53.最悪の状況
時速80キロで飛ぶ殺人蜂、数千匹がすぐここにやってくる。仲間を殺された奴らは見境がない。目に入るもの全てを敵認定して襲ってくるのだ。
奴らの主食は、同じ昆虫系の魔物である。そのため刺激をしない限り、そうしょっちゅう襲われる事はない。
しかし、他の魔物との戦闘で図らずも刺激してしまう事もあるため、そうなってしまったときには眠らせたり麻痺させたりするか、確実に仕留める必要がある。
昆虫系は、お化けキノコ系ほどではないものの生命力が非常に強い。その為この殺人蜂も例外なく、剣などで真っ二つにしたくらいでは即死とはならない。
瀕死の状態で羽を擦り合わせる音がしていたら、ほぼ確実に仲間を呼んでいる合図である。
図書室で学んだ知識によると、この森において一番やってはいけないと言われている事を、川口の奴はやってしまった状況だ。
「涼風くん一人でって、この状況をどうにかできる自信でもあるの?」
日高さんは、心配そうな顔で僕に対してそう問う。
勿論、どうにかできる自信なんてまるでない。しかし、全員で川口を助けにいったところで、数千匹の殺人蜂を相手に勝つ事は不可能だ。どうせ逃げる事になるなら、奴に対し危機を知らせにいく人間は一人でも十分なはず。
中途半端に居るくらいなら、逆に人数が少ない方が他を気にせず逃げる事にも集中できる。
「川口くんに危機を伝えにいくだけだから、一人でいった方が動きやすい。皆は途中、他のパーティーを見かけたら森を出るように伝えてくれるかな?」
「涼風の言うとおりだぜ! 俺たちは、他の連中に途中で会ったら状況を知らせつつ、逃げる事に集中しよう!」
僕の提案に対し、即座にそう答える戸田。
おいおい、お前にとって川口は親友じゃないのかよ。どんだけ薄情な人間なんだ、お前って奴は。
「大丈夫なのか? 涼風。確かに、この森についてよく勉強しているお前が、一番適任だとは思うけどさ……」
心配そうな顔をしながらそう言いかける本庄さん。日高さんも、とても不安そうな表情を浮かべている。
「大丈夫、任せておいて! いざとなったら、対処法方は心得てるつもりだし」
そうは言ってみたものの、この状態になった殺人蜂の群れに対する有効な手段なんてない。逃げる、か全て倒す、以外に方法などないのだ。
しかし、さっき言ったとおり皆で協力したところで全て倒してしまう事は不可能だし、どのみち逃げるしかないのなら一人の方が集中しやすい。
僕は、三人に対して笑顔を向けた後、風脚の魔法をかけ何も言わずに走り出す。
川口を探しながら森を駆け抜けている間、僕は何もレクチャーすらしなかった帝国側のずさんさを恨んだ。
ほどなくして、川口の絶叫する声が僕の耳に響いてくる。
「上等だ! 全部ぶっ倒して、俺だけ大量にレベルアップしてやんよ!」
「川口くん! もっと、とんでもなく数が増えてくるはずだから、こいつらに構ってないですぐに逃げよう!」
戦いの場となっていた少し開けた場所で、30匹くらいの殺人蜂を相手に奮闘する川口。狂人化状態になっているのか、僕の声に全く反応する様子はなかった。
しかし、その威勢とは裏腹に、川口の動きは明らかに緩慢なものとなっていた。
「いい加減にするんだ川口! 逃げる体力が残っているうちに、さっさと撤退するんだ!」
命令口調だった事が良かったのか、川口の奴はようやく僕の声に反応する。
「うるせー涼風! テメーに指図される覚えなんてねーんだよ!」
そう言いながら、次々と殺人蜂を斬り刻んでいく川口。取りあえずそんな奴の事を正気に戻すために、僕は魔法で残りの十数匹を一気に焼き払う。一旦、落ち着く事ができれば、少しは聞く耳を持ってくれるはずだ。
「テメーが倒したって、どうせステータスなんか上がりゃしねーだろ!」
怒った様子ではあるものの、敵が一掃された事で少しは話しをできる状態になったようだ。
「とにかく今は、この場から一刻も早く離れよう! もう僕も、走って逃げるだけの体力と魔力しか残ってないみたいだ。こんな状態じゃ、何千もの殺人蜂を相手に戦って切り抜ける自信なんて全くないよ!」
「けっ! 逃げたきゃ、お前一人で勝手に逃げりゃいーだろ! 俺は、今日中にレベルを30まで上げてーんだよ!」
そう啖呵を切る川口だったが、すぐにその勢いは削がれる事となる。
まるで何千人もの僧侶が、一斉に念仏を唱えているかのような重低音が森の奥から轟く。
その轟音は、このあと直面するであろう状況がいかに絶望的なのかを物語っていた。
さすがの川口も、その音を耳にして硬直する。
「逃げんぞ、涼風!」
急に焦った様子となった川口はそう言うと、躊躇うことなく音とは反対の方へと向かって走り出す。
ようやく逃げる気になったバカの、急な態度の変化に少し唖然としてしまったが。すぐに気を取り直した僕は、最後の力を振り絞り奴の後を追いかけはじめた。




