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「もなっち。ジョバンニのリード、しっかり持っていてね。ここは知らない異世界だから、何があるか分からないわ」
「……まさか着いてきちゃうなんて。今ごろ愛菜、困っているかも」
子犬のジョバンニ。神々の世界でエロスに光の球に還されて、しばらくすると、子犬となってまた生まれてきてくれた。だけど、私の知っていた、あのゆったりとしたジョバンニとは違い、今の彼は好奇心旺盛で、一時もじっとしていない。
ジョバンニは、成犬になってから、もらい受けた犬だった。だから私は、子犬のころのジョバンニを知らない。きっと彼は、子犬のころはこんなふうだったのだろう。
「ここは畑のようだ。所有者の権利を侵せない。ドアを設置し直さなければ」
佐藤さんは新型異次元ドアの《縮小》ボタンを押した。
赤い扉は音もなく半分ほどの大きさへ縮んでいく。
アルケディア産の鉱物だけで造られたこのドアは、神々の力をわずかながら受け継いでいた。
巨大な体を自在に縮める力。そして傷を癒やす回復力。
その性質を発見したとき、開発部は歓声に包まれたものだ。
今日の任務は、その新型ドアの本格的な試運転でもあった。
「あたいが、この世界とリンクしたときも大騒ぎになったけど、このドアは、さらにすごいことになりそうね」
弁慶は、アルケディアでの任務が終わったあとも、他の異世界とのリンクをあきらめていなかった。そしてとうとう新たな、この異世界を発見したのだ。
小さくなったドアは持ち運べるようになった。でも、まだかさばる。
これからもう少し改良していかなければならないだろう。
今回の調査隊は六人。
私たちに加わった新しいメンバーは三人だった。
異次元ドアの技術者、畑山さん。二十二歳の新人、小宮山くん。そして佐藤さんの助手を務める馬淵くんだ。
小宮山くんは女の子のように小柄で愛らしい顔立ちをしている。
彼はまだ新人なので、以前は愛菜がこなしていたような細々とした雑用を任されている。
馬淵くんは少し太めで、人懐っこい笑顔が印象的だった。
畑山さんは、私と同年代の三十一歳の女性だ。真面目で几帳面な性格らしく、私が少しでも不用意なことをすると、すぐに注意が飛んでくる。
どうやら、私とはあまり反りが合わないようだ。
今回の調査隊のチームリーダーは、畑山さんだ。
だから気が張っているんだろうな――と私は気軽に構えている。
元来、私は他人に打ち解けにくい性格だ。
畑山さんにとっては、きっと扱いにくい相手なのだろう。
弁慶や佐藤さんとは、にこやかに話しているようだし。
この異次元ドアを抜けるとき、愛菜は寂しそうに手を振っていた。
本当は一緒に着いてきたかったのだろう。
それでも、ジョバンニたちの面倒を見てくれることを、黙って了承してくれた。
けれど――そのジョバンニが、私の後を追って異次元ドアを抜けてきてしまったのだ。
彼女が、ふとした拍子にリードを離してしまったのだろう。
私を見上げるジョバンニは、「置いていくなんて酷いよ」と言っているようだった。
「モナミ。あの洞窟はどうかな」
佐藤さんが、異次元ドアを設置する場所を見つけてきた。
けれど、その前に畑山さんがすかさず口を挟む。
「佐藤さん、私がリーダーなんだから、まず私に確認を取るべきよ」
「そうでした。で、リーダー、どうでしょう?」
「広さも申し分ないし、獣がいる気配もなさそう。いいわね、ここにしましょう」
馬淵くんが、背負っていた異次元ドアを下ろし、畑山チーフが設置し直す。
洞窟内は、思った以上に広かった。
入り口は一メートル三十センチほどの細長い隙間だが、中は二十畳ほどもある。
ひんやりとしていて、どこかから灯りが差し込んでいるのか、薄明るかった。
私たちは、それぞれが持参したライトを点け、洞窟の中を探索し始めた。
「奥が深そうね。万が一のことがある。小宮山くんと馬淵くん、ちょっと見てきてちょうだい」
「リーダー、あたいも一緒に行きましょう」
弁慶が、新人二人と一緒に洞窟の奥の調査へ出かけていった。
残った私たちは、ここに仮の拠点を作ることにする。
いつでもディメンションリンク事業部に戻れるのだから、今夜の寝床は簡単なもので十分だろう。
「佐藤さん、畑があるということは、この異世界には人間がいるってことはっきりしたわね」
「そうだ。ただ、私たちと同じかどうかは、まだ分からない。頭が二つに、目が四つということだってあり得る」
佐藤さんは少しおどけて言ったつもりだろう。だけど、畑山チーフは本気にしてしまったようだ。
彼女の顔色が、みるみるうちに青ざめていった。
「佐藤さんったら! 畑山チーフ、冗談です。彼はおどけているんです」
「いや、アルケディアには頭が五十ある怪物もいる。どうだか分からないぞ」
佐藤さんは一体どうしたというのか。
チーフを脅して怖がらせてしまうなんて。
ゴクリとつばを飲み込んで、畑山チーフはつんと顔を上げた。
「そんなこと、知ってるわよ。ヘカトンケイルという怪物でしょう? 話は聞いている。
私は危険を承知で、この調査隊に志願したのよ。覚悟はしているから」
覚悟って……まるで死地へ赴くような言い方だ。
確かに未知の世界には危険がある。でも、そのために異次元ドアがあるのではないか。
危険だと判断したら、すぐに帰ればいい。
この新しい異世界に、野崎CEOはまだ特別な期待を寄せていない。
アルケディアで鉱物資源は十分に確保できた。
今回の任務は、たまたま第二の異世界とリンクしたその世界が、どのような場所なのかを調査すること。それだけだったはずなのに。
佐藤さんは、さっき少しふざけすぎたと反省したようだ。
畑山チーフに微笑みながら、こう言い訳した。
「チーフの覚悟は立派ですね。ですが、少し肩に力が入りすぎです。
今回の調査を開発部が担当しているのは、異次元ドアの開発をした我々の役目だからです。
異次元ドアの今後の課題を調べるのが主な目的。
それ以外は、深く調べなくてもいいと野崎CEOに言われませんでしたか?」
「……言われたわ……。でも、新たな鉱物の発見を期待するとも言われたのよ。私の手を取って、直接よ!」
畑山チーフは、ほんのりと頬を染める。
――え?
佐藤さんと私は、思わず目を合わせた。
『もしかして……』
『チーフは、野崎CEOが好き?』
お互い、目でそう言い合って納得する。
長年一緒にいて、何も言わなくとも通じ合う。以心伝心とはこのことだ。
畑山チーフは技術者であると同時に、鉱物学にも明るい。
その知識を見込まれて、今回の調査隊のチーフを任されたのだ。
野崎CEOはいま、とてつもなく忙しい。
アルケディア産の鉱物には世界中から問い合わせが殺到している。
各国はアルケディアへの渡航権を求めているが、日本政府は慎重な姿勢を崩していない。
何しろ神が治める世界だ。余所の国が勝手に入り込み、神に対して不敬な態度を取ったとしたらどうなる?
そうなっても責任は負えないし、私たちも神から不信感をもたれてしまうだろう。
他国は日本に対して非難囂々だそうだ。
そのうえ、今度は新たな異世界とのリンクまで成功してしまった。
――体が二つあっても足りないって、言っていたな、野崎さん。
野崎CEOは、目の回るような毎日を送っているのだろう。
***
洞窟の奥を探索していた三人が戻ってきた。
「この奥は、もっと広い空間でした。そして、泉がありました」
「その先は、行き止まりのようでしたが、すっごく幻想的な雰囲気でした」
若い二人は興奮している。
初めて異世界へ来て、早々未知の空間を探し当てたと目を輝かしているのだ。
泉は地底湖のようで、底は深く、暗くて見えないそうだ。
弁慶は、危険な生物がいるかもしれないと危惧している。
異世界には、どのような生き物が潜んでいるか分からない。 性質や行動パターンなど、地球とは何もかもが違っているかもしれないのだから。
ここは引き上げ、拠点を移すべきだろう。
私たちは皆でチーフを取り囲み、その決定を待った。
「……こ、今夜はここにいて様子を見ましょう。明日の朝、私も一緒に調べます」
外は真っ暗だった。
私は弁慶と一緒に洞窟の外へ出る。
夜は野生動物が活動する時間だ。洞窟から離れないよう、入口のすぐそばで足を止め、静かに空を見上げた。
「月かしら……あれは」
「大きな星にも見えるけど……月かもね」
漆黒の空には、多くの星々が瞬いていた。
白く輝く大きな天体が一つ浮かんでいる。月のようにも見えるが、どこか違う気もする。
ここにはどんな衛星があるのだろう。
この星の周りを回る周期は、地球の月とは違うかもしれない。
あるいは、あれは衛星ですらなく、この惑星系の別の天体なのかもしれない。
「弁慶。泉には何かいそうだった?」
「分からない。でも、泉の中に祠みたいなものが見えた気がするの」
「祠?」
「確実に見えたとは言えないから、さっきは黙っていたんだけどね。見間違いかもしれないし。でも、もし本当に祠なら、この場所は、住民にとって神聖な場所なのかもしれない」
弁慶は洞窟を見つめながら、小さく息をつく。
「……早くここから立ち去った方がいい気がする」
「でも……野崎さんが言っていたもう一つのことがあるでしょう?」
「そうね。一週間はディメンションリンク事業部には戻らないでと言われたね」
今、ディメンションリンク事業部にはスパイが入り込んでいるという噂があった。
狙いは、アルケディアへ通じる座標データらしい。
その座標を知っているのは、私と弁慶、佐藤さん、そして野崎CEOだけだ。
異次元ドアには座標を入力したあと、登録名へ書き換える仕組みになっている。
画面上から数値は消えてしまうため、他人が座標を知ることは、まずできない。
「他の国でも異世界にリンクしているはずなのに。なんで、よそのところにまで欲しがるかな」
「聞くところによると、あまりにも苛酷な環境だったり、水の惑星で陸地がなかったりするそうよ」
「リンクの念じ方が悪いのよ、それは。ちゃんと論文で教えたのに、どうしてかな」
弁慶は苦笑して、私のほうを見た気がする。
真っ暗で顔は見えないけれど、そう感じた。
「あたいが、どれだけ頑張ってこの異世界を見つけたと思っている?
それはそれは大変だったんだから。 頭が溶けちゃうかと思ったほどよ」
私がアルケディアを見つけることができたのは、よほど幸運だったのだろう。
あっという間にリンクできてしまったのだから。
「さあ、明日もあることだし、寝るわよ」
私の寝袋には、ジョバンニが入り込んで、ぐっすり眠っていた。
そっと抱き上げて、私も寝袋に潜り込む。
ジョバンニを抱きながら、ゆっくりと眠りの世界へ落ちていった。
***
夜が明けて、レトルトで簡単な朝食をとり、早速、洞窟の奥の探索に出かける。
若い二人は、今回は異次元ドアの見張りだ。
探索に向かったのは、私を含めた四人。
ライトも昨日より光量の強いものに交換した。
もちろんジョバンニも一緒だ。
連れていかなければ、いつまでも鳴きやまないのだから、仕方がなかった。
ジョバンニのリードをしっかりとつかんで歩く。
十分ほど奥へ続く通路を進んだところで、
「まるで、人工物のような通路ね」
と、畑山チーフが石壁をなでながら言った。
高さは二メートルほどあり、幅は一メートルもない、隧道のような通路だ。
「ノミの跡かしら……一定方向に、規則正しく削られているわ」
「昨日はそこまで観察できなかったわ。さすが、鉱物に詳しくていらっしゃるわね、チーフ」
「そんなこと……でも、ここは危険かもね。泉を見たあと、拠点を変えた方がいいかも」
慎重に進み、やっと泉のある空間まで辿り付いた。
そこは体育館ほどもある大きな空間だった。
その洞窟の幅いっぱいに水が、満々と湛えられている。
「チーフ、光をあそこに当ててみてください」
弁慶が、泉の中央あたりを指さす。
この泉は奇妙な造りをしていた。
岸辺は急激に深く落ち込んでいるように見える。
それなのに中央だけが、円形にゆるやかに盛り上がっていた。
その小島のような場所の中央に、小さな地蔵尊のような祠が建っている。
「なんだ。何か図形が見えるぞ」
佐藤さんが叫ぶ。私もライトを向けて目をこらすと、祠の回りに、まるで魔法陣のような図形が確認できた。
「ま、魔法陣?」
「榊原モナミさん! 馬鹿なことは言わないで。そんな魔法みたいなものがあるはずないでしょう」
チーフに、すかさず突っ込まれてしまった。
でも、円形で、平たい地面に複雑な文様と言えば、
魔法陣がまっ先に思い浮かぶのが普通ではないだろうか。
しかも、祠を封印しているように見えるのは、私がおかしいのだろうか。
弁慶がパンパンと柏手を打ち、祈り始めてしまった。
――それをやったら、チーフがまた怒り始めない?
私が冷や冷やしていると、案の定、畑山チーフが眉をひそめる。
「弁慶さん。なんのつもり?」
「チーフ。異世界の神に祈りを捧げるのは常識です。ディメンションリンク事業部、開発部ではね」
「そ、そうなの?」
チーフは半信半疑になりながらも、弁慶の真似をして祈り始めた。
仕方なく、私もそれにならった。
確かに、アルケディアでは祭壇まで作ってお供えした。けれど、ここに何が祀られているか、今のところ定かではない。下手をすると、悪い霊を封印しているかもしれないのに。こんな事をしていいのだろうか?
私の直ぐ横にいた佐藤さんが、苦しそうに腹を押さえている。
「どうしたの? どこか痛いの、佐藤さん」
「ぐう……いや。何でもないさ。あまりにも滑稽で……ふふふ……」
「滑稽って?」
佐藤さんがぼそりと、「弁慶も人が悪いな……」などと呟いている。
一体何のことを言っているのか、私にはさっぱりだ。
佐藤さんは弁慶の側へ行き、「ちょっとやり過ぎだぞ」と注意している。
畑山チーフが片眉をくいっと上げて、怖い顔をしだす。
「何よ! 私を担いだってわけ!?」
「まあまあ、ほんの冗談です。そんな目くじらを立てるほどのことではない」
「そうよ。アルケディアでは、本当にこうしてお祈りをするんですもの」
弁慶はけろりとして、まったく悪びれない。
私は、彼らのちょっとしたいたずらだったのかと、やっと納得した。
笑っていた私をチーフがきっと睨み付けて叫ぶ。
「榊原モナミ! あなたもグルね。いえ、あなたがやらせたんでしょう!」
「ち、違います。私は、ただ……」
「チーフ。もう戻りましょう」
気まずい雰囲気になってしまったのをかき消すように、佐藤さんが促してくれた。
私たちはきびすを返し、さて戻ろうとしたとき、それは姿を現した。
ゆるりと水の底から上がり、水面を破って、空中に浮かび上がったのだ。
白い巨大な蛇。
いや、小さな足が付いている。
「龍!!!」
私は、思わず声を上げていた。
「白い龍……東洋の龍に似ている……」
呆然と立ちすくんでいると、白い龍が話しだした。
《わらわに祈りを捧ぐるは、たれなるぞ》
誰も答えられない。答えたくても体が震え、たとえ声を発せたとしても意味はなさないだろう。
だがジョバンニは違った。
一生懸命、吠えている。
威嚇しているようではなく、何かを訴えているように見えるのは私の欲目だろうか。
だが、龍には通じたようだった。
《ほう。そうであったか。こことは違う異界の住人……とな》
「わん、わん」
《ほうほう、よかったではないか。優しい主人に巡り会えて。重畳、重畳》
なぜか会話が成立している。
ジョバンニは龍と話しながら、泉の縁までじりじりと近づいて行こうとする。
私はジョバンニのリードをしっかりと握りしめて、これ以上彼が龍に近づかないようにするので精一杯だ。
子犬なのに、随分と力が有る。
――ジョバンニの体にも、アルケディアの素材が混じり込んでいるのかも……。
ジョバンニはアルケディアにいるときに、光の粒が膨らみだして、突然生まれでた。
あの時は嬉しくって何も考えられなかった。
ただただ、ジョバンニにまた会えたことだけでいっぱいだったのだ。
でも……あの瞬間に、アルケディアの素材で体が出来上がったのは疑いようもない。
今更ながら、薄ら寒いものが、背中をすうっと伝っていく。
龍は、ジョバンニに向かって話し続けている。
この龍は白龍と言われているそうだ。
《……そういう訳で、わらわは百年の長きにわたり、この泉から出られなくなってしもうた》
白龍は、かつてこの地の守り神として祀られていたという。
ある日、北の民族が攻め寄せてきた。
彼らは怪しげな力を有していたそうだ。それに対抗するため、白龍は力の限り戦ったが敗れ、ついには己の力の源である宝珠を奪われてしまった。
そのうえ北の民族は、ここに宝珠を封じ込め、白龍が泉から出られないようにしてしまったのだ。
《この祠の中に、わらわの宝珠があるのじゃ。わらわには、この封印を解くことは敵わぬ……》
ここの神々も、おそらく不死なのだろう。
殺すことができないからこそ、北の民族は白龍を滅ぼす代わりに、この泉へと封じたのだ。
私たちは、いつしか緊張も忘れて、白龍の話に聞き入っていた。
「可哀想ね、白龍」
弁慶も、しんみりとそう呟いた。
百年ものあいだ、ここから出られずにいるうちに、本来なら守り導いてきたはずの、この地の人々でさえ白龍を恐れ、誰も近寄らなくなってしまったという。
《力ある人の子ならば、おそらく封印を解くことができよう……。じゃが、この地にはおるまいて……》
白龍は、未練がにじむようなゆっくりとした動きで、祠のまわりをぐるぐると回り始めた。
私は泉の縁を見る。すとんと深く落ち込むプールのような造りだ。どれほどの深さがあるのか。
祠までは十五メートルほどだろうか。泳いで渡ることはできるだろうが、封印を解くことなどできそうにない。
ただ、哀れみをもって神を見ているしかないのだ。
肩を落として白龍を見上げていると、スルリと私の手から、リードが抜け、ジョバンニは水に飛び込んでしまった。
「ちょ、ちょっと! だめ、あなたにも無理よ。戻っておいで!」
ジョバンニは小さな手足を懸命に動かしていた。犬かきだ。
しばらくして祠のある小島にたどり着くと、そのまま小さな祠の中へ入っていった。
私たちは、ただ息を詰めて見ているしかできないでいた。
やがて、その祠から丸い光り輝く球が転がり出て、ころころ、ぽちゃんと水の中に落ちた。
ジョバンニが祠から出てきて、また水に飛び込み、私のもとへ戻ってきた。
得意げな、やり切った顔をしている……ように見える。
チーフや佐藤さんたちは、目を丸くしてジョバンニを見ている。弁慶は、水面に沈んだ宝珠の行方を追うように目をこらしていた。
白龍は一瞬きょとんとし、何が起きたのか理解できないでいるようだった。
そのあと、はっとしたように大きな体をしならせて、水の中へ飛び込んでいったのだ。
やがて、水から再び姿を現した白龍は、私たちの立つ場所までやってきた。
鋭い爪の生えた前足で、三十センチほどの宝珠をがっしりとつかんでいる。
《ようやってくれた。褒美をとらわす。何が良いか》
そこで、佐藤さんが食い気味に望みを伝えた。
「ここに拠点を作らせてほしい。私たちは、この世界にしばらくいて調査がしたい」
「ちょっと、佐藤さん。何を言い出すの。拠点を引き上げると私が決めたばかりでしょう」
「チーフ。ここほど良い場所は見つかりませんよ。ここには住民が寄ってこないようですし、一週間ここを拠点にして、周りを調べて回れるじゃないですか」
「……」
《ここに住まわせることは構わぬが、そんなことが褒美になるとは思えぬ。他に何かないのかえ?》
そこで、私はふと思いつく。
この世界の言語はどうなっているのか。
神とは思念で通じているようなので、アルケディアでは問題はなかった。
だけど、ここには人間のような生き物がいる。言葉は通じないと思っておいたほうがいいだろう。
神ならば、何かしら力があるのではないだろうか。
「白龍様。この世界の言葉を、私たちに与えてくれませんか?」
《ほほう。言葉とな……良かろう。かつて、わらわが地の子らに与えたものじゃ。其方らにも授けようぞ》
白龍が抱える宝珠から光が放たれ、私たちの全身を包み込んだ。
その光の中で、不思議な抑揚をもつ言葉が、じんわりと頭の中へ染み込んでくる。
どこか、沖縄の言葉にも似た、やわらかな抑揚を持つ響きだった。
突然ジョバンニが、吠え出した。
そして――
「モナミ! 話ができるようになったわん!」
***
自由になった白龍はその場から消え、どこかへ行ってしまったようだった。
「ここは、白龍の住処だから、その内戻ってくるわん」
ジョバンニはあの短い間に随分と白龍から話を聞き出していたようだった。
畑山チーフは、一人憮然としていた。
「このチームは、チーフである私を差し置いて話を進めてしまうのね。いいわ。日本へ戻ったら、この事は報告書にしたためて、野崎CEOにはっきり言いますから」
今まで私たちのような勝手気ままなチームとは縁が無かったと言ってぷんぷんしている。
かなりプライドが傷ついたようだ。
「畑山チーフは優秀で、綺麗な顔をしているから、今までは、周りからちやほやされすぎて来たんだな」
佐藤さんは涼しい顔でそう酷評していた。
この間から、佐藤さんは畑山チーフに対して、随分と厳しいように感じる。
私たちには、こんな態度を取ったことがなかったのに。
「弁慶……佐藤さん、どうしちゃったのかしら」
「彼は、疑っているようよ」
「え、なにを?」
いつものように、洞窟の外で、弁慶と私はこっそり話をしていた。
弁慶は、畑山チーフは本社から派遣された技術者だと言った。
本社とディメンションリンク事業部は今、微妙な関係だという。
本社は元々異次元ドアの製造販売を手がけていて、その一つの分野としてディメンションリンク事業部が作られた。
異次元ドアのメンティナンスや、種々雑多な仕事。そして開発もその中の一つだ。
だが今、ディメンションリンク事業部の躍進がすさまじく、本社を飲み込む勢いだという。
その本社からの派遣社員と言うだけでチーフを疑うのはどうかと思うが、私には分からない複雑な力関係があるらしい。
「野崎CEOは縁故関係でディメンションリンク事業部を任されたって、本社の役員から陰口を囁かれていたの。もなっちは知らなかったでしょうけどね」
「ふーん。でも、それがどう関係するのかしら」
「本社をしのぐ勢いで成長したディメンションリンク事業部は、本社を飲み込んで、立場が逆転するかもしれない。本社を仕切っているのは、野崎CEOの従兄弟。その人が危機感を抱いている……と言ったら、もなっち、分かる?」
何となく分かったような気がする。つまりは覇権争いということなのだ。
同じ会社の中にも、スパイがいるかもしれないなんて……野崎は大変だ。
弁慶はさらに話した。
「あの、野崎CEOがチーフの手を握ってまで異世界調査への参加を頼み込んだでしょう。あれを見て佐藤はピンと来たみたいなの。チーフはすっかりその気みたいだけど……CEOがそこまでして送り出そうとしたのは、本社から少しでも遠ざけたかったからじゃないかって」
野崎は、私たちがいない一週間のあいだに、会社の中を調べているそうだ。
私は、想像してしまった。
会社のあちこちにスパイがいて、ひそかに暗躍している姿を。
「野崎さんは、これからどうするんだろう。本社といがみ合っても、良いことなんてないだろうに……」
「本社は以前、ディメンションリンク事業部を切り離したことがあったでしょう? あれは国からの依頼があって、受けざるを得なかったという経緯があったの。だから一時切り離して、ディメンションリンク事業部に仕事を押し付けた。本社に被害が及ばないようにね。野崎CEOは、もしかすると、ディメンションリンク事業部を本社から独立させることを考えているのかも」
よその国からは、開発部のメンバーを引き抜こうという話も出ているようだった。
なんと世知辛いことだ。
自分たちで工夫して、ここまで大きくなったのに、横からかすめ取られそうになっている現実。
野崎が、だんだん哀れになってきた。
弁慶が「もう寝よう」と言いだし、私たちが洞窟の入り口を振り返ったとき、そこに畑山チーフが佇んでいた。
彼女は泣きそうな顔で、こう訴えた。
「わ、私は、疑われていた……そういうこと? 私はスパイなんかじゃないわ!」
チーフはずんずんと洞窟の奥へ行ってそれきり口を開かなかった。
次の日、彼女はチームのみんなを集めて、「私はチーフを降りる」と宣言し、佐藤さんに引き継がせた。
その後は、洞窟の隅でじっとしている。
私たちは顔を見合わせて、困惑してしまった。
「佐藤さん。何とかしてください」
「このままではチームの雰囲気が悪くなってしまいそう」
若い二人はおろおろしながら、佐藤に頼み込む。
佐藤さんは、仕方がないなというふうに首をかしげて、元チーフのところへ行き、こそこそと話し出した。
私たちは聞き耳を立てながら、ことの成り行きを見守った。
けれど、小声で話しているので、ほとんど聞き取れない。
たまに畑山さんが「ぐすっ」と鼻をすする音だけが、やけに響いた。
しばらくして、佐藤さんが畑山さんを連れて、私たちのもとへ戻ってきた。
「畑山さんは、やはりスパイだったようだよ。本人に自覚はなかったようだが。だから今後、私がチームリーダーになることに決めた」
畑山さんが一歩進み出て、ぺこりとお辞儀し、私たちに詫びる。
「わ、私は、本社からこう言われていました……ディメンションリンク事業部を安定させるために……わ、私が、野崎CEOの懐に入り込んで、心をつかめ……と」
顔を真っ赤にしながら、そう言い切ったのだ。
「ええーっ!」
「何それ! 色仕掛け?」
弁慶は容赦なかった。
佐藤さんは、私を呼び寄せて、洞窟の奥へ行こうと誘った。
私は素直についていく。
泉にたどり着くと、彼はぽつぽつと話し出した。
「畑山が君に辛辣だったのは、君を孤立させるよう指示を受けていたからだった」
「私を孤立? なぜ……」
「君を野崎から引き離し、本社に取り込もうとしたかったのだろう。モナミは、我がディメンションリンク事業部の『打ち出の小槌』だと知られているようだ」
まるで宝を生み出す魔道具扱いの言い方だった。
「ちょっと、酷くはないですかその比喩」
「本当のことだ。じゃあ言い換えればいいのか? 幸運の女神……とか」
ますます恥ずかしくなるではないか。
ただの、人付き合いが苦手な研究者には過ぎた言葉だろう。
今後は、畑山さんも普通に接するようになるから安心するように言われ、私たちは泉を後にした。
***
これから五日間かけて、この近辺を調べることになった。
畑山さんは地質調査のため、若い二人を連れて洞窟の周辺や山の上へ向かう。
私は弁慶とジョバンニと一緒に、畑のあった山裾を歩き、住民との接触を試みることになった。
佐藤さんは、洞窟に設置した異次元ドアの見張り役だ。
山裾の畑には、蕪に似た作物が植えられている。
「一つだけ分けてもらえないか、聞いてみよう」
物置小屋を覗いてみたが、誰もいなかった。
そこで、この近くに村か街があるのだろうと見当をつけ、細い農道を歩き始める。
「ジョバンニ、人の匂い、分かる?」
ジョバンニは、くんくんと辺りの匂いを嗅ぎ回る。
やがて、ぴたりと顔を上げると、
「こっちだワン!」
と元気よく駆け出した。
しばらく下っていくと、集落が見えてきた。
川が流れその川の周りに村が形成されているようだ。
「私たちの集落と変わらないわ。私たちと似たような文明かもね」
細い道に沿って建物がポツポツと建っていて先へ進めば三十件ほど纏っている。
「あのあたりがこの村の中心みたいね」
人が歩いている。彼らに言葉が通じるか試してみることができそうだ。
異世界で初めて出会う知的な生命……なんだかドキドキしてきた。
近づくにつれ、彼らの姿がはっきりしてきた。
背丈は百三十センチほどだろうか。みな小柄だ。服装は麻のような、目の粗い生地で作られたもの。
けれど仕立てはそれなりに精巧で、ズボンに、袖のないシャツ。その上からチョッキを着ている。
中には、もう少し手の込んだ服を着ている者もいた。
彼らは確かに人間のような姿だが、少しだけ違っていた。
顔が、まるで爬虫類のようなのだ。
少し前に突き出た顔かたち。鼻のあたりには空気を取り込む穴が開いている。目は細く、肌には鱗のようなものがあった。
「弁慶、私たち、ここで浮いてしまわない?」
「そうね……でも話してみないことには、調査にならないでしょう」
一人のトカゲ人が、私たちを指さして叫んだ。
「彼奴らだ! ほら、ちゃんといたんだ。おらは嘘なんか言っていないんだ!」
「と、トニオの言う通りだ……魔族だ!」
建物の中から、わらわらとトカゲ人たちが出てくる。
どこにこんなにいたのかと思うほどの大人数だ。
総勢三百人ほどのトカゲ人に、私たちは取り囲まれてしまった。
彼らは口々に叫ぶ。
「白竜様を解放しろ!」
「忌まわしい魔法を解いてくれ」
ある一人は、
「この魔族を人質に取れば、魔族と取り引きできんか?」
ジョバンニは平然としている。その様子を見るかぎり、今のところ命の危険はなさそうだ。
私は思いきって、トカゲ人たちに話しかけてみた。
「あの……初めまして。私たちは、ここに初めて来た異国の者です。決して危害は加えません。ですから、ここの責任者にお目通り願えますか?」
私がそう言うと、周りはしんと静まりかえった。
建物の中から、こつ、こつ、と杖の音が近づいてくる。
腰の曲がったトカゲ人が、ゆっくりと前に進み出て、こう言った。
「おめえらは、魔族とも少し違うようだ。どこから来なすった」




