14
次の日、私は野崎によって強制的に日本へ戻されてしまった。
渋々異次元ドアをくぐると、そこは島に新しく造られたディメンションリンクの施設だった。
「もうこんなに出来上がったの」
三階建ての学校ほどの建物のまわりは、校庭よりも広い空き地にきれいに均されている。
その端には、パワーショベルやブルドーザー、ダンプカーなど、十台ほどの重機が整然と並んでいた。
どうやってここへ運んできたのか尋ねると、船でわざわざ運び込んだのだという。
この大きさでは、異次元ドアは通れないからだろう。
私はそこから歩いて自分の家に帰ると、ペットたちが一斉に飛びついてきた。
「お帰りなさい、先輩」
愛菜がニコニコしながら台所から出てくる。
異世界にいたのは八日ほどだろうか。でもこっちは五ヶ月経っている。
頭では理解しているが、異常な時差に、自分の感覚が追いつかない。
しばらく私の匂いを確かめるように鼻を鳴らしていたジョバンニは、不意に耳を伏せた。
そして一歩後ずさると、低く唸り始めた。
「ジョバンニ……どうしちゃったのかしら」
五ヶ月という時間はジョバンニに不安を与えてしまったのかもしれない。
彼は以前の飼い主に捨てられた経験がある。
私は悲しくなってジョバンニを抱き寄せようとしたが、彼は後ずさり、私から逃げようとした。
私たちを見て、愛菜も首をかしげる。
「変ね、ジョバンニのこんな姿、初めて見た」
そしてジョバンニはうなり、私の肩口に噛みつく仕草をした。
驚いた私は、その場で尻餅をつく。
《イヤー、バレちゃったかぁー》
軽い声が頭上から降ってくる。
現れたのは、エロスだった。
《ここが君の生まれ出た神籬? それとも聖域……かな》
「……」
エロスは、ここが異世界だとは認識していないようだ。私はどう誤魔化そうかと、頭をフル回転させる。
エロスはクンクンと匂いを嗅ぎながら、家の中を見まわしていた。
「……すんごい美少年!」
しばらく固まっていた愛菜が、ようやく我に返ったように感嘆の声を上げた。
私は慌てた。愛菜がギリシャ神話を知っていたら、彼の名前を言ってしまうかも知れない。
愛菜の口を塞ぐより早く、私は適当な名前を叫んでいた。
「彼は、マロくんよ。愛野彦麻呂君!」
「へえー、麻呂君か。よろしく。私は真田愛菜です」
エロスはきょとんとした顔で、
《え、今、われに名を与えてくれたの?》
「そ、そうよ。愛を優しく巡らせ、愛で人の心を満たすという意味の名前。
愛野彦麻呂、それがあなたの名前よ」
私が慌てて名前の由来を作り上げると、エロスの体の内側から光があふれ出し、青年の姿へと変化してしまった。
身長がするすると一八〇センチほどに伸び、すらりとした手足に金色の巻き毛。
肌はなめらかで、艶めいている。まるでギリシャ彫刻のようだった。
だけど、何かがおかしい。
以前のような、内側から輝くような神々しさが感じられない。
確かに、美しい青年にはなった。
しかし、妙に「人間じみている」。
神々しいというより、実体が伴ったという、やけに物質的な存在に感じられるのだ。
愛菜が顔を真っ赤にして視線をそらす。
「ちょ、ちょっと先輩……!」
驚きすぎて気づくのが遅れた。エロスは何も身につけていなかった。私も慌てて目を泳がせた。
エロスは悪びれもせず、むしろ新しい体を面白がるように、腕を伸ばしたり首を回したりしている。
《なんだか、われ、変化した? 何となく体が重い》
「エロ……じゃなくて彦麻呂くん、ちょっと待ってて!」
私は急いで二階へ駆け上がり、押し入れからシーツを引っつかんで戻ってくると、勢いよくエロスにかぶせた。
そのとき、エロスの背中に目がいった――羽根が消えている。
――まさか、名前を付けたせいで、神が人間になったの? 違うわよね。
深く考えている余裕は今はない。
問題は先送りにして、このエロスを異世界へ戻す算段をしなければならない。
私が考え込んでいると愛菜が、「カーテンがボロボロになっている! なんで?」
と、叫んだ。
そのあと、部屋の中を隈なく調べると、壁も僅かに傷んでいる。
漆喰の壁が、少し触っただけでぽろぽろと剥がれ落ちてしまったのだ。
「この間修理したところがこんなになって! 野崎CEOに文句言ってやる。先輩、これって手抜き工事ですよ」
と憤慨していたが、私は力なく笑うしかなかった。
――物質化……やはりしてしまったんだわ。周りの物質を取り込んで……。
昔、興味本位で読んだ、スピリチュアルについての記述に似たような現象があった。
降霊を繰り返した部屋では、壁紙やカーテンの劣化が異様に早かった、と言う記述だ。
エクトプラズムや物質化現象、霊が作用したと言われる自動書記など、眉唾だとその時は思っていたけど。
これは、それと似ている現象ではないだろうか。
神は本来、不死の存在だ。
だけど、土塊を身にまとった今は、どうだろう。
「神とは言えなくなったかも……」
その日はエロス――いや、彦麻呂に食事をさせ、お風呂に入れて、二階の寝室で休んでもらった。
ふと、「神は眠るのだろうか」と疑問がよぎった。
しばらくして部屋をのぞくと、すやすやと眠っているようだった。
肉体を得て眠る必要が出てきたのか。
それとも、あの世界の神様は元々眠るのか。
私には、まだ判断がつかない。
――エロスを元の世界へ戻したとして、果たして神としてこのまま生きていけるだろうか。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。




