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「愛菜、どうして携帯で連絡しなかった?」
「……実は、彦麻呂が携帯をつかんで離さなくなっちゃったのよ。仕方ないから預けておいたんだけど、そのままどこかへ消えちゃって……。だから異次元ドアで報告に来たの。ごめんなさい」
「まだ島にいるはずだ。異次元ドアは使っていないんだな」
「はい。それは確実です。認証機能を付けていますので」
野崎は、いつの間にそんな機能を追加したのかという目で私を睨んだ。
「君は私に報告するつもりがなかったのか。勝手に機能を追加したということは、そういうことだな」
「違います! 野崎さんは、まだこちらへ戻っていませんでしたし……」
「野崎CEO。それ、あたいが付けたのよ。危機管理ってやつ」
「……そうだったか」
だが、そのあとすぐに弁慶がぼそりと不穏な質問をする。
「野崎CEO。鉱物資源の搬出船が定期的に来ていますよね……あちらはどうなっ
ています?」
その一言を聞いた途端、私も野崎も愕然とした。
彦麻呂が島から出た可能性――すなわち港がある人里へ向かったことに他ならないのだ。
「愛菜君。エロスは携帯を持っている可能性が高いな。いなくなったと気がついて、どれくらい経つ?」
「気に入っちゃって、ずっと見ていたから放っておいたんだけど……えーと、三時間は経ってるかな、もっとかも……」
「……GPS……。佐藤、調べてくれ」
「はい、すでに取りかかっています」
GPSは、海の上を指していた。
「今からでは引き返してもらうわけにはいきませんね……。木更津港に着くまでは、二日以上はかかりそうですし」
「待つしかなさそうだな」
「ジョバンニたち寂しがっていないかしら」
「餌は十分においてきたし、大丈夫じゃないかな。一旦戻ってきましょうか?」
愛菜は社から一度戻りジョバンニたちの様子を見てくると言う。
私が行きたかったけど、野崎の鋭い目に睨まれて何も言い出せなかった。
次の日私たちは、木更津まで出向き、そこで待つことに決まった。
***
島から出向して間もなくの頃、彦麻呂は、船の上で作業員たちと楽しく過ごしていた。
「あんちゃん。綺麗な顔しているね。アメリカ人かい?」
《われは……人間人だそうだ》
「プッ、人間人ね、こりゃぁいいや。俺も人間人だ。世界は一つだな。わははは」
このバルク船には、島から木更津港に運ぶ鉱物が満載されていた。
彦麻呂は、五人しかいない乗組員と仲良くなり、彼らの様子を興味深く観察する。
子どもが三人いる四十歳の男に、独身だと言う男。
子どもに対する愛情や、妻に対しての不満。そして独身者は、
「この仕事が明けたら、彦麻呂を良いところに連れて行ってやる。綺麗なねぇちゃんが一杯いるとこだぞ」
と話す。
――たぶん、そこは水の精霊がいるのだろう。
彦麻呂はそう思った。
彦麻呂にとってこの世界は、自分の住む世界と何も違わないように感じていた。
そのため、「混沌より生まれし女神の子、天空を統べる神が御座す御山はどの方向だろうか」と目を凝らした。
「まったく、ゆっくりしか進まないこの船には、やきもきするぜ」
《なぜだ? 快適ではないか。海を統べる大神は呼ばぬほうが身のためだぞ。力が大きすぎる》
「……は? 変わった奴だなお前は。俺はな、この仕事が明けたら結婚を申し込むんだ。俺の彼女を待たせている。だから早く港に着きたいのさ」
《そうであったか。その際は、天空を統べるお方の妻、かの女神に祈りを捧げよ》
「……何言ってるか、さっぱりだな。お前、どこでそんな日本語習ったんだ?」
彦摩呂は、船長室に入れてもらい、そこでさまざまな機器を見せてもらった。
やがて船長に、不思議なものに向かって手を合わせるようにと言われる。
「これは恵比須様だ。海の安全を祈念するんだ。外国人にはなじみがなかろうがな。日本に来た記念に拝んでおけ」
彦麻呂は言われるがままに神へ祈った。
《初めてお目にかかる海の神よ。すでに名があるとは……さぞかし立派な神なのであろう。恵比須神とは……》
魚を掲げた福々しい姿。海を統べる大神とは、やはり違う神のようだ。
今まで知らずにいたことを詫び、彦麻呂は心から祈りを捧げた。
その時、甲板の方から誰かの叫び声が聞こえた。
船長が「何事だ」と甲板へ出てみると、そこには大量の魚が打ち上げられていた。
彦麻呂は、その様子を満足げに眺めていた。
――やはり、この神は力ある神であった。
船員たちは突然の出来事に騒然となり、慌ててスマホを向ける。
資材の上へ、海から魚が次々と飛び込んでくる。
その異様な光景を収めた動画は、たちまちSNSで拡散していった。
***
「野崎CEO。これ、見てください。二十時間時間前に撮られたものだそうですが」
野崎が愛菜の携帯をのぞくと、そこにはバルク船に打ち上がる魚の画像が映っていた。
「これがどうした。よくあるフェイク画像だろう」
「いえ、この端っこに映っているのって、彦摩呂くんじゃないですか?」
よく目をこらすと、金髪の外国人が映っている。
「エロスは、確か少年だったのではないか?」
「名前を付けたら青年に変化したんです。絶対これって、彦摩呂くんの仕業ですよ!」
愛菜にそう言われて、私はそわそわし始めた。
まだ、神性が残っていたのだろうか。どうか、違うと言ってほしい。
恐る恐る野崎を見ると、彼の顔色も悪くなっているようだった。
私たちは木更津港の近くにあるビジネスホテルで、緊急の対策を練ることになった。
今後予測される事態に備えるためだ。
「彦摩呂くんの仕業だなんて、誰も思わないと思うんだけど」
愛菜が私の肩を抱き、勇気づけるように言ってくれる。
だが、野崎は違った。
「万が一、これが知られたとした場合の会議だ。気楽な予想を聞いているのではない」
身も蓋もない言い方だった。
「たった一日でなにができるんですか。 SNSの画像ですよ。誰も本気にしませんって。彦麻呂君は異世界に戻せばもう心配はないでしょう」
佐藤さんも影響はないという意見だ。
弁慶がぼんやりと考え考え意見を述べる。
「彦麻呂君。エロスなんだよね……海の神とは違うんでしょう。これってどういうこと?」
魚が打ち上がる画像。私も違和感がある。
「そうよね。これは偶然ですよ。野崎さん。たまたま不可解な現象に居合わせただけじゃないですか?」
「君は本当にそう思えるのか? 神はどんな力が有るか、予想も付かないというのをその目で見ただろう」
「……そうですけど。彼は変わったんです。エロスの時は意地悪をされたけれど、今は素直な彦麻呂君です」
議論は平行線だった。これといった案は出なかった。
結局、彦麻呂がここに到着するのを待つ。彼から事の次第を聞く、それしかなかった。
次の日の夕方、資材を積んだバルク船がようやく接岸した。
私たちは息を詰めて見守っている。
「乗組員は五人しかいないそうだし、彦麻呂くんはすぐに降りてくるはず」
だが、いつまで経っても彦麻呂は降りてこない。
乗組員をつかまえて尋ねると、途中の島で降ろしたという。
「何だと! どこの島だ!」
父島にどうしても降りたいと言って、聞かなかったそうだ。
「何だってそんな場所に……」
「もしかしたら……シチリアのエトナ山と勘違いしていないかしら……」
「……」
「それはどうかな。気候も地形も違うだろう」
「でも火山がある。火山にひかれたのかしら……」
「もうグズグズしてはいられない。父島に異次元ドアがないのが悔やまれるな……愛菜君。フェリーを手配してくれ」
「はい」
父島のフェリーは一週間に一本だけ。次の日、それに運良く乗れて一同はほっとした。『おがさわら丸』は、父島まで二十四時間の船旅だそうだ。
「この際どの島にも行けるように、我が社で特別に設置する案も検討しなければ……」
野崎は鼻息荒くそう独り言を言っていた。




