23
二日後に、弁慶が戻ってきた。
それまで拠点では、どうするかと大騒ぎだった。
捜索隊を組もうにも、どこを探せばいいのか分からない。皆で話し合い、森にも何度か足を運んだ。
ニンフやサテュロスにも聞いて回ったが、弁慶の行方は杳として知れなかった。
それが今、拠点に戻ってきたのだ。
「弁慶!」
「……もなっち……神って恐ろしい存在だわ……」
弁慶は、やはりゼウスに遭遇していたらしい。
彼はゼウスに名前を与え、その直後に放たれた雷に打たれたという。
気がつくと森の中で倒れていて、誠一たちに介抱され、こうしてやっと戻ってこられたのだ。
「気付いたら、以前の森にもどされていたの」
弁慶が神に戻されたと聞いた時、不思議でしかたがなかった。
「一体どこへ連れて行かれたの、弁慶」
「たぶん、オリュンポス山だと思う。富士山より高い山だと思うわ」
弁慶は、ゼウスに「貞淑なるゼウス」と名前をつけた途端、雷に打たれたそうだ。
「神の性質と乖離しすぎて反発したのかしら……」
しょんぼりしている弁慶を見ていて、私もよく考えなければと思い直す。
神には元の性質がきちんとある。それをねじ曲げてしまえば、拒絶されてしまうようだ。
「ゼウスの性質は変えてはいけない、ということになるわね」
私がそう結論づけると、弁慶はぽつりと言った。
「ゼウスが女で問題を起こさなければ、ヘラによって起こされる悲劇が減ると思ったのよ……」
「でも、どんだけ女好きなのよ、ゼウスって」
愛菜は、呆れたようにため息をついた。
名前の先に修飾語はつけない方がよさそうだ。
サテュロスやニンフは、力の弱い精霊だったからうまくいったのだろうか。
幻獣たちは、そもそも性質が定まっていなかったから成功した。
だけど、神には強大な力と個性がある。
自分とは違うと、名そのものを拒絶してしまったのだろう。
「彦麻呂は、地球で名前をつけたからよかったのかしら?」
そうつぶやくと、佐藤さんは、少し違うだろうと言った。
「彦麻呂はここにいたくなかったのではないか? 自分から外へ出て行った。そのために名前を受け入れたのではないだろうか」
ヘパイストスやガイア、ヘスティアには、そのまま神話の名前をつけた。
性質に馴染んだ名前は、そのまま受け入れてくれたのだ。
「神話の名前をつけるしかなさそうね。たとえ性質が変化しなくても、“名”で縛ることができるそうだし。神は、名をつけた者の言うことには逆らえなくなるそうよ」
彦麻呂が教えてくれたその真実は、わたしの気持ちを少し楽にさせてくれた。
「神に名付けた者は、相当な力を有することになりそうだ。やはり、モナミが名前をつけた方がいいのではないか? 下手に野心を持つ者には任せてはならない。絶対に。みんな、“名前の縛り”のことは秘密だ。いいね」
佐藤さんの一言で、皆が背筋を伸ばした。
ここには、これから人が常駐するようになるだろう。
その中には、良からぬ考えを持つ者が紛れ込むかもしれないのだから。
「結局、ゼウスは名無しのままなの。それとも……」
愛菜にそう言われて、私たちは首をひねる。貞淑な、という部分だけを拒絶したのか。それとも、ゼウスという名前まで拒絶したのかは、定かではないのだ。
「もう一度ヘパイストスが来てくれれば、聞けるのに。この頃、姿を見せなくなってしまったのよ」
弁慶が「そういえば」と言って、何かを思い出すようにゆっくり話し出した。
「サテュロスの誠三、いや、誠十かな……。彼が言っていたんだけど、霊山が不穏だそうよ。どういう意味かしら」
「霊山……オリュンポス山のことではないかしら。弁慶は行ってきたんでしょう? 何か気付かなかった?」
「全然。着いてすぐに名前をつけて、気絶した。それだけだもの」
オリュンポス山がどこにあるのかさえ分からない。ここからは大きな山など見えないのだ。たぶん、かなり距離が離れているのだろう。
神が一瞬で移動できるのにも驚かされたが、その神の動きがおかしいのが気になる。
神話では、幾度となく神同士の諍いがあった。
「不穏ってまさか、ティタノマキア……」
「もなっち。それって、神々の大きな戦いってこと? 幻獣たちがいなくなった今、それってあり得るの?」
あれ以降、ヘパイストスもガイアもヘスティアも、呼びかけても梨のつぶてだった。
神々の戦いに出ていったのかも。
本来なら、ガイアは怪物たちを生み出し、その軍勢を率いて神々へ挑む。
けれど、その怪物たちはもういない。私たちが名前を変え、小さくしてしまった。
……なのに、霊山は不穏だという。
もし、怪物が必要なくなったのだとしたら。
私がガイアに名前を与えたことで、ガイア自身がゼウスに匹敵する力を得てしまったのだとしたら――。
「ガイアが名前をつけられて、力を持った。ゼウスに挑んできたのかも」
「ガイアって、大地の母みたいな存在でしょう。そんな荒ぶる神って印象がなかったんだけど」
「そう?ガイアに言われて息子のクロノスが鎌で切り落としたのよ。ウラノスの局部を」
「局部って……まさか……あれのこと?」
佐藤さんと弁慶がひゅっと小さく声を漏らし、複雑な顔をして股間を隠した。
「その血から巨人が生まれ、海へ落ちたそれからはアフロディーテが生まれたと言われているのよ」
「ええーっ。アフロディーテって、美の女神だよね、彼女がウラノスの、だん――」
「愛菜。それ以上は言わないで! 想像しただけで辛くなりそう……」
弁慶に言われて、えへへと苦笑いをする愛菜。
愛菜が驚いたように、美の女神にそんな血なまぐさい逸話があるとは考えられないのは分かる。
ギリシャ神話には、そんなとんでもない話があふれていて面白いのだけど、実際の神を目にした今は、何とも複雑な思いだ。
「日本なら、今頃は神無月。八百万の神が出雲大社に集う頃でしょうけどね」
「弁慶。ここは日本じゃないのよ」
「でも、名前をつけたのはもなっちだし。もしかするともしかするかもよ」
弁慶は、私を安心させようとして、冗談を言って紛らわそうとしているに違いない。
でも、ギリシャの神々が仲良く話し合い? 日本の神々のような、あんな友好的な話し合いをしているのだろうか。
もしそうなら、ここはもう、私が知っているギリシャ神話の世界ではなくなっているということかしら。




