39
野崎CEOは、なんだかうきうきしている。
弁慶が言うには、この異世界は日本との時間の流れが大きく異なる。そのため、ここの一日は日本ではほんのわずかな時間しか経たず、このところ休みなく働いていた野崎にとっては、長期休暇のようなものになるらしい。
「でも、あれほど怒っていたのに、掌を返すような心変わり。もしかすると野崎さん、情緒不安定なんじゃないですか? ねえ、弁慶」
「誰が情緒不安定だ。私は、ただ忙しかっただけだ」
野崎はむっとした顔で言い返した。
「……まあ、ここにいれば百日も休暇が取れるようなものだからな。それは素直にうれしいが」
私たちは、泉へ通じる細い隧道を歩いていた。
縦一列に並び、すぐ後ろにいた弁慶に話しかけたつもりになっていた私は、野崎がいつの間にか、私の真後ろを歩いていたなんて、まったく気づかなかった。弁慶を見ると、さらに後ろに下がって歩いている。
ここにいるのは全部で七人と、ジョバンニだ。
拠点の警備は、野崎についてきた男性三人に任せることにした。
内緒話を野崎に聞かれてしまって、気まずくなった私は、前を歩く佐藤さんを追い越した。そして、私がまず泉の洞窟に着くことになった。
白龍は私を認めて、水から浮かび上がり空中をゆったりと回り出す。
《行けるのか? 止められはせなんだか⁈》
「ええ、でも、仲間が増えました。彼らも協力してくれるそうです。良いですか?」
《ふむ。別に構わぬ。では、早速行こう》
「あの、みんなにも食事を取らずに済む術をかけてもらえますか?」
《分かっておる。数日は戻って来られぬゆえ。では目をつぶって心を落ち着かせよ》
私と白竜の話を聞いていた開発部の皆は、ぎょっとして口々に騒ぎ出した。
「もなっち、術って、どういうこと?」
「え、食事抜きって何日分ですか!?」
「カロリーは足りるんですか?」
「榊原君、今からとは突然すぎる。準備などできていないぞ」
「まだ話していないことがあったようね。榊原さん」
井ノ瀬博士まで、私に詰め寄ってくる。
仕方がないので白竜に少しだけ時間をもらって、もう一度皆に詳しい話を聞かせることになった。
***
白龍に一日だけ待ってもらうことで話がついた。白龍としては、じりじりとした思いで待つことになるだろうが、野崎が頑として時間を取れという。
「君は言っていたな。過酷な環境に適応できるのは、闇の加護のおかげだと。そうなれば私たちは足手まといということになる。私たちが準備するのは当たり前ではないか?」
そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。黒龍は、チームのメンバーには加護は授けてくれないだろう。
私とジョバンニは、彼の宝玉を戻してあげたから、加護をもらえたのだ。
野崎は、さっそく荷物をあさり始めた。
そういえば、拠点には野崎が運び込んできた木箱や段ボールが山積みになっている。
やっぱり、この人は用意がいい。
野崎は薄い銀色の布を取り出すと、人数分のリュックの中へ次々と詰め込んでいく。
「……あの、食料は必要ないんですよ」
「馬鹿もん。何が起こるか分からないんだぞ。食料が不要でも、最低限の装備は持っていく。それに武器も必要だ」
「この銀色の、ぺらぺらした布は何に使うんでしょう」
「保温シートだ。暖を取るのに必要ではないか」
野崎は、非常用持ち出し袋のようなものを用意してきたようだ。
その中から、アラミド繊維でできたマントのようなものを取り出し、皆に配り始めた。
「防弾チョッキほどではないが、少々の刃物なら防いでくれる素材だ。これを着てくれ」
そして男性陣にはサバイバルナイフを手渡している。
「ここは日本ではない。武器を持つことに法的な制約はない。だが、実弾拳銃はさすがに持ち出せなかった。テーザー銃で我慢してくれ」
そこでようやく私は思い出した。
――そうだわ。鑿と金槌が必要だった!
「野崎さん!鑿と金槌を持ってませんか?」
野崎はきょとんとして「いったい、何に使うんだ」というので、
「魔法陣の中へ入れるのは、今のところ私とジョバンニだけです。いつもジョバンニに祠に入って宝玉を取ってもらっていましたけど、祠を壊せば、私にも宝玉を取ることができそうだと思って」
野崎は呆れたように私を見て、
「ジョバンニが出来るならやってもらえば良いではないか。君がわざわざ祠を壊す必要性がどこにある。それに私は大工ではない。鑿など持っていない」
それまで黙って聞いていた佐藤さんが、ふっと笑った。
「モナミ。村人が持っているかもしれない。借りてこよう」
「……ありがとう。佐藤さん!」
佐藤さんが借りてきたのは、五十センチ以上もある大きな金槌と、日本のものとは形の違う、先端が大きく広がった鑿だった。
「重そうね。もなっち、持てそう?」
これが持てれば、私にだって祠を壊すことができるのだ。だから持てなくては話にならない。
私は、恐る恐る手に取ってみる。
「あれ……?」
見た目とは裏腹に、ほとんど重さを感じない。
――これも、加護のお陰なの?
私は皆が忙しく立ち働いている洞窟から隧道に入って行く。
隧道を抜けて泉までやって来ると白竜を呼び出す。
《行くのか? 他の人の子は……》
「ううん。聞きたいことがあって。私の闇の加護ってどういうものなのかな。例えば、闇に紛れて姿を消すとか、そういうものだと予想しているんだけど」
《加護には限定された力と、そうでないものがある。例えば、其方の犬に授けられた加護は、水の操作だ。我が番の加護はおそらく限定されていない加護であろう。其方が必要だと思うものに形を変える、考えようによっては一番強力な加護である》
「ジョバンニにも闇の加護がある。彼も自分で力を使いこなせるのね!」
白龍は、少しだけ困ったように首をかしげた。
《……それはどうであろうな》
《かの犬は賢い。じゃが、自ら試し、工夫し、新たな使い道を見出すというのは難しかろう。人の子のように、飽くなき探究心を持つ生き物ではないゆえ》
白龍は、さらにこんな話もしてくれた。
龍が授ける加護には、それぞれの龍の性質が色濃く現れるのだという。
例えば、白龍の加護には「空を飛ぶ力」がある。
過去には、その加護を授かり、大空を自在に飛び回った人の子もいたそうだ。
もっとも、それも本人の想像力次第である。
一方で、水を操るような限定された加護は、力の形が明確なため、比較的容易に使いこなせるという。
どちらにも、一長一短があるのだ。
「蒼龍さんも空を飛べるんですか?」
《飛べぬことはない。じゃが、あやつは空を駆けるより、一瞬で移動することを好む》
《もっとも、それは龍ならば皆できることじゃ。封印されておる間は叶わなんだが、其方らのお陰で再び自由に使えるようになった》
力の源は、龍そのものが宿しているものだという。
本で読んだような「魔素」や、アルケディアに存在したような特殊な物質が、この世界に満ちているわけではないらしい。
だが、白龍には一つだけ腑に落ちないことがあるという。
《あれ以来、奴らには一切加護を授けておらぬ。もとより封印されておったのでな。当たり前なのじゃが……》
白龍は、思案するように目を伏せ再び口を開いた。
《……なのに、奴らは今なお力を使う。その力が、何に由来するものなのか。わらわには分からぬ。それが、恐ろしいのじゃ》
北に住む人の子は、魔の力を使いこなしたため、「魔族」と呼ばれるようになった。そういうことなのだろう。
では、その魔の力とは、一体何なのだろうか。龍からの加護ではないことは確かだという。
魔法――その一言で片づけてしまうのは簡単だ。
だが、力にもさまざまな形がある。
例えば、科学の力。
科学を知らない人から見れば、それもまた魔法のように映るのではないだろうか。
では、北の魔族は科学を極めた者たちなのだろうか。
私は違うように思う。
少なくとも、この世界には、それを裏づける文明の痕跡が見当たらない。
一度、北の魔族――いや、彼らの国へ行ってみなければ、真実を知ることはできないだろう。
次の日、私たちは白龍に連れられて巨大な森へ連れて行かれたのだった。




