35
この村は、トーガ村という名前だった。
山裾一帯を住処とし、およそ二千人が畑を耕して暮らしているという。
私たちが案内されたのは、住宅が集まる村の中央広場だった。
ここが村の中心であることは間違いなさそうだ。
私と弁慶は、その広場の中央に座っていた。
周囲を三百人を超える村人たちがぐるりと取り囲み、村長と私たちの話に熱心に耳を傾けている。
弁慶が話し出すと、一斉に身を乗り出してくる。私はつい、ジョバンニを抱き寄せて周りのトカゲ人たちから身を隠そうとした。
この頃は人の多い場所でも慣れてきたとはいえ、異人種に囲まれて居るのだ。
私にとって、ハードルが高すぎた。
「ジョバンニ。私……」
「大丈夫だワン。誰も怖いこと、考えていない」
そう言ってジョバンニは私の鼻をペロリとなめる。
犬の匂いが鼻から抜けて、思わず顔をしかめてしまった。
「魔族というのは知りませんが、あたいたちはもっと遠い場所から来た事は、嘘偽りが無いと断言できますね。あたいのいた所には、魔族なんて者はいませんし」
「魔族がいないとな……昔はここもそうだったそうだ。かつてここは龍の神様がいて、おいらたちは平穏に豊かに暮らしておったという……」
村長が話してくれたことはこうだった。
長い年月、ここはトーガの民が治める土地で、トーガは龍神が作りだした種族だという言い伝えがあった。
かつて繁栄していたころは、多くのトーガ人たちがいたそうだ。
「今の何倍も住んでおった。『領主様』というのもおったんじゃ、ここには。じゃか……」
だが、ある日、魔族が攻め入り、領主も戦士も立ち向かったが倒されてしまったそうだ。
さらに、魔族は、この地で大切に崇めていた白龍を封印してしまった。
そして無抵抗なトーガ人たちをも殺して回ったそうだ。
そして魔族はこう言い残して去った。
「この先、龍神をあがめ奉ることを禁ずる。もし違えれば、今度こそ、トーガの民を根絶やしにする」
なんと勝手な言い分だろう。
勝手に襲い来て、勝手にルールを決めて、人々に恐怖を植え付けて去っていく。
そんな理不尽な扱いを、トーガの人々は甘んじて受け入れるしかなかったというのだ。
私は憤慨して、引っ込み思案もどこかへ飛んでいってしまった。
体の中からぶわっと熱いものが噴き出した感じだった。
私はすっくと立ち上がって村長の前に進み出て言った。
「トーガのような人々は、ここにいるだけでしょうか?」
「いや、全部で九つの州に分かれて住んでおった。それぞれに龍神様がついておってな……九柱の龍神、九龍とも呼ぶ。だが、その九龍もすべて封印されてしまったそうじゃ」
私と弁慶は、村長の話に思うところがあった。
――九柱も龍がいるということ? 九柱もいるのなら、魔族に対抗できそうだわ。
「もなっち、白龍の封印解けちゃった……魔族攻めてこないかしら?」
お互い違う処に引っかかりがあったようだ。
私は、「まだ八柱の龍を解放しないとダメだ」と思い、弁慶は、「魔族がここに攻めてくること」を心配している。
「そうだった。魔族に知られたら、ここの住民は根絶やしにされてしまう! どうしよう弁慶……」
私たち二人は日本語でやりとりしている。
トカゲ人たちは、その姿を不思議そうに見ていた。
このまま知らん顔をしているわけにはいかないだろう。正直に打ち明けるべきだ。
今なら、彼らを逃がすことが出来るかもしれない。
私が口を開こうとした、その瞬間だった。
村人たちが一斉に息をのみ、誰もが同じ方向へ視線を向ける。
私もつられて空を見上げた。
「白竜様だ!」
「白竜様の封印が解けたぞ!」
白く輝く巨大な白龍が、悠然と空を泳いでいる。
神々しいその姿は、まさに神話の一頁が現実となったかのような幻想的な光景だった。
白龍はゆっくりと高度を下げ、やがて私たちの頭上まで舞い降りてくる。
巨体にもかかわらず羽ばたくことはなく、空そのものを泳ぐように円を描いていた。
やがて黄金色の瞳が、まっすぐ私を見据える。
《異界からの救世主よ。わらわの番、黒龍の封印を解いてくりゃれ》
村人たちは、そろそろと広場の端へ下がっていく。
開いた場所に、白龍がゆるりと降り立った。
とぐろを巻くように身を横たえると、私の目の前で鎌首をもたげる。
そして、大きな口を開けて懇願した。
金色の目は、一点をまっすぐに見据えている。
――ジョバンニに。
私たちは洞窟の拠点へ戻ることにした。
まずは、この出来事を皆に伝えなければならない。
白龍は「泉で待つ」とだけ告げ、静かに姿を消してしまった。
拠点には、なぜか井ノ瀬博士がいた。
佐藤さんと二人で、私たちの帰りを待っていたようだ。
拠点には持ち込んだ通信用のポールが立ててあった。今後の通信のための、簡易基地局がすでに出来上がったようだった。
これで、お互いのスマホでやりとりが可能になったわけだ。私は自分の携帯を出してアンテナが立っているのを確認して居ると、井ノ瀬博士が私に向かい、話しかけてきた。
「野崎CEOからの伝言を持ってきたわ」
ディメンションリンク事業部の掃除があらかた終わったという。
今後は、ここの調査を井ノ瀬博士が引き継ぐことになったそうだ。
「私だけですか? 弁慶や、他のみんなは?」
「榊原さん。あなたは日本へ戻ってきなさい、という指示よ」
「……私だけですか?」
思わず聞き返してしまう。
「ええ」
博士はこくりとうなずいた。
「弁慶さんたちは、このまま調査を続行するそうよ。地質調査から植物相の調査まで、できる限り進める予定なんですって」
なぜ私だけなのだろう。
まったく理由が分からない。
そのとき弁慶が、ぽんと私の肩を叩いた。
「もなっち。君の引き抜きの件が片付いたってことなんでしょう。それに、事業部のスパイ疑惑も収まったみたいだしね」
「でも……白竜の依頼が……」
白龍は、きっと泉で私たちを待っているはずだ。
どういう神業を使ったかは知らないが、転移のようなもので出入りできるらしい。
「もなっち。これ以上、深入りしてはだめよ。この世界のことは、この世界に任せるの。
私たちは調査が済めば、たぶん、この異世界から手を引くことになるんだから」
住民がいて神もいる。更には不穏な考えを持つまだ見ぬ種族までいるのだ。
そこに割り込んでまでこの世界の資源を探すのは労力に見合わない。そういうことなのだろう。
だが、一応、調査はしておく。それが野崎の最終決定のようだった。
井ノ瀬博士は、はっきりとこう言った。
「野崎CEOは、榊原さんがまた面倒ごとに首を突っ込む予感がしたそうよ。
だから、あなたは日本へ戻りなさい」
この世界のことは、この世界の人に任せる。
それは正しいことのように感じるけれど、白龍の願いを聞いてあげたいという、切羽詰まった気持ちにもなるのだ。
たぶん、こんなことになるだろうと、野崎は先手を打ったのだろう。
逡巡する私を、ジョバンニはじっと見上げている。
――どうしよう。白龍様。私、手伝えないかも……。
私がそう思った途端、体が宙に浮かぶような錯覚を覚えた。
驚いてまわりを見回すと、さっきまでいた洞窟とは違い、周囲の景色が変化していた。
「ここは……どこ?」
「たぶん、黒龍の住処じゃないかな……」
「ジョバンニ、分かるの?」
「だって、白龍が助けて欲しがっていたワン。だったら黒龍の住処に違いないワン」
ジョバンニには、龍の匂いが感じられるようだ。
周囲は暗い穴蔵のような場所だった。
それでも白龍のいた洞窟と同じように、どこからか淡い光が差し込んでいるらしい。
ぼんやりと、土の盛り上がりや岩壁の輪郭だけが浮かび上がって見える。
でも、ここに白龍は来ていないようだった。
「なぜ白龍も一緒じゃないのかしら」
ふと地面に目をこらすと、足元の少し先に複雑な文様の一端が見える。
地底湖の小島にあった魔法陣とは比べ物にならないくらい大きいようだ。
――もしかしてここの地面いっぱいに魔法陣が描かれているのかしら。
ポケットから携帯を取りだし、ライトを点けると、やはりあの魔法陣に似た模様が浮かび上がった。
携帯を暗がりに向けると、土の塊だとばかり思っていたのは、巨大な龍がとぐろを巻いている姿だと分かった。
「随分、大きな龍ね。ここにずっと封印されていたら体が固まっちゃいそう……」
暗がりの穴蔵は、それなりの大きさはあるだろうが、この巨大な龍にとっては狭すぎるだろう。
《其方は、魔族か! 今度はなにをするつもりか。どこへも行けぬ我に、これ以上なにをしようというか!》
黒龍は威嚇するようにグルルッとうなり声を上げる。
私が向けた携帯の灯りが眩しいのか、嫌そうに目をすがめている。
大きくて禍々しくて、恐ろしげな黒い龍だった。
だが、自由を奪われ、体をここに縛り付けられている。
その姿に、私は言いようのない寂寥感が滲んで見えて、哀れみを誘われた。
「白龍さんに、頼まれてここに来ました。封印から解放して欲しいって。でも、どうすれば良いか私には分からないんです」
《我が番が、其方に請うたというのか。あれはどうしている?》
「白龍さんは自由になりました。宝玉を祠から出すことができましたので――でも、ここの封印はどうすれば良いのか……」
《我が封印は、他の八龍が解放されねば解けぬだろう。この封印は、龍が持つ宝玉の力を利用しておる》
黒龍は静かに語り始めた。
北からきた小さきものたちが黒龍を謀った。
初めは、黒龍に取り入り、油断したすきに、宝玉をかすめ取られたのだという。
――こんな恐ろしげな黒龍に立ち向かうだなんて、無謀な種族ね。それとも、ずる賢い種族なのかもしれない。
黒龍の宝玉は奪われしまい、そして砕かれた。
その欠片がこの巨大な魔法陣――いや、封印陣を描くために使われたのだという。
龍の宝玉は互いに引き合う性質を持つ。
さらに黒龍の持つ特有の力――闇を吸収する力――が、さらに拘束に力を与えているらしい。
自らの力で、自らを拘束される。
何とも陰険で、残酷な拘束だった。
「ほかの八龍……白龍の封印は解除できたから、あと七つ封印を解けば、黒龍さんは自由になれるんですよね」
《……ここに施された宝玉の欠片。それも、どうにかせんといかぬだろう》
そうなのか。まずは黒龍の宝玉の欠片を集めなければだめなようだ。
私は携帯のライトを、封印陣だという魔法陣に向けた。
等間隔に並ぶ八つの光が見える。
それを外しておけば、黒龍の拘束が少しは弱まるらしい。
勢い込んで魔法陣に足を踏み入れようとした、その瞬間――。
バシッ!
雷にでも打たれたような衝撃が走った。
「痛ーっ!」
封印に弾き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられた。
強かに腰を打ち、息が詰まる。
「モナミはここにいて。僕がいくワン!」
ジョバンニは何事もなかったように、すたすたと魔法陣へ踏み込んでいく。
白龍の魔法陣にも平然と入れたジョバンニだ。
もしかすると、あのときも私たちだけが弾かれていたのかもしれない。
この魔法陣には、強大な力が宿っている――科学では解明できないような不可思議な力が。
やがてジョバンニは、宝玉の欠片を一つ咥えて戻ってきた。
それを私の足元へ置くと、再び魔法陣へ向かう。
同じことを何度も繰り返し、最後の一つを運んできた。
一つ一つが二十センチから三十センチほどの壊れた欠片が八つ。私の足元に集まった。
それが、互いに呼び合うように少しずつくっつき、一つにまとまり始めた。
私は息をのみ、その様子をじっと眺めていた。
さすが、神様の宝玉だわ。なんて不思議……。
けれど、一か所だけ、どうしても埋まらない欠けが残っている。
「黒龍さん。欠片が足りないみたいですけど……」
《我の下、封印陣の中央に最後の欠片が埋まっておる。ここまで来てくれまいか》
――あの巨体の下にジョバンニを潜らせる?押しつぶされてしまわないかしら。
私の心配など意にも介さず、ジョバンニはスタスタと黒龍のもとへ歩いていく。
あれよあれよという間に、巨大なとぐろの中へ姿を消し、しばらくすると最後の欠片をくわえて戻ってきた。
宝玉に最後の欠片が吸い寄せられ、四十センチほどのきれいな球になった。
すると宝玉は、ゆっくりと宙に浮かび、黒龍のもとへ飛んでいく。
はっとして見あげると、黒龍はぬうっと立ち上がっていた。
飛んできた宝玉を鋭い爪でがっちりとつかみ、そのまま私たちを見下ろす。
黒龍の銀色の双眸が、ぎらりと光った。
私は思わず後ずさる。
あまりの迫力に、口の端がひくりと引きつった。
《これ以上、我はこの地を離れられぬ。ゆえに我を恐るることはない。白龍へ思念を送った。まもなく其方らをここより連れ出してくれよう》
黒龍の重厚な声が、私の心へ静かに染み渡っていく。
不思議と、その声には感謝の気持ちがこもっているように思えた。
同時に、私の体が、やわらかな膜でそっと包み込まれる。
母の胎内にいるような、理由のない安心感だった。
すると――突然、白龍の声が頭の中に響く。
《目をつぶって、心を落ち着かせよ》
言われたとおりに目を閉じ、深く息を吸って吐く。
そのたびに、体がふわりと浮き上がるような感覚が強くなっていった。
目を開けた次の瞬間。
私はジョバンニとともに、見知らぬ草原に立っていた。
足もとで、やわらかな草が風に揺れ、爽やかな香りが立ちのぼる。
穴蔵の閉塞感から一気に解放されて、思わずその匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
見上げると、白龍が青空にゆったりと身を横たえ、穏やかな眼差しで私たちを見下ろしている。
《ほほほ。黒龍から加護を授かったようじゃの》




