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次の日の朝、弁慶が定時にやってきた。

彼は毎日、異次元ドアを使ってここへ来ているらしい。

「もなっち、久しぶりね。愛菜、これ、頼まれていた物よ。適当に買ってきたけど、サイズ大丈夫かしら」

「野崎CEOと同じくらいの体型だから、間に合うと思う。サンキュー」

どうやら、彦麻呂の服を調達してきたらしい。

ジーンズやパーカー、それに下着など、十数点も詰まった袋をがさごそいわせている。

彦麻呂は、まだ寝ているようだ。


「もなっち、彦麻呂って一体何者?」

「……異世界の神様。こっそり私にくっついてきちゃったの。名前を付けたら、エロスが変化しちゃったみたい」

「エロスって……キューピッドの元ネタの、あれ?」


宗教画でおなじみの天使とはほど遠い姿になってしまったけれど、私には、いまも神のままなのか、人間のようなものに変わってしまったのかは分からないと、弁慶に話す。


「野崎CEOには、まだ話していないんでしょう。このことを知ったら、彼は……」

「それ以上言わないで。今から頭が痛い」

「もなっち、異次元ドアの対策した方が良いかもよ」

「そうね、ドアに認証機能を付けましょう」

「やっておくね」


ガダダダン! ダン!


私たちがこそこそ話していたところに、大きな物音がした。

びっくりして振り返ると、そこに彦麻呂が寝そべっている。

「彦麻呂くん!」

愛菜が駆け寄って、助け起こした。

《へんだな。われ……飛べなくなった……》

「……そ、そうね。ここでは飛ばないのが普通よ。鳥じゃないんだから」

《消えることもできなくなった。其方らもそうなのか?》


私はどう答えればいいのか分からず、しばらく目を泳がせた。


「そうね、人間は消えたりできないわ。彦麻呂くんは、ここに適応したということでしょうね」

《そうか! 適応したか。よし、分かった》


異世界の神は、みんな素直だ。あまりにも純粋すぎて、私の胸はちくりと痛んだ。


彦麻呂は、朝食を食べたあと外を見たいというので、愛菜と一緒に犬たちの散歩に出てもらうことにした。

目を輝かせて外の空気を吸うと、そのまま駆けだしていく。

その後を、コタロウやジョバンニたちが走ってついていく。

愛菜は私を振り返って、

「まるで子犬みたいね」

とあきれたように言った。


見た目は美しい青年なのに、しぐさは年端もいかない少年だった。

「目の保養ね。なんてきれいな青年かしら。彼をモデル事務所にスカウトしたいくらいだわ」

弁慶が、うっとりとそうつぶやいたが、とんでもないことだ。

彦麻呂をこの島から出しては、絶対にだめだ。


何事もなく数日が過ぎ、野崎から「戻ってきた」と連絡が入った。

私と弁慶はディメンションリンクへ出社することになった。愛菜には引き続きここへ残り、彦麻呂の監視をお願いする。


「愛菜、悪いけどよろしくね」

「平気よ。格好いい彼と夢のような一日が送れるんですもの」

異次元ドアを抜け、そのまま野崎のプライベートフロアへ向かおうとすると、通信越しに野崎の声が響いた。

「以前の事業部のフロアへ行ってくれ」

ディメンションリンク事業部は一時閉鎖されていたが、どうやら元に戻ったらしい。

フロアへ入ると、佐藤がすでに待っていた。

私たちのブースのほかにも、事業部の人たちが忙しそうに立ち働いている。

「なんとなく懐かしい気がするのは、私だけかしら」

「そんなことないぞ。私もそう感じる。ここに課長がいたら、以前に戻ったような錯覚を起こすよ」

でも、決して以前と同じではない。

一度、異世界にリンクしてしまったことで、私たちの世界についての認識は変化してしまった。

世界は一つではないのだと、もう知ってしまったのだから。

神の世界は驚くべきものだった。

神話として読むだけなら面白かった。だが実際にあるとなったら、どうだろうか。

人間は小さく、非力で、神のような存在の前ではあまりにも無力だ。


私たちが集まっているブースに野崎がやってきて、「こちらに来てくれ」と言い、私たちはそのまま彼のスペースに移動した。

ガラス張りで、フロア全体を見下ろせるCEOの部屋だ。

私たちは椅子に腰掛け、野崎が話し出すのを息を詰めて待った。


「結論から先に言おう。今回の鉱物資源は、我が社にもたらされた恩恵が大きかった。かつてないほどの成果だ。国内のみならず、輸出も考えている。

だが、今後この資源はあてにできない。私は異次元ドアを取り外すことに決めた」


弁慶は腕を組み、じっと聞いている。佐藤さんはうんうんと、納得しているようだ。

私は彦麻呂のことを話すかどうか悩んだ。異次元ドアを外されたとしても、私は異世界へ行けるのだ。

初期モデルの異次元ドアを使う事にはなるが、不可能ではない。

だけどこのまま口を噤んでいることは私には出来ない。罪悪感が心の中に重く沈んでいるのだから。

弁慶がチラリと私を見る。私は頷き、大きく深呼吸をして野崎を見た。


「野崎さん。実は……エロスがこちらに来ています」

「そうか、そ……ん?」野崎が一瞬フリーズした。

「榊原君。今何と言った……」

「だから、異世界の神エロスがこの世界に紛れ込んでいます。今は島で、愛菜に見てもらっています」

野崎は小刻みに震えだし、顔を真っ赤にして叫んだ。

「君は! ここでも問題を引き起こした。そういうことだな!」


こっぴどく叱られてしまったが、私は甘んじて受けた。私自身が悪かったのだろうか、と少しは考えた。

だが、実際私にひっついて、エロスはこの世界に来たのは事実なのだから。


「まあ、まあ。野崎CEO。そんなにもなっちを攻めたら可哀想だ。彼女だって好きで連れてきたわけじゃないしね。しかも名前を付けたら神の性質が消えたみたいよ。影響は少ないと思うわ」

「なんだと! また名前を授けたのか」

野崎は額を押さえ、大きくため息をつく。

「……君って奴は」


佐藤さんは冷静に、今後のことを話し合おうと提案し、エロスを異世界へ返す方針となった。

「相手は神だぞ。そんなに簡単に事が運ぶとは思えない」

野崎は頑なだ。でも、それも無理はないと思う。あの世界の神々の力を見て、恐れたのだから。


「野崎CEO。彦麻呂は、消えることも飛ぶこともできないんです。たぶん大丈夫だと思います」

「ひ、こ、まろ……それが君が名付けた名前か? 君にはセンスというものまでないのか」


皆が話しているその時、こちらへ駆けてくる愛菜の姿が見えた。


――島にいるはずの愛菜が、ここにいる。


その意味に気づいた瞬間、私の背筋が凍りついた。

「先輩! 彦麻呂が消えました!」



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