ六十センチほどの窪みに、丸い宝玉がひっそりと収まっていた。
私は三十センチほどの宝玉を両手で持ち上げ、魔法陣の外へ出ると野崎へ差し出した。
翠龍は首をゆっくりと伸ばし、宝玉から一瞬たりとも目を離そうとしない。
野崎は宝玉を受け取ることなく、井ノ瀬博士へ視線を向けた。
「では、井ノ瀬博士。あなたが翠龍のもとへ持って行ってください。そして、木の操作魔法を授けてもらうんです」
「は、はい!」
井ノ瀬博士は、おっかなびっくり翠龍へ近づいていく。
震える両手で宝玉を差し出した、その瞬間――。
翠龍は眼をかっと見開き、鋭い鉤爪の生えた前足を勢いよく伸ばした。
宝玉は、ひったくるように井ノ瀬博士の手から奪い取られる。
「ひっ!」
井ノ瀬博士は悲鳴を上げ、その場に尻もちをついた。
腰が抜けてしまったのか、しばらく立ち上がることができない。
《では、其方に木を操る力を授けよう》
翠龍は井ノ瀬博士を淡い緑色の光で包み込む。
光が静かに消えると、翠龍は一度だけ満足そうに頷き、そのまま森の奥へ姿を消してしまった。
「何とも恩知らずな龍だ。礼の一つも言わずに行ってしまった」
憤然とする野崎を見ていて、私は思うのだ。
――野崎さんも大概だけどもね。龍に交換条件を突きつけるなんて。
井ノ瀬博士は,座り込んだまま自分の手を見て囁く。
「本当にこれで木と話せるようになれるのかしら……」
「井ノ瀬博士――木の操作を授かったのだ。話せる魔法ではないと思うぞ」
佐藤さんに言われて,「そうだったわね」と言い、力なく微笑んだのだった。
「もなっち!」
弁慶が、私に切り株を指さしてみせた。
振り返ると、魔法陣が描かれていた切り株から白い煙が立ち上っている。
シューッ、シューッ、と何かが抜けるような音まで聞こえてきた。
「大変! このままじゃ火事になってしまう。ジョバンニ!」
「モナミ。火はついていないワン」
「え?」
切り株は見る見るうちに萎み、まるでシロアリに食い荒らされたように、無数の穴が開いた残骸へと変わっていく。
野崎はその切り株へ近づき、手で触れた。
すると、切り株はぼろぼろと崩れ落ち、乾いた木屑となって地面へ散っていく。
「……どんな仕組みだ?」
「おかしいです。今まで、こんなことはありませんでした」
「違いは何だ、榊原君」
今までは宝玉だけを取り出していた。
そういえば、祠を壊したのは今回が初めてだった。
「祠自体にも封印の力が有ったんでしょう。たぶん」
白龍がゆっくりと舞い降りてきて、祠の残骸を忌々しげに見つめた。
《北の魔族め……。この祠は、宝玉を大切に納めておくためのものだと申して、わらわたちに献上してきたのじゃ》
白龍は悔しそうに首を振る。
《龍たちは、奴らの策略にまんまと嵌められた》
白龍の話では、宝玉を祠へ納めた途端、魔法陣が浮かび上がり、そのまま封印されてしまったのだという。
後で野崎は、白龍がいなくなったのを見計らって、こっそりと私に耳打ちした。
「龍というものは、皆お人好しなのか? 疑うということを知らないのだろうか……」
それは、私も心のどこかで思っていたことだった。
アルケディアの神々も同じだ。
大きな力を持ちながら、彼らは基本的に純粋で、人を疑うことを知らない。
素直で、優しく、ときには荒ぶることはあっても、その心には打算がなかった。
だけど、ここの龍神たちは、きっとこれから変わっていくのだろう。
人を疑い、簡単には信じず、いつも警戒するようになる。
それは、生きていくためには必要なことなのかもしれない。
それでも私は、どこか寂しく、やるせない気持ちになるのだった。
「ところで一つ疑問がある」
龍たちの話が一段落したところで、野崎がふいに口を開いた。
「なんでしょう」
「君は初め、ジョバンニが白竜を解放したと言った。だが時系列的に考えて、その頃あの犬は加護を受け取っていなかったはずだ。なぜ魔法陣には入れたのだ?」
私は、話してしまってもいいものか迷った。
でも、ジョバンニが再び命を得た瞬間には、野崎も立ち会っている。
きっと理解してくれるはずだ。
「ジョバンニは、一度その生を全うし、光の粒となって体が消えました。でも……アルケディアで再び生まれ変わったんです」
「それは知っている」
「考えてみれば、あの時、ジョバンニの身体はアルケディアの物質から作られたことになります」
「……な、なんだと」
野崎の目が大きく見開かれた。
「あの瞬間……つまりジョバンニは……」
私は静かに頷く。野崎はアルケディアの物質の特性をよく知っている。あそこから産出される鉱物資源や木材は神々の特性を僅かながら持っているのだ。
見方を変えれば、神々はその物質によって形作られていると言っても過言ではないのだ。
「私の考えでは、ジョバンニはもう普通の犬ではありません。アルケディアで生を授かった彼は、新たなジョバンニとなったんです」
「ではジョバンニはアルケディアの神々や精霊たちと同じという理屈になるが、そうなのか?」
「はい。だから封印にも問題なく入れたんです。それしか考えられません」
この魔法陣は、本来この世界の龍や、人の子を対象として作られたものなのだろう。
魔族も、まさか異世界の神の存在まで想定していたはずがない。
もちろん、地球から来た私たちもこの世界の存在ではない。
だけど、私たちは所詮、人の子だ。
対してアルケディアは違う。
あの世界では、神々の身体そのものが世界を構成する物質によって形作られている。
言い換えれば、あの世界の物質そのものに神性が宿っていると言っても過言ではないのだ。
この世界の力の根源が龍であるように、アルケディアでは物質自体があの世界の根幹を成している。
だから精霊と化したジョバンニは、結界に拒まれなかったのだろう。




