57.青い月
辛うじて意識は保っていたものの、もう完全にピクリとも動く事はできない。
どうせ食われるなら、せめて意識を失ってしまっていればどんなに楽だっただろうか。
まぁ、強化もない状態なら、どのみち数秒もかからず絶命できるはず。
もはや完全に詰んだ。さぁ、食うならさっさと食いやがれ。
死を前にして、静かにそう心の中で叫ぶ俺だったが。殺人蜂どもは、何故かまだ襲ってくる様子をみせない。
結界が張られていた時と同様に、再び俺から一定の距離を取って周囲を飛び回り始めた。
俺は、自身の隣に何者かの気配を感じる。
何とか横に目線を移すと、そこには白い空間でしか会うことができないはずの、アムの姿があった。
「向こうの世界に帰る前に、少しだけサービスね」
「いやいや、どんだけ引っ張るつもりなんだよ! これ以上がんばったって、どのみちもう詰んでるんだから、いい加減さっさと死なせてくれないか?」
「なによ! せっかく天使が消滅のリスクを負ってまで助けてあげてるのに、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」
消滅のリスクを負っているというのに、何故そこまで俺の事を生かそうとするのか。俺には全く理解できない。
だがしかし、これが天使の気まぐれだとしても、彼女をここまで突き動かせる理由が何か別のところにも有るような気がする。
エリスとの運命的な再会の件もそうだ。俺はきっとまだ、死ぬ時ではないのかもしれない。
しかし、この状況でどう考えようとも、死地を脱する方法など見つけようがないのも確かだ。
超越者としての力さえ取り戻す事ができたなら……
そう、あの空に浮かぶ青い月のように、光の雨を降らせ敵を殲滅する事ができたはず。って……
えっ? 降ってますけど、光の雨!
奇跡は起きた。
上空に突然現れた、青い月から降り注ぐ無数の光の矢が、結界の周りを飛び回る殺人蜂どもを次々と撃ち落としていく。
皮肉な話だ。蜂だけに、まだ二千匹は残っていた殺人蜂どもは文字通り蜂の巣となっていった。
「えっ? うそん。殺人蜂、全滅しちゃったみたい。何だかよくわからないけど、助かったのなら理由なんて何でも良いわね! 兎に角ラッキーだったじゃない」
アムの口ぶりからして、これは彼女がやったわけではなさそうだ。そもそも、結界を張る事で精一杯だったはず。
そう、これは俺のスキル。名前は何てったっけ……まぁ、そんな事はどうでもいい。取りあえず「レインオブロンギヌス」とでもしておこうか。
『カケルちゃんたら、まーた厨二全開な妄想してるのね』
隣に居たはずのアムは、いつの間にやら再び俺の中に戻っていた。
さっきまで今生の別れみたいな雰囲気だったのに、何事もなかったようにまた融合してくるなんて。図々しいにも程があるだろう。
『じゃあ、今のはお前がやったとでも言うのかよ?』
『私じゃないわ。宿主がない状態じゃ、殆んど力なんて使えないもの。最後の結界だって、空間結界だったから逆にもったようなもんよ』
空間結界だからもった、と言われても何の事かよくわからないが。消滅覚悟で力を行使するんだから、あまり派手な行動ができないというのも道理だ。
そうなると、どうやったのかは知らんけど、無意識に超越者としての能力が自然と発動した。それ以外、他に考えられないじゃないか。
激しい攻撃による土煙が完全にはれると、地面には無数の穴が開いていた。その状況を見るに、明らかなオーバーキルだという事が窺える。
空を見上げると、殺人蜂どもを殲滅した青い月は、既に跡形もなく消え去っていた。
我ながら、少しやり過ぎたな。
理由はどうあれ、今回のショックでかなり前世の記憶を思い出せてきたようだ。今まで全く記憶になかった事が、次々と頭の中に浮かんでくる。
しかし、肝心な超越者としての力を行使する方法については、まだ思い出す事ができなかった。
正直、陰キャを演じているのも、もうだるい。
前世の記憶をかなり思い出した事で、俺は素の自分を取り戻しつつあった。
今まで断片的でしかなかった記憶の多くが蘇り、己の存在に自信を深める俺だったが。アムが次に発した言葉によって、一気に興醒めする事となってしまう。
『喜びに浸ってるところ、申し訳ないとは思うんだけどね。あっちの方から、かなりヤバい感じの何かが近づいてくるよ』
アムの指摘を受け我に返った俺は、すぐに自身の周囲に意識を広げる。以前より更に感度の増した空気のスキルによって、こちらに近づく何か得たいの知れない者の存在を、はっきりと感じとる事ができた。




