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ヘスティアは、今日も竈の火をじっと見つめていた。
神々は、開闢以来、何万年も同じことを繰り返している。
たまに、その生活に倦いて突発的に行動を起こす神々もいる。
天を統べる神々の王は、女神やニンフを追いかけ回す。
嫉妬深く陰湿な、王の妻である女神がそれを知り、怒り狂う。
そして、大地を統べる神々の母は、息子たちを使い、過去の私怨を方々へぶつける。
ヘスティア自身は、そんなことにはお構いなしに、パンを焼く。
神々には硬くて不味いと言われ、一瞬、涙がこぼれ落ちそうになる。それでも、また同じようにパンを焼くのだ。
そんなある日、ヘスティアと似たような、大人しい神がこの竈のある空間に姿を見せた。
《竈の女神。われは名を授かった。今後は、われのことをヘパイストスと呼んで欲しい》
《名前とは?》
《今までのように、出自から延々と語ることなく、すぐにわれを表すことができる、簡潔で素晴らしいものだぞ。さらには、体の底から力が湧いてくるようになる。まるで、本当の体に作り変えられたような心地だ》
ヘパイストスによれば、大地の母であり神々の始祖は、「ガイア」という名を授かったという。
名を授けてもらうには、人間という、遠方より渡りし小さな神に、加護を授ければ良いのだと言われる。
名を受ければ、我が存在感の薄さが、少しは緩和されるのだろうか。
彼女は、さっそくヘパイストスから聞いた場所へと赴き、「ヘスティア」という名を授かったのだった。
人という神は、本当に小さく弱々しい神だった。
《われの授けた加護は、彼らを守り、暖めてくれることだろう》
ヘスティアが、いつもの竈の前に立ち、パンを焼く。
ふっくらとした、香ばしいパンが焼き上がった。
神々は驚き、そしてパンをむさぼるように食べてくれた。
その姿を見て、彼女は心から満足したのだった。
ある日、ガイアがまたいつものように声を張り上げていた。
《われが生み出した子らが消えてしまった。たれの仕業ぞ!
さては、天を統べる好色なる雷の出来損ない、その方であろう!》
《知らぬ。始祖の生み出した怪物とは……。性懲りもなく、まだそのようなものを生み出しておられたのか。いい加減、おとなしく余生を過ごされてはどうだ、ご老体》
《ぬかせ! どこへ隠した!》
《だから、知らぬと言うておろう……》
影からそっと見ていたヘスティアは、ふうっとため息を吐く。
《また始まるのでしょうね。神々を巻き込む諍いが……》
その日から、ヘパイストスは武器を作るように言われ、鍛冶場に籠もるようになった。
ヘスティアは相も変わらず、神々からは期待されずにパンを焼く。
でも、この頃は体に力が湧き始めた。
《戦いに出ても、少しは役立つのでは?》
女神は少しだけ自信に満ちた顔で、そう呟いたのだった。
大地の母はティターンを呼び寄せたようだ。雲を突くような巨体の神々。
天空を統べる神の王は立ち上がる。
もはや大戦が始まるのかと、皆で息を詰めて見守っていたが、王は、
《野暮用を思い出した》
と言い残し、すーっと消えてしまう。
後に残された神の妻は、眉間にしわを寄せて手を震わせた。
《もしや、また性懲りもなく遊び回るおつもり……》
大地を揺らしてガイアは笑う。
《腰抜け王が逃げおったわ》
ティターンも揃って笑いあった。神々の声が空に響き渡り、天からは白い雪がはらはらと舞い落ちた。
《今回は、大きな戦にはならないようですね》
傍らに現れたヘパイストスも、和やかに微笑んで、
《そのようだな。王は戦わずに逃げる道を選ばれたようだ。賢明な判断だった。名を受け、その神威は以前とは比べものにならぬ。今のガイアに挑めば、王といえど勝ちは薄かろう》
たとえ勝ち負けがついたとしても、不死の神々には痛くもかゆくもないだろうに。
このようなことを、今後も繰り返していくのだろう。
ヘスティアは、代わり映えのしない毎日にふと、名を授けてくれた、人という小さく弱々しい神を思う。
《あそこの空気は華やかに色づき、変化があった。また行ってみたいものよ……》
ガイアが笑いながら地にめり込み、ティターンたちは戻っていく。
そこへ、人を乗せた白い牛が現れた。
ヘスティアは、また神々の王のお戯れかと、あきらめ顔で見ていると、人は突然、雷に包まれ、その姿を消した。
あまりの所業に息を詰めて王を見る。
王は凄惨な顔つきに変わり、こう叫んだのだ。
《わが名は、ゼウス!》




