11
揺れは次第に激しさを増し、私たちは立っていられなくなった。地面に這いつくばり、地震が収まるのを待つしか手はなかった。
やがて、あの岩山の前に、何か巨大なものがそびえ立ち始めた。
私たちは恐れおののき、その様子を畏怖とともに見つめることしかできない。
ずずずっと、大地そのものが競り上がってくる。岩山が隠れてしまいそうなほど地面が盛り上がったと思った瞬間、それが女性の半身なのだと、ようやく理解した。
「あれは――」
「榊原君! 何も言うな。黙っていろ!」
私が神の名を口にしかけた途端、野崎に口を押さえられてしまった。さっき「神にものを与えてはならない」と言われたことを思い出し、私はぴたりと口を閉じる。
じっと見ていると、女神は焦れたように大地の上に手をかざした。
するとその足元から、さまざまな石や土がせり上がり、小山を形づくっていく。
そして女神が再びこちらを見下ろすのと同時に、野崎は隊員たちを睨みつけて言った。
「大人しくしていろ。動くな」
もとより腰が抜けて、隊員たちは動こうにも動けなかった。
《始祖なる女神よ。まだ足りぬ。もっとだ》
ヘパイトスが女神に向かって大声で呼びかけていた。
女神と並ぶと、数十メートルはあるはずのヘパイトスでさえも、小人のように見える。
《もっとかえ》
女神が応じるたびに、大地からせり上がる石と土はさらに積み重なり、小山がいくつも出来上がっていった。
どうやら、私たちが欲しがっていた鉱物資源をここに出してくれたようだ。
やがて女神は、こちらへと顔を向けて言った。
《これでどうじゃ。われにも名を献上したくなったかえ?》
何も答えない私のもとへ、ヘパイストスがゆっくりと歩み寄ってきた。初めて出会ったときのように、一歩ごとにその体が小さくなっていく。
《始祖なる女神にも、名を与えてはくれぬか?》
「野崎さん。名前、あげましょうよ。あの鉱物はヘパイストスが女神に頼んでくれたに違いないです。わざわざここに出向いてくださるなんて、良い神様ですよ」
「……しかしな。この分では、他の神々までここに来て、同じように要求し始めるのではないのか」
《其方らは、他の神に名をつけたくはないと申すか》
「いえ、名前くらいなら問題ないです。ただ、毎回このような畏れ多い出現をされたら、身が持ちません。私たちは矮小な人間ですから」
《ああ、驚かせてしまったのだな……申し訳なかった》
「始祖なる女神様は、私たちの国では『ガイア』と呼ばれております」
私は我慢できずに、そう口走ってしまった。
「榊原君! なんてことを……」
「え?」
野崎は頭を抱えてしまった。
私は、自分の言ったことのどこがいけなかったのか、あわてて考え直す。
そして気づいた。「私たちの国」――この部分が、いけなかったのだ。
神は、人間の国に興味を持ってしまうことを野崎は恐れていたのに。私は、また考えなしに行動してしまったことになる。
途端に血の気が引いて、背中に嫌な汗が流れ出す。
そんな私の恐れなど気にもとめずに、始祖なる女神は言った。
《ガイア、ガイアとな。よい名じゃ。ヘパイストスもよい名じゃが、ガイアは誠に威厳がある、憂いの……》
そう言って、女神はヘパイストスとともに、すうっと消えていった。
後には、鉱物の小山がそこら中にうずたかく積み上がって残されていた。
後で調べたところ、サンプルケースに入っていた鉱物が、全種類そっくりそのまま、いくつもの山の中に混在していたそうだ。
「目的は達成はされた。されはしたが、何となく釈然としない」
「隊長、もうこの世界の調査は終わり、ということですか? まだニンフにも会えていないのに……」
でも、かえって良かったのではないだろうか。
この美しい自然を掘り起こして、めちゃくちゃにしなくて済んだのだから。
私はそう思ったが、口にはしなかった。
野崎の機嫌がすこぶる悪かったせいだ。
「調査する必要はなくなったが、鉱物が必要になるたびに、神にお伺いを立てなければならないようだな……」
「ここは私たちの世界とは違うのですから。毎回お供えをすれば、こうして分けてもらえるのなら儲けものでは?」
若い隊員たちは口々にそう言うが、野崎は「考えが足りない」と彼らを叱った。
「馬鹿を言うな。次は何を要求されるか、分かったものではないんだぞ。仕方がない、撤退だ。国と話し合って、この世界へは二度と来ない。そうするしかないだろう」
技術者が、異次元ドアを設置し始めた。
ここへ来てからまだ一週間と経っていなかった。この一部のエリアしかみていない。
岩山と、林と川。これだけ。
巨大な神々との遭遇があったのですごく濃い時間だったけど、異世界での探検がまるでできなかった隊員たちはがっかりしていた。
野崎はレアメタルやレアアースの小山を見上げて「これを運び出すのにどれだけ時間が掛かるか、計算しているようだ。
彼にしてみれば、異次元ドアはなるべく早く閉じたいのに、運び込む時間はかなりかかりそうだと悩んでいた。
大量に持ち込んだレトルト食品は、まだかなり残っていた。
その朝もレトルトパックを温める。私の朝食は、おでんだ。
野崎の機嫌が悪いので、川のほとりへ行き、一人で食べることにした。
私が大根を口に入れようとしたその時、美しい少年が、ふいに目の前に現れた。
『エロスが来た!』
けれど私は、見えないふりをして、せっせと大根を食べた。
次にゴボウ揚げをつかもうとすると、エロスは口をあーんと開けておねだりする。
私はぐっとこらえて、そのまま自分の口に入れた。
エロスは可愛らしいほっぺたをふくらませてムッとし、それから物欲しそうにおでんをのぞき込む。
我慢していたのに……つい噴き出してしまった。
《見えているのは分かっているよ。其方らはどこから湧いてでた?》
そういえば、以前にも自衛官たちはエロスと遭遇していたと聞いた。
始祖神に次ぐほど古い神だ。
好奇心が強く、悪戯好きな愛の神。ローマ神話では、キューピットとして知られている。
神の背中に、金色の小さな羽根が見える。
金色の巻き毛に青い目。真っ白でつややかな肌、ピンク色の唇。輝くような愛らしさだった。
けれど幼児には見えない。この神は、十歳くらいの少年に見えた。
ただ、用心しなければならない。私はあまりエロスには好感を持っていない。
ギリシャ神話がこの世界にすべて合致するとは思わないけれど、エロスはたびたび問題を起こす厄介な神だと、私は認識している。
「何か用かしら。混沌より生まれいでし、古き愛の神様」
《……そんな呼び方はやめてくれ。われにも、名をつけたらよかろう》
「何のことか分からないわ」
《われはずっと見ていた。とぼけたって無駄さ。ヘパイストスに、ガイア。いいなぁ。われも、呼びやすい名が欲しいぞ》
「名前をあげてもいいけど、お礼は要らないわ。それから、誰にも言いふらさないと誓える?」
《名は、呼んでもらうためにあるのではないのか? 言いふらしはしないけど、我の名は皆に知ってもらいたい》
それって、言いふらすことと同じじゃない!
よし、じゃあ、こうしよう。
「クピド、キューピッド、エロース、エロイス。この中から好きなのを、混沌より生まれいでた古き神様が選べばいいわ。私は、名前はつけてはいけないって言われているの」
《……ちぇっ! あの怖そうで神経質な隊長に叱られるとこ、見たかったのになぁ。君、引っかからなかったね。おもしろいぞ》
そう言って、私の周りをふわふわと回り始める。
何をするつもりなのか、私は警戒した。
《ふふ、いいこと思いついた。君が悪いんだからね。われに名をつけてくれないんだから》
そう言い残して、エロスはふっと消えてしまった。
やや心に引っかかるものはあったが、今回はなんとかこらえた。
ほっとして、残りのおでを食べ終えた。
これから日本へ戻るにしても、まだ二、三日はかかる。そのあいだに、できるだけこの世界を見ておこう。
――川の向こう側へ渡ってみようかしら。
隊員たちは、小山になった鉱物を仕分けしている。私も手伝いたかったが、野崎から余計なことはするなと言われているため、手持ち無沙汰だった。
ここにジョバンニがいたら一緒に散歩できたのに。そう思いながら浅い川を渡る。
深い場所でも太ももくらいだろうと高を括ってずんずんと進んでいく。
川の中程へ差し掛かったとき、急に水深が深くなって胸まで水に沈んでしまった。
それでも足が着くことに気を良くして対岸を目指す。
服はすぐに乾く。気にしない。
対岸に着くと木々が密に生えていた。
木々の中に進むと光があまり届かず薄暗くなっている。
それでも気にせず奥へ奥へと歩いて行った。
途中で、ふと考える。
「私ってこうだったっけ? もっと慎重なタイプだった気がする」
でも、今の私には怖いものがなかった。気分が高揚して未知なるものが見つかるかもしれないワクワクが胸を満たしていたからだ。




