93.異世界を翔る侍④
侍としての勘。いや、様々な前世で培った武人としての感覚が己の危機的状況を知らせる。
体長が十尺ほどもある大鬼はこちらを確認するなり、かぶりついていた男の脚を放り投げ、こちらに向かって下卑た笑みを浮かべた。
確か受付の娘は、オーガという大鬼に気をつけるよう言っていたと思うが。まさしくコイツがそうなのであろうか。二本の角を持つその姿は、もと居た世界でもよく語られる、赤鬼を連想させるような怪物であった。
かなりの巨体とはいえ、異常に発達した筋肉を見ればわかる。逃げたところで、人の足では恐らく簡単に追い付かれてしまうだろう。
冒険者の登録をして早々、死ぬ事になるとはついてないが。背中の傷は武士の恥。逃げ傷を負うくらいなら、ここは腹を括って真正面から戦うしかない。
いや、どうせバラバラに引きちぎられてしまうのなら、それはあまり気にすることでもないのか。
どちらにせよ逃げきれるとは思えない以上、最後まで足掻いてみるより他ない。
俺は、咄嗟にスパルタの戦士だった頃の事を思い出す。猛獣との戦いはお手のものだが、果たしてこの相手に対してその経験が通用するのだろうか。
圧倒的な力の差を確信しているのだろう。大鬼は、余裕とばかりにゆっくりと俺に近づいてくる。
だが、化物の奴は見誤った。俺が、けっして蛇に睨まれた蛙ではなかったという事を。
距離を詰める動きこそ緩慢だったが、俺の命を取ろうと振り下ろした腕の速さは尋常ではなかった。
しかし、俺はその動きに上手く反応すると同時に、居合いで大鬼の腕を素早く切り落とした。
有難いことだ。アテュエルによって強化された刀の切れ味は、見事としか言い様のないものだった。
まじまじと眺めてみても、あれ程の分厚い肉と骨を断ったにも拘わらず刃こぼれ一つしている様子もない。
これならいける。そう感じた俺は、自身に起きた事に信じられないといった様子で固まる大鬼に対し、一気に畳み掛ける。
「化物め! 覚悟いたせ!」
俺は、そう叫んだあと完全に動きを止めるため、まずは重心のかかっていた左足の脛の辺りを狙う。
足の腱を切られた事で、体勢を崩し僅かに前屈みとなる大鬼。
その様子を見逃すことなく、すかさず俺は刀を払い上げ、化物の太い首を一撃で掻いてやった。
喉笛を深く切られた赤鬼は、激しく血飛沫を吹き出しながら地面に倒れこむ。
飛び退いて後ろに躱した俺の体は、返り血にまみれていた。
「受けていた依頼の対象外だが、報酬はもらえるのだろうかの。何処を証拠とすれば良いのかわからぬ故、少々持ち帰るのは難儀だが首を切り落とすとするか」
俺は、独りそう言ちると、刀の切れ味を試すように鬼の首を一思いに刎ねる。
まさか武士として初めての首斬りが、もののけ相手になるとは。何とも言えない複雑な心境だ。
大鬼の処理も終わり、引き返そうとしたその時だった。俺は、草むらから何かがこちらを観察する気配を感じとる。
戦闘中だったからといって迂闊だった。もし、もののけの類いなどであれば、背後から襲われていてもおかしくはなかった。とはいえ、ここまで襲いかかってこなかったのだから、それほど危険な存在ではないのかもしれない。
襲ってくる意思がないのであれば、そのまま捨て置いても良かったのだが。俺は一応、草むらの存在に対して声を張り上げる。
「隠れてないで、出てくるがよかろう!」
そう声をかけても全く反応がないので、俺は恐る恐るその場所をかき分けてみる。するとそこには怯えた様子の幼い娘が、こちらをじっと見ながらしゃがみこんでいた。
年の頃は十にも及ばないくらいか。青い瞳に尖った耳を持つその幼い娘は、話に聞く難民のエルフである可能性が高い。
「このような場所に一人で、一体どうしたというのだ? 親とはぐれてしまったのか?」
なるべく優しい感じを心がけ訊ねた事が良かったのか、娘は僅かに警戒を解いてくれたようだ。
「悪い人たちに、ここまで連れてこられた……」
今にも泣き出しそうな感じで、そう話し始める娘。
状況から察するにその悪い人たちとは、地面に無惨な遺体となって転がっている者たちなのではなかろうか。
「そうか。それでその、悪い人たちはどうなったのだ?」
俺の予想は正しかったようで、娘はその質問を受けるなり震える手で転がる遺体を指差した。




