27
拠点のガラクタをかき分け、野崎はようやく異次元ドアの前に立った。
次の瞬間、彼は言葉を失う。
異次元ドアを支える枠は完全に崩れ落ち、ドアは支えを失って倒れていた。
悪い予想が的中してしまった。
――私たちは、日本へ帰れなくなった……。
***
私は野崎にこの事を知らされて、「やっぱり」とぼんやり答えていた。
何となくは予想していた。
拠点の壊れ具合を見れば、薄々感じてはいたことだった。
いつ頃ドアが壊れたのかはわからない。けれど、地球とのリンクが切れた以上、同期していた時間の流れは崩れてしまっているはずだ。
異世界と地球とのあいだにある二十四倍の時間差を考えれば、少なく見積もっても、地球側ではすでに二年以上が過ぎている計算になる。
日本に置いてきたペットたちは……とくにジョバンニはもう高齢だ。
時間差を計算すれば、すでに寿命を迎えていてもおかしくない。
その事実を思った途端、力が抜けて、私は背中を丸めてうずくまった。
「私と榊原君は、この世界のアダムとイブの役回りになったようだな」
「え?」
そうだ。この世界に人間は、私たち二人しかいない。
――なんだか、神話がごちゃ混ぜだわ……。
あまりの馬鹿馬鹿しさに自分でもおかしかったのか、野崎は苦笑いをしている。
彼は、まず住む場所を作ると言って、拠点のガラクタを物色し始めた。
私も手伝わなければならない。
それなのに、体に力が入らず、立ち上がることもできなかった。
ここに残ると決めたときは、こんなことになるとは思っていなかった。
後先考えずに行動した結果、野崎まで巻き添えにしてしまったのだ。
プロメテウスは、力なくうずくまる私をチラリと見たが声は掛けない。
ただ、黙々と野崎の手伝いをしていた。
《これが壊れたせいで、故郷へ帰れなくなったのか》
「ああ。これは私たちの世界が生み出した画期的な発明だった。だが、神の力の前では無力だ。科学というものは……」
野崎はそこで言葉を切り、崩れ落ちた異次元ドアを見つめる。
《これが元に戻れば、人の神は嬉しいのか?》
「ははは。それはもう、飛び上がって喜ぶさ」
《では、われが元に戻してみよう》
「っ! できるのかっ!?」
《復元の力を使えば、何とかなるだろう。これを新たに作ることはできないが、壊れたものを元へ戻すことならできる》
傍らでその話を聞いていた私は、思わず目を見開いた。
あまりにも意外な言葉だった。
けれど、相手は神だ。
ヘパイストスからも、人の科学では到底作れない不思議な神器――神々の目を欺くスカーフを授かっている。
もしかすると……。
まだ諦めるのは早いのかもしれない。
プロメテウスは元の巨大な姿に戻り、私たちに下がっているように言う。
彼が手から青い火を灯す。初めは小さな種火ほどだったが、少しずつ大きくなっていく。大きな掌から溢れそうなほど育った火を、プロメテウスが拠点に放った。
火は青いベールのように拠点を覆い尽くし、広がっていく。
しばらく経つと、火は霧が晴れるように、すうっと消えた。
すると、半壊していた拠点が、時間が巻き戻るようにゆっくり元の姿を取り戻していく。
《やはり、世界そのものが変化しておったか……元に戻すには、しばし時を要する……》
プロメテウスは、自らの確信を噛みしめるように、低くつぶやいた。
神の力の何と偉大なことか。
その光景に目を奪われた野崎は、吸い寄せられるように拠点の中へ足を踏み入れた。私もその後に続く。
壊れて、ごちゃごちゃに荷物が散乱していた足元は、元通りの姿を取り戻していた。
そして異次元ドアも。
「榊原君、今、ここを抜けよう。ディメンションリンク事業部がどうなったか心配だ」
私は一も二もなくその言葉に従い、異次元ドアをくぐった。
異次元ドアの中に入れば、これまで何度となく経験した不快感が襲ってくるけど、今はその不快感さえ気にならないくらい、私は高揚している。
――戻れる!
そのことだけが頭を支配していた。
遠くに出口の灯りが浮かんでいる。そこを目指して進み、やっとそこへたどり着いた。
喜び勇んで通り抜けた私の後ろから、声がかかった。
《ここが人の神の故郷か》
「え、ええーっ! プロメテウス!」
大きな体を屈ませて異次元ドアから出てきたのは、確かにプロメテウスだった。
ディメンションリンク事業部側は閑散としていた。
いつもは異次元ドアの管理をしている作業員がいるはずなのに。
異次元ドアを覆っている建屋を出るとそこは広い空き地だ。大きな重機が整然と並んで止まっているが人っ子一人いなかった。
「と、取り敢えずは、良かった……のかしら」
人がいないため、プロメテウスが来た事を誰にも知られることがない。私はほうっと一息ついた。
もしここに職員がいたら、異世界から神が来てしまったと大騒ぎになるところだった。
プロメテウスを見て、普通の人間だと思う者はいないだろう。三メートルもある人など、見たことがあるはずがない。
けれど野崎は、別のところで愕然としていた。
「職員がいないだと――まさか会社が解体してしまった……? 一体今は何年だ」
そうだ。時間のズレ問題があった。
私たちは、数棟が立ち並ぶ施設の中を見て回ることにした。
プロメテウスには、異次元ドアのある建屋の中で待機してもらう。
あとで荷物の搬出用シャッターを開けて、外に出てきてもらうしかないだろう。
しばらく施設の中を見て回り、私たちはまた重機の置かれた広場に戻ってきた。
そこで私たちは足を止める。
私たちの前に、一匹の大きな犬が飛び込んで来た。
いや、犬ではない。
三つの頭を持つ魔獣――ケルベロスだった。
「ケルベロスまで……一体どういうことだ!」
大きな犬の背からから、ぴょんと愛菜が飛び降りてきた。
「あっ、やっと戻ったんですね! 良かったです。弁慶たちに知らせてきて、コロくん」
ケルベロスは、
《グオン》
と一声鳴くと、勢いよく駆けていった。
「愛菜君、それより君たちがここへ戻ってから何年経った」
「……何年って。二ヶ月ですけど」
「たった二ヶ月……どうして……」
ほどなく、弁慶たちがケルベロスの背中に乗ってやって来る。
「野崎CEO、お帰りなさい」
微笑みながら佐藤さんも寄ってくる。
野崎は挨拶もそこそこに尋ねた。
「施設に誰もいないのは、どういうことだ?」
「あ、それはコロくんが着いてきちゃったからです。避難は突然で……慌てて《待て》って指示する暇もなくて」
愛菜は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。
「もし何かあったら大変だからって、佐藤さんが職員を本社へ避難させたんです。……だめでしたか?」
「……そうだったのか」
野崎は、張り詰めていた気持ちを吐き出すように息を吐いた。
「私はてっきり、会社そのものが解体してしまったのかと思った」
「野崎CEO。向こうで何かあったんですね。一体何があったんですか」
「神々の戦いに巻き込まれて異次元ドアが壊れてしまった。だから此方とのリンクが切れたと思っていた……どうやらリンクは切れていなかったようだな。だが、なぜだ」
「本当に壊れていたんですか?」
と、弁慶が、そもそもの疑問を口にする。
「……私は技術者じゃないからな、確認はできなかった……」
野崎は、ばつが悪そうに目をそらす。どうやら彼は、早合点していたようだ。
「それより、神々の戦いはまだ続いているんですか?」
「それは終わった。異次元ドアも元に戻ったし、拠点の施設も復元した。プロメテウスのお陰でな……そうだ! 一刻も早く元の世界へ戻ってもらわねば」
ケルベロスも帰ってもらわなければならない。
私は、ふと彦麻呂も帰りたくなったのではないかと思った。
「彦麻呂はどうしている? 彼方の世界は変わったと教えてあげれば、帰るかも」
愛菜は心配そうに私の家の方角を見ながら、
「でも、彦麻呂は神様じゃなくなったのよ。帰りたくても、神の世界で生きていけるのかしら」
「コロのこともあるし、名前を変えることは可能だと思うわ」
私たちが話しているところにプロメテウスが、狭い出口から這い出してくる。
《われも、人の神の故郷を見て歩きたいのだが》
四つん這いから立ち上がった神を見て弁慶が腰を抜かした。
「巨人まで、連れて来ちゃったの……」




