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その頃拠点では――
開発部のメンバーは、つい先ほどまで榊原が立っていた場所を呆然と見つめていた。
今までそこにいたはずの、彼女の姿だけが忽然と消えていたのだ。
やっと呪縛から解放された弁慶が、我に返ったように叫ぶ。
「もなっちが消えた!」
それからは、大騒ぎだった。
拠点の周りを探し回り、泉にも降りていくが、榊原は見つからない。
「神隠しにでも遭ったみたいだ」
佐藤は、科学者らしからぬ感想をもらし、井ノ瀬は肩をすくめる。
「野崎CEOが危惧したとおりになったようね。
榊原さんは、神に懐かれる体質だって言っていたわ」
佐藤や弁慶は「なるほど」と納得している。
「ちょっと、なにを馬鹿なことを言っているのよ! 神だなんて。ただの龍でしょう」
畑山は、さっき秘密をぶちまけた勢いのまま、龍を「ただの龍」呼ばわりしている。
アルケディアを知っている弁慶たちには、とてもじゃないが真似できない言い草だ。
一方、若いメンバー二人は興奮を隠せなかった。
「す、すごいですね! ここも神様がいる世界なんですね!」
「しかも榊原さん、神様に気に入られてるなんて……羨ましい」
「分からないでしょう。ただ龍に攫われただけよ。餌にされるためかもしれないじゃない」
畑山は、最後まで榊原に辛辣だった。
その物言いには、どこか対抗意識のようなものさえ感じられる。
佐藤は小さく肩をすくめると、やれやれと言わんばかりに首を振った。
彼女のモナミに対する印象は、もう変わりそうにない。
佐藤には、別の懸念もあった。
野崎CEOは、榊原に対して必要以上に踏み込みすぎている。
榊原が所有する島の半分を買い上げ、そこへディメンションリンク事業部を新設した。
さらに、彼女の自宅へも頻繁に出入りしている。
開発部のメンバーも、自然と榊原の家へ集まるようになっていた。
しかし、野崎ほどの立場にある人間が、そこまで肩入れするのは、やはり不自然だった。
本社も、その関係に目をつけたのだろう。
野崎のウイークポイントだと考えているふしがある。
だが、本当にそうなのだろうか。
佐藤には、野崎が榊原へ特別な恋愛感情を抱いているようには思えなかった。
榊原は、放っておけば興味の赴くままに、ふらりと危険な場所へ行ってしまう。
野崎は、それを先回りして何かと世話を焼き、口を出しているだけではないのか。
普段の二人のやり取りを見ても、そこに男女の空気は微塵も感じられない。
畑山は、本来なら榊原をディメンションリンク事業部から引き離すために送り込まれた人材だったはずだ。
だが皮肉なことに、今では畑山自身が榊原を強く意識し、野崎を振り向かせようと躍起になっているようだった。
何かにつけて榊原へ対抗心を燃やしている姿を見ると、本来の目的など、とっくに忘れてしまったようにしか見えなかった。
――まるで、ミイラ取りがミイラになってしまったようだ。
メンバーは一斉に携帯端末を取り出し、榊原へ連絡を試みた。だが応答はなかった。
この簡易基地局の通信可能範囲は、せいぜい三十キロ未満だ。
榊原は、ここからかなり離れた場所に連れ去られてしまったようだった。
「もう、生きていないかもね」
また畑山だ。
開発部のメンバーはピクリとし、彼女を一斉ににらむ。
畑山は気まずくなったのか、そそくさとその場を離れていった。
井ノ瀬は、わざとらしく深刻な表情をつくる。
「野崎CEOは、今頃イライラし始めている頃ね」
そこで弁慶が、とんでもないことを言い出した。
「異次元ドアのリンクを外しちゃいましょうよ」
「ば、馬鹿なことを言わないで、リンクが切れたら時間のズレがどれくらいになると思っているの!」
そこで弁慶は、井ノ瀬博士に向かって得意げにこう言った。
「そうよ。ここと日本の時間差は約百倍ほどかしら」
「だったら、私たちが日本へ戻る頃にはとんでもない時間が経っていることになるじゃないの。絶対にリンクは切れないわ」
井ノ瀬は弁慶に食ってかかるが、彼は涼しい顔だ。
「百倍って言うのはね……この世界で百日過ごしても、日本では一日しか経っていないってこと。どう? 時間が稼げるでしょう」
佐藤は、はっとして声を上げた。
「アルケディアとは逆で、ここの世界の時間は日本より百倍速く進む。そういうことか!」
佐藤は、弁慶の提案を受け入れて、榊原の探索時間を稼ぐために、リンクを切ることを提案した。
メンバーは一も二もなく賛成する。
ただ一人、畑山だけが不満そうに口をつぐんでいた。
佐藤はそれには取り合わず、日本とのリンクを切り、異次元ドアを縮小させ、その場から取り外した。
拠点には、畑山と井ノ瀬博士を残し、男性たち四人は二人ずつペアを組んで、榊原の探索へと向かうこととなった。
だが、どこへ消えたのか。
榊原の行方を探るのは、雲をつかむようなものだった。
佐藤は小宮山と組み、まずはトーガ村へ向かった。
龍について何か伝承が残っていないか、村人たちから話を聞くためだ。
一方、弁慶は馬淵と組み、通信基地局を設置できそうな場所を探し始めていた。
捜索範囲を広げるには、まず通信網を確保しなければならなかった。
残された女性陣二人は、互いに距離を取って洞窟内で休んでいる。
しかし、やがて気まずい雰囲気に耐えられなくなったのか、畑山は、ぽつぽつと独り言をこぼし始めた。
「野崎CEOは、私の手を取って『君が頼りだ』って言ったのよ。
私は一生懸命やったのに……みんなから白い目で見られている。心外だわ」
井ノ瀬は、チラリと畑山を見てふんと鼻を鳴らす。
「あなた、榊原さんに辛く当たっていたそうね。馬鹿なことをしたもんだわ。彼女はね、開発部にとっては無くてはならない存在なの。あなたは榊原さん一人を追い出そうとしたつもりでしょうけど、結果的には開発部を敵に回したのよ」
厳しい言葉を突きつけられた畑山は、唇を噛みしめたまま黙り込んでしまった。
しばらくうとうとしていた井ノ瀬が、ふと目を覚まし、周りを見回す。
畑山の姿が見えない。
井ノ瀬は、反射的に異次元ドアへ視線を向けた。
そこには、再び異次元ドアが設置されていた。
そして、その足もとには一枚の置き手紙が落ちている。
『開発部が命令を無視し、勝手な行動を取ったことは、野崎CEOと本社に報告します。今度こそ、ディメンションリンク事業部は解体されるかもしれないわね』
「なんてことを……畑山さん!」
井ノ瀬は、思わず置き手紙を握りしめた。
技術者の畑山は、異次元ドアを再設置して、日本へ戻ったのだ。
井ノ瀬は急いで携帯を取り出し、佐藤に連絡を取ったのだった。
***
異次元ドアを抜けた先は、ディメンションリンク事業部の新社屋内だった。
ここは離れた小島にあるため、滅多に人の目には触れない場所でもある。
畑山は、真っ直ぐ野崎CEOの部屋へ歩いていく。
「いまに見ていなさい。誰が正しかったのか、思い知らせてやるわ」
彼女の腹の中は、煮えくり返っていた。
三十一年の人生で、こんな屈辱を受けたことはなかった。
容姿に恵まれ、さらに優秀でもあった彼女は、すぐに本社勤務へ回され、
トントン拍子に出世し、本社では技術部の次期部長に内定していたのだ。
野崎の専用室のドアをノックして開ける。
しかし、いつもいるはずの野崎の姿は、そこになかった。
代わりに、見知らぬ五十がらみの男が椅子に腰かけている。
「あの、野崎CEOは?」
「ああ、今は本社へ行っている。私は新たにここの事業部長を任された真垣というものです。
あなたは、確か開発部のチームリーダーを任された畑山さんですね」
「野崎CEOが更迭された?」
「まさか。先日、株主総会の決定が下されましてね。
異次元ドアエンタープライズ社は、ディメンションリンク事業部に統合された……と言いますか、吸収された形ですね」
「では野崎CEO……いえ、野崎さんはどうなったんですか!」
「ですから、本社の新社長に就任されました。前社長は子会社の社長を任されることになりました」
目の前の男から手渡された名刺には「ディメンションリンク事業部 ゼネラルマネージャー」と印字されていた。この事業部の新たな責任者だった。
かつて開発課の課長を務めていたが、野崎に声を掛けられ、再びこの会社へ戻ってきたという。
その経緯を聞かされた畑山は、愕然と立ち尽くす。
――では、私の立場は? これからどうなるの?
何も言わずに立ち尽くしている畑山に向けて、真垣が怪訝そうな顔で尋ねた。
「何か報告があるんでしょう。聞かせてください」
はっとして、畑山はこれまで開発部が起こした“勝手な振る舞い”をまくし立てた。
すると、真垣は突然笑い出した。
「ははは、相変わらずだな、榊原は。分かりました。すぐに野崎新社長に報告を上げましょう」
何をどう話そうと、この新しい真垣GMは笑って受け流してしまう。
まるで、糠に釘。のれんに腕押しだ。
畑山は、ガックリと項垂れてその場に立ち尽くすしかなかった。




