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野崎は、日本の交通インフラについて政府へ提案すると言って出かけていった。

「今までもかなり普及したと思ってたけど、利用はほとんど個人向けだったものね」

「そうよ。いきなり公共交通まで置き換えたら、自動車業界も鉄道会社も大打撃だもの。政府も慎重にならざるを得なかったのよ」


登録店舗や個人同士の座標は、すでにかなりの数に上っている。

それでも、この法案が通れば、全国の駅に設置するようになるかもしれない。

そうなれば私たちは、その座標の再設定に向けて、その準備で大わらわになるだろう。

「彦麻呂君がメンバーに加わったけど、助けにはなりそうにないわね」

彦麻呂は事業部のフロアを歩き回り、他部署の女性社員たちと楽しそうに話したり、お茶を飲んだりしている。

「課長……戻ってこないかな」

私がぽつりと呟くと、弁慶も「そうね」とため息をついた。

座標の設定は、とにかく手間がかかる。

日本は地震国だ。

一度設定して終わりではない。地殻変動に合わせて、何度も細かな調整を繰り返さなければならない。

今の人員だけでは、とても手が回らないだろう。


前回、父島へ行ったときに時間がかかったことで、野崎の心に火がついてしまったのだ。

飛行場は、かつてはあったが今はない。一週間に一度しかフェリーが来ないと聞き、愕然とした彼は、すぐさま父島に異次元ドアを設置してしまったのだった。

そして今回の行動に至った。

異世界に設置した異次元ドアは、外すと言っていたが、今はまだそのままになっている。

彦麻呂から異世界の事情を聞き、野崎は考えを改めたようだった。

「資源確保に目途が付きそうだ」

彼は、人が変わったように生き生きとし始めたのだ。


彦麻呂によれば、異世界の神々は、永遠に同じ営みを繰り返して暮らしているという。

私たちが異世界へ足を踏み入れたとき、一瞬だけ世界の空気が揺らいだ。

だが、その変化に気付いた神は、ごくわずかだったそうだ。

《ヘパイストスか……。彼は、いつも独りぼっちだったからな。だから変化にも敏感だったのかもしれない》

この頃の彦麻呂は、ずいぶんと言葉がこなれてきた。まるで普通の人間のようだ。

「彦麻呂君は?」

《われは、いつも退屈していた。だからすぐに気が付いたんだ》

そういえば、最初に自衛官たちが遭遇したのはエロスだった。

彼の不思議な力は、人の意識を操る類のものらしい。

美しいニンフの幻影を見せて翻弄し、その反応を楽しんでいたのかもしれない。

私も一度、その力を受けたことがある。

あのとき、理性では止められないほど心が高揚し、未知の世界へ吸い寄せられるように森へ入ってしまった。

あの感覚は、今でも忘れられない。

——あの力が、一番危険だ。力を失ってくれて、本当によかった。


仕事が終わると、私と一緒に異次元ドアで島へ戻る。

私は彦麻呂に、神の世界とこの世界は、互いに違う次元に存在しているのだと教えてやった。

彼は目を輝かせて――世界が、いくつもあるというのか――と興奮していた。


野崎も島へ戻ってきた。

島の反対側に建設していた施設が完成し、そこをディメンションリンクの新たな拠点にするという。

「しばらく君たちには苦労をかけるが、人員は増やす予定だ。新たにメンテナンス部門を立ち上げる。だから心配はいらない」


異次元ドアを増産するには、資源の確保が欠かせない。

それが、思いのほか容易に実現できそうだった。

《お金? 神にお金は意味がないと思うな。われにしてくれたように、名前を与えてやればいいんだ。神は、きっと何でも言うことを聞いてくれる。それに……名には、神を縛る力もあるような気がする》

この一言に、野崎の目の色が変わった。

「神の世界に、拠点を作るぞ」

そう息巻いた。

以前まで異世界の神を恐れていたはずなのに、それが綺麗さっぱり消えてしまったかのようだった。


***


島の家には、今は私と彦麻呂だけが住んでいる。もちろん、犬や猫たちも一緒だ。

愛菜たちをはじめ、他のメンバーは島の反対側に完成した新しい施設へ移り、常駐するようになった。

私も、彦麻呂と一緒に毎日そこまで歩いて通勤している。

仕事が終われば温泉に浸かり、家へ帰る。

そんな生活が続いたある日、いよいよ異世界へ再び派遣団を送ることになった。


「彦麻呂くん。君にも加わってもらいたいのだが」

野崎に言われて彦麻呂は激しく首を振る。もちろん横に、だ。

《嫌だ。絶対に行きたくない。われをこの世界から追い出そうとしないで!》


何度説得されても、彦麻呂は頑として承諾しない。終いには泣き出してしまった。

《あの世界はつまらない。われはここにいる。もし、連れていくなら……われは逃げるぞ。あ、アメリカに!》

「君に拒否ができるのか? 名で縛られているのだろう?」

《ッ!》

彦麻呂は愕然として、そして私を見た。

可哀想になった私は、野崎に告げた。

「野崎さん。嫌がる神に無理強いしたくありません。今回も私たちだけで行きましょう。彦麻呂君にはジョバンニたちの面倒を見てもらいます」

彦麻呂は歓喜にむせび、私に抱き付いたのだった。

《モナミは女神だ。われの女神だ》

野崎は「ふん」と鼻を鳴らし、神を甘やかしてどうするんだと言った。

でも、今回は彦麻呂を連れて行くことは諦めたようだった。


今回は、愛菜と弁慶も参加することになった。

前回は留守番だった弁慶は、初めての異世界に胸を躍らせている。

一方の愛菜は、一度だけとはいえ異世界を経験しているためか、落ち着いた様子だった。

「いつでも戻れるんだから」

そう言って、ずいぶん気楽に構えている。


今回使うディメンションリンク製の異次元ドアは、異世界から持ち帰った資源をふんだんに使って製造した新型だ。

幅は三メートル、高さもほぼ三メートルある。

そのため、前回とは違い、小型車なら余裕で通行できるようになった。

おかげで荷物の搬入も搬出も格段に楽になり、数台の小型トラックが資材を満載して次々と異世界へ運び込まれていく。


今回の派遣団は政府のお墨付きだそうだ。建設要員から警護まで、前回とは比べものにならないくらい大がかりで、人員も六十人ほどに膨れ上がっていた。

この中には自衛官も十人いたが、彼らは大がかりな武器は持っていないようだ。

「自衛官とは言っても、彼らは通信設備や資材の搬出を担当する。神と戦うなど端から考えていない。榊原君、君には一日も早く神に名前を付けて縛ってもらおう。その方が確実だし、安全だ」

神を名で縛る。

そう言われて、いい気はしなかったけれど、これは必要なことなのだろう。

私は素直に承諾した。

――できれば、私の好きな神に会いたい。プロメテウスやアトラスに会えたらいいな。


私は野崎に頼み込み、大量の白い布を用意してもらった。

今回は彼も素直に納得してくれたようだ。

以前、ニンフがほぼ全裸で現れ、彼自身も対応に困った経験があったからだろう。


拠点は以前も使った林の近くの荒野だ。

ここの近くには川があり、対岸には深い森、そして林の先の荒野には岩山がある。

以前と同じように、岩山に登りそこに設置してある祭壇に供物をお供えした。

あらかじめ用意した松明に火を点して、神に祈る。

程なくして、巨大な姿のままのヘパイストスが姿を現した。

《良く参った。其方のために作ったものがあるのだ。待っておったぞ》

「わざわざ作ってくれたの? 私からもプレゼントがあるの。ヘパイストス神。どうか小さくなってください」

《ははは、そうであったな》

次の瞬間、ヘパイストスは人の良さそうな笑顔を見せて私たちの傍に立った。

二メートルほどの大きさになって。

彼はサマーセーターを被り、腰には花柄のテーブルクロスを巻いていた。

あまりにも滑稽でシュールな姿の神を見て野崎は口の端をヒクヒクさせていた。

「榊原君。君が与えたのか? その……帽子……を」

「ええ、でもこれでは可哀想でしょう。だから今回はちゃんとした白い布を持ってきたんです」


祭壇へ供えておいた白い布を差し出すと、私が「神様には白がよく似合います」と言ったせいか、ヘパイストスはとても嬉しそうに笑った。

だが、なぜかサマーセーターだけは外そうとしない。

《これは気に入っておる》

のだそうだ。

仕方なく、私は諦めることにした。

今度はヘパイストスが、私へ一枚の布を差し出してくる。

《これは神々から姿を隠すことができる布だ。神は嫉妬深い。気を付けるように》

そう言い残すと、ヘパイストスはすうっと姿を消した。


その後拠点作りに奔走している私たちのところに、サテュロスの誠一たちが姿を見せる。

《やあ、また来てくれた。酒を持ってきたんだ。一緒に呑もう》

初めて半神半獣を見た派遣団は驚いていたが、彼らと過ごすうちに打ち解けていったようだった。


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