13
「野崎さん。いくら探しても、モナミは見つかりません」
「なんだと。いったい彼女はどこへ消えた」
かれこれ丸一日、榊原の行方が知れない。
野崎は、また神絡みではないかと不安になった。
――彼女は、妙に神に懐かれる体質だ。
もしかして、どこかの神に攫われてしまったのか。
まだ時間の猶予はあるとはいえ、彼女がここにいないという事実は、あまりにも不穏だった。
「まさか、川を越えて森へ行った?」
佐藤が、川の向こうを見やる。
川向こうには、広大で深い森が広がっている。
あそこは、ニンフや、ほかの神々の領域ではないのか。
川は浅く、流れは緩やかだ。渡ることは可能だろう。
「捜索隊を組むしかなさそうだ。手が空きしだい、人選をする」
だが、手が空いている者など、いるはずがない。
今は一日十時間、荷物の搬出だけで人員が取られているのだ。
「まったく……榊原君は問題を起こしすぎる!」
「……まあ、モナミはそういう奴ですからね。でも、そんなに心配しなくていいかも。そのうち、ひょっこり――戻って来ましたね!」
「あ、あれは何だ……」
川の向こう岸に、モナミの姿が見えた。
その周りを、サティロスたちが取り巻いている。
彼らは半ば浮かせるようにして彼女を担ぎ上げ、ちゃぷちゃぷと川を渡らせているところだった。
その後ろには、ニンフたちまで続いてくる。
その光景を目にして、回りで見ていた若い隊員たちが一斉に騒ぎ始めた。
「あれがニンフか!」
「き、綺麗ですね……」
野崎は慌てた。
若い隊員たちが、興奮気味に「ニンフだ」「ニンフがいるぞ」と口々に叫び始めたからだ。
――まずい状況だ。
神や精霊を名で呼べば、どうなるか。
ただ、ろくな結果にならないということだけは、ガイアやヘパイストスの件で、いやというほど思い知らされている。
お礼と称して、この世界の常識に従って、何かされてしまいそうだった。
野崎の腹が、またしくしくと痛み出した。
川を渡り終えた一同が、拠点を物珍しそうに見回しながら、それぞれ好き勝手な方向へと散っていく。
その様子を、野崎は為す術もなく見ているしかなかった。
「野崎隊長……お話があるのですが」
背後から遠慮がちな声がかかる。
野崎は目を三角にして振り向き、榊原を睨みつけた。
「君はどうしても問題を起こさずにはいられないようだな!
なぜだ、なぜじっとしていられない!」
「……野崎隊長。不可抗力でした」
そう榊原は言い、あたりを見回してから、野崎の耳元に口を寄せて小さな声で続けた。
「エロスに意地悪されて、森へ行かされてしまいました」
「え、エロスが……君に? あり得ないだろう」
「それ、どういう意味ですか」
***
まったく、野崎は言い方に遠慮がなさすぎだ。
確かに私は綺麗じゃないけど、そこまで酷くはない……と思いたい。
この一日に起きたことを野崎に話して聞かせると、彼は複雑な表情で私を眺め、それから大きくため息をついた。
「エロスに名前を付けなかったせいで酷い目にあったのは、気の毒だ。
しかし、サティロスやニンフに付けた名前が、彼らの性質を変えたとは、とても信じられないな」
そう言われてしまえば、実際に見てもらうしかない。証明は科学者にとって大事な事だ。
サティロスとニンフの新しい名を呼ぶ。
「誠一、木野一子ちゃん! こっちへ来て」
「ちょ、榊原君、何だその名前は!」
一子と誠一は、呼ばれていそいそと駆け寄ってくる。
《モナミ、また何か面白いこと教えてくれるの?》
《苔の精霊モナミ。何でしょうか?》
「苔の精霊だと……」
野崎は、今にも噴き出しそうな顔で私の全身を眺めた。
「仕方がないでしょう。森の中を歩いて、どろどろになってしまったんだもの。
とにかく、彼らは元の精霊としての性質に、さらに名前の相乗効果が加わっている。
もしくは、釣り合いが取れて穏やかになったり、物怖じしなくなったりしている。そう見えませんか?」
野崎が、誠一や一子におずおずと話しかけている。
ニンフは本来、恥ずかしがりだったり怯えていたりして、滅多に人前には出てこない。
そしてサティロスは、まるで野生の荒くれ者のような性質のはずだ。
それなのに誠一は、大人しく誠実に野崎の受け答えをしているし、一子はニコニコしながら楽しそうに答えている。
そこそこ神話を知っている野崎なら、この違いを分かってくれるだろう。
精霊たちは人間たちと楽しく食事をし、お酒を酌み交わした。
《これは、美味しいわ。とろりとして山羊の乳……かしら》
「二子ちゃん。それはシチューだよ。こっちも食べてみて」
若い隊員に囲まれてほんわかと笑うニンフたち。それを見てデレデレしている男たち。
《おおー。シュワシュワしてうめぇーなこれ》
「ビールっていうんだ。ほれ、もっと呑め」
佐藤さんまでサティロスと楽しくやっている。
《人間って面白いわ》
《神々よりも親しみやすい、人間も神か?》
とんでもない話まで飛び出してくる。
夜がふけるまで騒いで、その後、満足した精霊たちは森へ戻っていった。
彼らが楽しげにお互いの名を呼び合って戻っていく姿を、私は微笑ましく見送っていた。
「榊原君。少し話をしたい」
野崎は、佐藤と私を自分のテントに招き入れ、彼の危惧している心配事を訥々と反し始めた。
「万が一この世界にケルベロスやゴルゴン三姉妹のような怪物がいたとしたらどう対処する?」
「万が一……ではなく、確実にいるでしょうね」
佐藤が気遣いもなく淡々と意見を述べると、野崎は苦しげに胃のあたりを摩る。
だから、私の持論を述べることにした。
「神に積極的に名前を与えましょう。性質を変えれば、日本と友好的な関係を築けるはずです」
「榊原君。それはあまりにも短絡的だ」
私は短絡的だとは思わない。
この世界の神々や精霊は、思念そのものに近い存在なのではないか。
そして思念は、名前という概念によって形を与えられ、固定される。
まだ観測例は少ない。だが、その仮説は私の中で少しずつ形になり始めていた。




