58.怯えるアム
敵意こそ感じないが、こちらに近づいてくるその何かは、明らかにアムが指摘したとおりのヤバい存在だった。俺の気配感知も、確かにそうである事を告げている。
目視できるほど近づいてきたその存在は、遠巻きに見ても人の姿をしているように見えた。
木々の隙間から見える黒い影は、どんどん近づいてくる。その存在は、女のような見た目である事か窺えた。
そこまでくると、何故かその存在から感じていた異様な気配は消失する。
「結界を展開して守りに入ったのは正解だっと言えるね。精密射撃する必要がなくなったお陰で、ずいぶんと助けやすくなったよ」
こちらに対して全く警戒する様子もみせず、そう言いながら目の前まで近づいてきた黒髪の少女。
髪の色としては珍しい組み合わせだが、その少女はグリーンの瞳をしていた。
異様な気配が消えたとはいえ、こんな可憐な美少女がこの森を一人で歩いてる時点で普通ではない。
しかも、彼女はゴテゴテの重装備をしているわけでもなく黒いワンピース姿だ。
て言うか口ぶりからして、さっきの攻撃の正体はこの女なのか。
まぁ、異様な気配を感じ取った時点で察しはしていたが。勝手にレインオブロンギヌスとか名付けた自分が、めっちゃくちゃ恥ずかしい。
『だから言ったじゃん。あっ、ヤバい……』
再び俺を揶揄おうとしたアムだったが。その瞬間、目の前にいた美少女のグリーンだった瞳が金色に変化する。
彼女の瞳の変化と共に、俺はまた異様な気を感じ取った。
「あれ? おかしいな。確かに一瞬、天使の気を感じたようだったけど。それと君は、ボクの魅了が全く効かないようだね」
という事は、ギルド本部でヴィラドリアという謎の美女からかけられた魅了も、やはり俺には効いてなかったという話だな。
しかし、どういうわけだろう。あれ程しんどかった身体の状態が、かなり良くなっているような気がするんだが。
「ちょっと前にも、同じことを言われたばかりだ。て言うか、喋るのもしんどいほど疲弊しきっていたはずなのに、いつの間にか普通に会話できるくらい回復してるんだが」
「遠隔で回復の方も当然しといたよ。そうしておいた方が、話を円滑に進められるだろうからね」
そう言えば確かに、いくら空気のスキルがあまり魔力を消費しないとはいえ、完全に枯渇している状態では流石に使えなかったはず。
俺を助け、回復までしてくれた理由についてはよく分からないが、最初に感じたとおり敵意だけは無さそうだ。
にしても、どうせ回復してくれるなら左腕の方も再生して欲しかった。
まぁ、普通に魅了をかけてきた事を認めた時点でどうかとも思うが。助けてくれたうえに回復までしてくれたとなれば、一応感謝はせねばなるまい。
「それで。俺に対して何か話がある感じの口ぶりだが。このあと一体どうしたいって言うんだ?」
「まぁ、こんな森の奥深くに訪れるお客さんも、なかなか居ないからね。せっかくだし、ボクの家でお茶でもと思ったんだけど」
明らかに何か企んでいる様子だが、もし本当に危険な相手なら断ったところで絶対に逃がしたりはしないだろう。
あれほど煩かったアムが、さっきから全く口出ししてこない事も気になる。
そう考えた俺は、下手に逆らわず堂々と彼女についていってみる事にした。
「じゃあ、お言葉に甘えて少し休憩させてもらおうか」
俺の答えを聞いて、不適な笑みを浮かべる謎の美少女。
彼女はそのまま、さぁこっちだよ、といった感じですぐに踵を返す。
「ボクの名前はミコト。キミは何て名なんだい?」
「俺はカケル。スズカゼカケルだ。スズカゼが家族の名で、カケルが個人の名だな」
「へぇ~。じゃ、これからキミの事は、カケルって呼べば良いね? ボクの事も、ミコトって呼んでもらって構わないよ」
話している内容こそ至って普通だが、こんな状況そのものが普通あり得ない。
あくまでも比喩表現なのだと思っていたが、魔女の森と呼ばれているだけに、彼女はこの森の名前の所以となっている存在なのだろうか。図書室にあった、森について書かれている本には、そんな事など全く語られてはいなかった。
少し開けた場所まできたところで、ミコトと名乗った少女は突然こちらに振り返って言う。
「君がこの森にきた目的は、一体なんなんだい?」
相変わらず敵意こそ感じられなかったものの、そういう彼女の表情は氷のように冷たいものだった。




