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アルケディアの拠点は、再び騒然となった。
「神の戦争が終わったばかりだろう。それなのに、またすぐにこれだ!」
「一体、この世界はどうなっているんだ」
「鉱物資源はどうする。まだ半分も搬出が終わっていないぞ」
職員たちは口々に叫び、佐藤さんへ詰め寄った。
一応、佐藤さんがこの拠点の責任者なのだから仕方ない。だが、彼に文句を言っても筋違いだった。
ヘスティアからの警告を伝えたのは私だ。
だから、どうしても後ろめたい気持ちになる。
職員たちの不満や愚痴を、佐藤さんは一人で受け止めてくれた。
やがて皆を落ち着かせると、拠点の撤収準備を始めるよう指示を出す。
「弁慶。ゼウスは、どうして私たちを排除しようとするのかしら。私たちは何も攻撃していないのに」
「私が思うに、あの神様は心が狭いのよ。自分が一番でなければ気が済まないみたい」
「何よ、それ! 私たちに名前をもらって力を得たくせに……ひどいわ」
愛菜は怒りで顔を真っ赤にしていた。
「とかく権力者とはそういうものよ。力は自分だけのもの、周りには与えたくない。それが世の習いだわ」
弁慶は悟ったように言うけれど、神もそうなのかと思うと、気持ちが萎えた。
――まるで人間の写し絵のよう。神はもう少し違うと思いたい。
だけど、神に私の思いなどが通じるとは思えない。
私たちは、大人しく撤退するしかなさそうだ。
ここで、井ノ瀬博士がぼそりと呟いた。
「ゼウスは……誰から名をもらったのかしら」
「あたいよ。でも、名をつけた瞬間に弾かれたの。『貞淑な神ゼウス』って名づけた途端、雷に打たれちゃったのよ」
弁慶は苦笑しながら、そのときの出来事を皆に話した。
井ノ瀬博士は腕を組み、しばらく考え込む。
「でも、この世界には元々『名前』という概念自体がなかったのでしょう。だとすれば、『ゼウス』という名そのものは受け入れられたことになります」
「つまり?」
「『貞淑な神』という意味づけは拒絶された。でも、『ゼウス』という存在名だけは成立した。完全ではなくても、名には何らかの拘束力が働いている可能性があります」
井ノ瀬博士の瞳は、その可能性を確かめたいという探究心に満ちていた。
やはり彼女も、筋金入りの研究馬鹿だ。
「だから私は残りたいわ。まだ、ここの植物を調べて回りたいの」
「じゃあ、残るの? 私たち……」
愛菜はくるりと弁慶の方へ振り向き、目で訴える。「弁慶は絶対残る組よ」とでも言いたげに。
弁慶は、ふるふると首を振った。
「あたいには無理よ! ゼウスに対抗なんてできるわけない!」
井ノ瀬博士は、今度は私を見てさらに言いつのった。
「モナミさん。あなたが名付けた神は? 助けてくれないかしら」
「……たぶん、助けてくれます。でも、神同士を戦わせるのはいやです」
そこで、佐藤さんが、ゆっくりと話し出した。
「野崎CEOは、国との折衝に力を尽くして、ようやく決着しそうなんだ。国は世界に向けて、鉱物資源を売り出すことに決めた。だから、このままでは国にも会社にも痛手を与えることになる。モナミ、何とかならないか?」
皆に見つめられ、思わず縮こまってしまう。
ヘパイストスやヘスティア、アトラス、エロスにガイア。キュクロプスやプロメテウス、ティターンたち――。
彼らは、呼べば来てくれるだろうか。
でも、ヘスティアはここから立ち去れと警告してくれた。
もしオリュンポスの神々が総出で押し寄せてきたら、彼らでも太刀打ちできないのではないか。
それに――。
私がこの世界に「アルケディア」と名をつけたのは、神々が仲良く、平和に暮らせる世界であってほしいと願ったからだ。
その名付け親である私が、神々を争わせるきっかけを作ってしまって、本当にいいのだろうか。
***
職員たちは避難してもらったが、結局私たち開発部のチームは残ることになった。
拠点の前には、まだ運び出せずに残された鉱物が山と積み上がっていた。
佐藤さんは、拠点から離れて森へ入るという。森にはサテュロスたちもいるので、少しは力になってくれそうだというのだ。
私は、彼らには神に対抗する力はないと言ったが、佐藤さんは首を振った。
「それでも、少しは力になってくれるはずだ」
彼らを盾にするということ? だめだ。それはいけない。
「モナミ。私たちは遊びでここに来たわけではないんだ。これは国を挙げての仕事だぞ。気持ちを切り替えてほしい」
「そうよ。戦うのではなく、話し合いの時間を稼ぐだけ。神々を戦わせるわけではないの。分かって、モナミさん」
「……はい」
サテュロスたちに名前をつけたのも私だ。
なんということをしてしまったのか……。
もう後へは引けない。きっと、そういうことなのだろう。
森の中で、いつ神々が攻めてくるかと戦々恐々としていると、サテュロスの誠一が伝言を持ってやって来た。
彼には、拠点の偵察を頼んでいたのだ。
《苔の精霊モナミを呼んでこいって、野崎っていう人から言われた》
「なんですって! 野崎さんが、こっちへ来たの!?」
恐る恐る森を出て拠点へ向かうと、野崎が腕を組んで空を睨んでいた。
野崎の視線の先には、一本の大木がそびえている。
それは、かつて野崎が幻獣ヘカトンケイルに名を与え、アンブレラ・ソーンへと変えた大木だった。
「野崎CEO!」
「ああ、話は聞いた。だからここへ飛んできたんだ。このまま引き下がる訳にはいかない。私に考えがある」
野崎は、オリュンポスの神に対抗手段を思い付いたのだという。
この木の名前を元に戻して、神と戦わせるという。そしてもう一体の幻獣も、今呼び出している最中だというのだ。
「ま、まさか……テュポーンを?」
私は『名前の拘束』を試したことがなかったが、野崎はそれを今回使ってみるというのだ。
「そうだ。だが、遠くへ行っているのか、まだ姿を見せない。まったく、エリマキトカゲにしたのは失敗だった。トカゲは頭が悪すぎる」
テュポーンは、恐ろしく強い幻獣だ。
ギリシャ神話では、ゼウスでさえ苦戦したほどの怪物であり、ガイアが生み出した怪物の中でも群を抜く存在として語られている。
この世界では、その実体が曖昧なまま現れ、本来ガイアが生み出すはずだった姿を、私たちが名付けによって変えてしまった怪物だった。
「で、でも、テュポーンは強力すぎて世界を壊してしまうって、以前、野崎さんが言っていたじゃないですか!」
「あの時は、この世界の回復能力がどれほど規格外なのか知らなかったからな。」
野崎は迷いなく言い切る。
「ここは壊れても元に戻る世界だ。それに神々は不死だ。コテンパンにやっつけてから、こっちの話を聞いてもらう」
私は開いた口が塞がらなかった。
野崎の言い方は、まるで戦士のようだ。本気で神々に戦いを挑むつもりのようだった。
野崎の、この変わりようは何だろう。国と会社を背負い、ようやくここまで漕ぎ着けた。
あの、慎重で用心深かった野崎をここまで逞しくしたのは、彼の肩にのしかかる重責と責任感なのかもしれない。
野崎はアンブレラ・ソーンへ歩み寄ると、その名の解除を告げた。
次の瞬間、大木は揺らめき、巨大な幻獣へと姿を変える。
野崎は間髪入れず、新たな名を与えた。
「怪物よ。お前は私の僕――ヘカトンケイルだ!」
幻獣の輪郭が一気に鮮明になった。
五十の頭と百本の腕を持つ巨人は、そのすべての腕を一斉に胸元へ引き寄せ、野崎へ向かって見事な敬礼を見せる。
不気味な姿でありながら、その仕草だけはどこかコミカルだった。
野崎は唇を震わせながらも、一歩も引かない。
「これから神々がここへ来る。阻止せよ。拠点を守り切れ!」
程なくして、巨大な体に神々しい光をまとったオリュンポスの神々が、岩山のふもとへ次々と姿を現した。
――ポセイドンまで……。
神々が勢ぞろいした様は、巨大なビル群が建ち並んでいるかのようだ。
中でも古き神ポセイドンは威風堂々としており、ゼウスと並んでも遜色ない威厳をまとっている。
もちろん、名前は口が裂けても言ってはならない。
心の中では、神々の名がぐるぐると巡る。
だが、それを口にした瞬間、何が起こるか分からないのだから……。




