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王宮での報告会から数日後、エレノアは再び慈善活動の会合に招かれていた。
今回は、各施設への支援を今後どのように継続していくか、具体的な方針を話し合うための集まりだった。
王妃の後援を受けて長年活動してきた貴婦人たちに加え、いくつかの施設の代表者も出席している。
エレノアは会場へ入ると、先日の孤児院訪問で世話になった伯爵夫人に挨拶をした。
「ヴァルツェン侯爵夫人。先日の報告会では、大変な思いをなさいましたね」
「ご心配をおかけしました。おかげさまで、怪我もなく過ごしております」
「それは何よりですわ。今日は少し難しいお話もございますけれど、ぜひご一緒に考えてまいりましょう」
「はい。よろしくお願いいたします」
エレノアは微笑んで頷いた。
孤児院を訪問して以来、彼女は支援について以前より深く考えるようになっていた。
子どもたちが安心して暮らせることはもちろん、その先の人生にも目を向けたい。
読み書きや計算を学ぶ機会があれば、施設を出たあとに選べる道も増えるはずだ。
そのために何ができるのか、今日も多くのことを学びたいと思っていた。
◇
会合では、各施設の代表者から現状が報告された。
冬に向けた食料や衣類の確保、老朽化した建物の修繕、働き手の不足。支援を必要とする場所は多く、集められた資金にも限りがある。
なかでも、戦争で家族や住まいを失った人々を受け入れている施設の報告は、エレノアの胸に重く響いた。
「昨年より受け入れ人数が増えておりますが、寄付は十分に集まっておりません。このままでは、冬の間に提供できる食事を減らさざるを得ないかもしれません」
施設の代表者は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「働ける者には仕事を紹介しておりますが、負傷した方や幼い子どもを抱える方も多く、すぐに自立できる状況ではございません」
その言葉を聞きながら、エレノアはリーヴェのことを思い出していた。
戦争が終わっても、失われた暮らしがすぐに戻るわけではない。
壊れた道、荒れた農地、減ってしまった働き手。
故郷で目にしてきた光景が、代表者の話と重なった。
「何か、ご質問はございますか?」
進行役の伯爵夫人が問いかけると、エレノアは静かに手を挙げた。
「一つ、よろしいでしょうか」
「もちろんですわ、侯爵夫人」
「現在、施設ではどのような支援が特に不足しているのでしょうか。食料や衣類のほかにも、必要なものがございましたら教えていただきたいのです」
代表者は少し考えてから答えた。
「差し迫っておりますのは食料と暖房に使う燃料でございます。ただ、長い目で見れば、仕事を得るための支援も必要だと考えております」
「そうなのですね……」
エレノアは頷いた。
「私も、先日孤児院を訪問して、今の暮らしを守ることと、その先の生活を支えることの両方が大切なのだと感じました」
「おっしゃるとおりでございます」
代表者の表情がわずかに明るくなった。
「ですが、今はどうしても目の前のことで精一杯でして……」
その言葉に、エレノアは胸が痛んだ。
何かできることはないだろうか。
侯爵家には、さまざまな人々とのつながりがある。必要な物資を集める方法や、協力をお願いできる相手を探すことなら、自分にも手伝えるかもしれない。
「私どもにも、何かお力になれることがあるかもしれません」
そう口にしたとき、代表者が顔を上げた。
「それは……ヴァルツェン侯爵家からも、ご支援をいただけるということでございましょうか?」
エレノアは、はっとした。
「いえ、まだ具体的なお約束ができるわけではございませんが……」
「侯爵家にお力添えいただけるのであれば、大変心強く存じます」
代表者の声には、隠しきれない期待が滲んでいた。
周囲の貴婦人たちも、エレノアへ視線を向けた。
「まあ、ヴァルツェン侯爵家がご協力くださるのでしたら、ほかの方々にもお声がけしやすくなりますわね」
「侯爵閣下は復興にもご尽力なさっている方ですもの。きっと心強いことでしょう」
話が思いがけない方向へ進み始め、エレノアは慌てて口を開いた。
「お待ちください。私はまだ、侯爵家としての支援をお約束したわけでは……」
「皆様、少しよろしいかしら」
静かな声が、会場に響いた。
発言したのは、長年この活動に携わってきた年配の侯爵夫人だった。
「ヴァルツェン侯爵夫人。お気持ちは大変ありがたいことですわ。ただ、今のお言葉について、一つ確認させていただいてもよろしいかしら」
「……はい」
「侯爵家としてのご支援は、すでに閣下とご相談なさったうえでのお話でしょうか?」
エレノアは首を振った。
「いいえ。まだ、そのようなお話はしておりません」
「では、現時点では正式なお申し出ではない、ということですわね」
「はい。私としては、何かお手伝いできる方法がないか、考えてみたいという意味で……」
侯爵夫人は頷いた。
「お気持ちはよく分かります。ですが、ヴァルツェン侯爵家のお名前には、それだけの重みがございますのよ」
その言葉に、エレノアは唇を結んだ。
「侯爵家からのご支援があると受け取られれば、施設の方々はそれを見込んで今後の計画を立てられるかもしれません。ほかの支援者の判断にも影響いたしますわ」
「……はい」
「もし後になって実現しなければ、困るのは支援を待っている方々です。そして、侯爵閣下にも説明を求める声が届くことになるでしょう」
会場が静かになった。
エレノアは、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
自分はただ、何かできることがあればと思っただけだった。
けれど、侯爵夫人である自分の言葉は、個人の思いつきとして受け取られるとは限らない。
アレクシスに相談もせず、侯爵家の名を背負って発言してしまった。
そのことに、今になって気づいた。
「……申し訳ございません」
エレノアは深く頭を下げた。
「私の言葉が足りず、誤解を招いてしまいました。現時点で侯爵家としてお約束できる支援はございません。皆様に期待を抱かせてしまったことを、お詫び申し上げます」
代表者も慌てて頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、早合点をしてしまい……」
「いいえ。私の伝え方が軽率でした」
エレノアは顔を上げ、代表者を見つめた。
「お困りの状況を伺い、何かしたいと思った気持ちは変わりません。ですが、まずは私自身が支援の仕組みをきちんと理解し、何ができるのか考えてまいりたいと思います」
年配の侯爵夫人は、その言葉を聞いて静かに頷いた。
「それがよろしいでしょう。お気持ちを形にするには、慎重な準備も必要ですから」
進行役の伯爵夫人が、穏やかに口を開いた。
「では、先ほどのお話は、今後の協力方法を検討するご意向として受け止めましょう。正式な支援のお申し出ではないことを、皆様もご承知おきくださいませ」
その場にいた人々が頷き、会合は次の議題へ移った。
大きな問題になったわけではなかった。
けれど、エレノアはしばらく顔を上げることができなかった。
侯爵家の名を背負うということ。
それを理解しているつもりで、まだ十分には分かっていなかったのだ。
◇
会合が終わると、エレノアは施設の代表者に改めて挨拶をした。
「先ほどは、申し訳ございませんでした」
「とんでもございません。お気持ちだけでも、本当にありがたく思っております」
「今すぐお約束はできませんが、今日伺ったお話を忘れることはございません」
代表者は深く頭を下げた。
エレノアも一礼し、その場を離れた。
廊下へ出ると、窓から午後の柔らかな光が差し込んでいた。
気持ちを切り替えなければ。
今日のことは、次に生かせばいい。
そう思いながら歩いていると、背後から声がかかった。
「ヴァルツェン侯爵夫人」
振り向くと、王女が侍女を伴って立っていた。
「王女殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
エレノアは姿勢を正し、丁寧に一礼した。
「先ほどの会合、お疲れさまでございました」
「ありがとうございます」
王女は穏やかに微笑んだ。
「少し、お話ししてもよろしいかしら」
「はい。もちろんでございます」
王女は侍女に目配せし、少し離れた場所で待つよう告げた。
廊下にはほかにも人の姿があったが、二人の会話が聞こえるほど近くにはいない。
「先ほどのお話、少し驚いてしまいましたわ」
王女は扇を手にしたまま、静かに言った。
「侯爵家からのご支援を、あのような場でお申し出になるのかと思いましたもの」
エレノアは目を伏せた。
「私の言葉が至らず、誤解を招いてしまいました」
「ええ。でも、すぐに訂正なさってよかったですわね」
「はい。今後は、より慎重に発言しなければと思っております」
王女は小さく頷いた。
「侯爵夫人になられて、まだ日が浅いのでしょう? 慣れないことも多いでしょうし、仕方のないことかもしれませんわ」
「……ありがとうございます」
「地方の子爵家でお育ちになったと伺っておりますもの。王都の貴族社会とは、勝手の違うことも多いのでしょうね」
その言葉に、エレノアはわずかに顔を上げた。
リーヴェで過ごした日々は、彼女にとって大切なものだった。
田舎の小さな領地ではあったけれど、父も母も、領民のことを思いながら懸命に暮らしてきた。
そのことを恥じたことなど、一度もない。
「リーヴェは小さな領地ですが、私にとって大切な故郷でございます」
エレノアは穏やかに答えた。
「そうでしょうね」
王女は微笑みを崩さなかった。
「ただ、今のあなたはヴァルツェン侯爵夫人ですもの。故郷での常識だけでは通用しないことも、きっと多いのでしょう」
エレノアは静かに頷いた。
「はい。そのことは、日々学んでおります」
「努力なさっているのね」
王女はそう言ってから、少し声を落とした。
「ですが、努力だけでは補えないこともございますわ」
エレノアの胸が、かすかに強張った。
「侯爵閣下は、戦場で多くの方々を率い、国のために尽くしてこられた方でしょう。今も重要なお役目を担い、どれほどお忙しいことか」
「……はい」
「先日の報告会で、閣下とお話しする機会がございましたの」
王女の表情が、わずかに明るくなった。
「負傷した兵士の方々への支援について、私の国で行っている取り組みをお話ししたのです。閣下はとても熱心に耳を傾けてくださって、いくつもご質問をいただきましたわ」
「そうだったのですね」
エレノアは微笑んだ。
アレクシスがそのような話に関心を寄せることは、よく分かる。
彼は戦場で多くの兵士を見てきた人だ。戦いが終わったあとも、彼らの暮らしを案じている。
「侯爵閣下は、本当に素晴らしい方ですわね。お話ししていて、時間を忘れてしまうほどでした」
「はい。私も、そう思っております」
エレノアの答えを聞いて、王女は一瞬だけ口を閉じた。
けれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「だからこそ、少し心配になってしまいましたの」
「……心配、でございますか?」
「ええ。閣下は今も多くの責任を背負っていらっしゃいますでしょう?」
王女はエレノアを見つめた。
「それなのに、奥様の何気ない一言によって、閣下がご説明や弁明をなさらなければならなくなるとしたら……あまりにもお気の毒ではありませんこと?」
エレノアは息を呑んだ。
先ほどの侯爵夫人の言葉が、胸の中に蘇る。
ーーーーもし後になって実現しなければ、侯爵閣下にも説明を求める声が届くことになるでしょう。
「……おっしゃるとおりです」
ようやく、それだけを答えた。
王女は静かに続けた。
「もちろん、閣下はお優しい方ですから、奥様をお責めになることなどないでしょう。でも、だからこそ、奥様ご自身が気づいて差し上げなければなりませんわね」
エレノアは、膝の前で重ねた手にそっと力を込めた。
アレクシスは、きっと今日のことを聞いても責めたりしない。
何があったのか尋ね、次から気をつければいいと、穏やかに言ってくれるだろう。
その優しさを、彼女はよく知っている。
「……はい。これからは、同じことを繰り返さないようにいたします」
「それがよろしいと思いますわ」
王女は少し首を傾げた。
「侯爵閣下は、外でも多くの方々から頼られていらっしゃいますもの。せめてお屋敷では、心安らかにお過ごしいただきたいものですわね」
エレノアは顔を上げた。
それは、自分もずっと願ってきたことだった。
アレクシスが帰ってきたとき、穏やかな時間を過ごしてほしい。
侯爵としての責任も、軍での重い役目も、ほんのひととき忘れて休んでほしい。
そのために、自分ができることをしたいと思ってきた。
「奥様まで、いつまでも閣下に支えていただくばかりでは……」
王女はそこで一度言葉を切った。
「……あの方は、いつお休みになれるのでしょうね」
胸の奥に、鋭い痛みが走った。
エレノアは何か答えようとしたが、すぐには言葉が出てこなかった。
王女はその様子を見つめていた。
「誤解なさらないでくださいませ。私は、侯爵夫人を責めたいわけではございませんの」
その声は、どこまでも柔らかかった。
「ただ、愛されていることと、支えになれていることは、必ずしも同じではございませんでしょう?」
エレノアは唇を結んだ。
アレクシスが自分を愛してくれていることは、分かっている。
けれど、自分はあの人の支えになれているのだろうか。
その問いに、すぐ答えることができなかった。
「……ご忠告、ありがとうございます」
エレノアは静かに頭を下げた。
「至らないところはございますが、これからも学び、アレクシス様のお力になれるよう努めてまいります」
王女は微笑んだ。
「ええ。そうなさるとよろしいわ」
エレノアはもう一度一礼し、その場を辞した。
背筋を伸ばし、歩調を乱さずに廊下を進んでいく。
王女はその後ろ姿を見つめていた。
あの女性は、きっと優しいのだろう。
夫を大切に思っていることも、疑ってはいない。
けれど、それだけでアレクシスの隣に立つにふさわしいと言えるのだろうか。
王女は先日の報告会を思い出した。
負傷兵への支援について語ったとき、アレクシスは自分の言葉に関心を示してくれた。
彼の考えを聞き、自分も意見を返すことができた。
あのような時間を、もっと重ねられたなら。
彼が背負う責任を理解し、同じ目線で支えられるのは、自分のような女性ではないだろうか。
今はまだ、彼の眼差しが妻に向けられているとしても。
時間をかけて互いを知れば、いつか自分にも、あの優しい表情を見せてくれるかもしれない。
王女は静かに扇を閉じた。
その可能性を、手放すつもりはなかった。
◇
帰りの馬車の中で、エレノアは窓の外を眺めていた。
王都の通りには、いつもと変わらない人々の暮らしがあった。店先で笑い合う親子や、荷物を運ぶ商人たち。馬車が広場を通り過ぎる頃には、買い物を終えた人々が家路につき始めていた。
エレノアはその光景を目で追いながら、会合での出来事を思い返していた。
施設の代表者が見せた、期待に満ちた表情。
侯爵家としての支援を約束したわけではないと伝えたとき、静まり返った会場。
そして、年配の侯爵夫人から受けた指摘。
自分の言葉が持つ重みを、十分に考えられていなかった。
善意であれば何を口にしてもよいわけではない。支援を待つ人々に期待を抱かせてしまえば、それだけで責任が生まれることもある。
今日のことは、忘れてはいけない。
次に同じような場へ出るときには、もっと慎重に考え、準備を整えて臨もう。
そう思ったところで、王女の声が蘇った。
ーーーー奥様まで、いつまでも閣下に支えていただくばかりでは……あの方は、いつお休みになれるのでしょうね
エレノアは膝の上で重ねた手に目を落とした。
アレクシスの忙しさは、誰よりも身近で見ているつもりだった。
朝早くから王宮へ向かう日もあれば、夜遅くまで仕事が終わらない日もある。侯爵家のことだけでなく、軍や王宮での務めもあり、彼のもとには絶えずさまざまな報告が届く。
それでも、屋敷に帰ればいつも自分に微笑みかけてくれる。
そんな彼に、少しでも安らげる時間を過ごしてほしかった。
そのために自分も努力してきたはずなのに、今日のようなことがあれば、かえって夫の負担を増やしてしまうのではないか。
エレノアは小さく息を吐き、窓の外へ視線を戻した。
考えていても、今日の出来事を変えることはできない。
まずは帰って、いつもどおりに過ごそう。
そう自分に言い聞かせた。
◇
侯爵邸へ戻ると、ローザがいつものように出迎えてくれた。
「奥様、お帰りなさいませ。会合はいかがでございましたか?」
「いろいろと勉強になったわ。まだ知らないことがたくさんあるのね」
エレノアが微笑むと、ローザも嬉しそうに頷いた。
「それから奥様、先ほど旦那様からご連絡がございました。本日はお仕事が長引くため、お帰りが遅くなるそうです」
「そうなのね。最近ずっとお忙しいものね……お身体を壊されないといいのだけれど」
心配そうに眉を寄せたエレノアに、ローザは「旦那様にもお伝えしておきますね」と笑った。
その何気ない会話の途中にも、王女の言葉が胸をよぎった。
ーーーーあの方は、いつお休みになれるのでしょうね
エレノアは少しだけ口元をキツく結んで、ローザとともに部屋へ向かった。
その後も、いつもどおりに過ごした。会合で受け取った資料を整理し、屋敷の仕事について報告を受け、湯浴みも済ませた。
けれど、ふと手が止まるたびに、今日の出来事が思い出された。
会合で自分の言葉が招いた誤解も、王女から告げられたことも、忘れようとするほど頭から離れなかった。
「奥様、お夕食はいかがなさいますか?」
湯浴みを終えた頃、ローザに尋ねられ、エレノアは小さく首を振った。
「今日はあまり食欲がないの。夕食は遠慮して、早めに休むことにするわ」
「お加減が悪いのでしょうか?」
「いいえ、大丈夫よ。少し疲れただけ。心配しないで」
エレノアが微笑むと、ローザは少し迷いながらも頷いた。
「では、何か召し上がりたくなりましたら、いつでもお申しつけくださいませ」
「ありがとう、ローザ」
◇
一人になったエレノアは、寝室へ向かう途中で足を止め、隣の私的な居間へ入った。
そこには、アレクシスと過ごすいつものソファがあった。
彼はどれほど忙しくても、帰宅すれば自分の話に耳を傾け、穏やかに微笑んでくれる。疲れているはずの日にも、エレノアが困っていないか、何か心配事はないかと気遣ってくれた。
その優しさに、どれほど救われてきただろう。
けれど、今日ばかりは、そのことを思い出すほど胸が苦しくなった。
ーーーー奥様まで、いつまでも閣下に支えていただくばかりでは……あの方は、いつお休みになれるのでしょうね
アレクシスは今日も遅くまで働いている。
国のために、領地のために、彼を必要とする多くの人々のために。
そんな彼がようやく帰宅したときくらい、何も心配せずに休んでほしかった。
けれど、自分が今日の失敗を打ち明ければ、きっと彼は放っておかないだろう。たとえ侯爵家に実害がなかったとしても、エレノアが傷ついていると知れば、何とか安心させようとしてくれる。
その姿が、容易に想像できた。
本当は、話を聞いてほしかった。
今日、何があったのか。どんな言葉をかけられて、どれほど苦しかったのか。
全部聞いてもらえたら、きっと気持ちは軽くなる。
けれど、それではまた、自分だけが彼に支えてもらうことになる。
エレノアはソファに腰を下ろし、そっと両膝を抱えた。
彼の優しさに甘えることが、悪いことだとは思っていない。
それでも、あの人が背負うものを少しでも軽くしたいと願っているのに、自分が新たな心配を増やしてしまうのは、どうしても嫌だった。
せめて、アレクシスが帰ってきたときには、笑顔で迎えたい。
今日もお疲れさまでした、と。
何も気にせず、ゆっくり休んでください、と。
いつものように、そう言ってあげたかった。
なのに、王女の言葉がまた胸に蘇る。
ーーーー愛されていることと、支えになれていることは、必ずしも同じではございませんでしょう?
エレノアは抱えた膝に額を寄せた。
自分は、あの人を支えられているのだろうか。
それとも、優しい彼に、支えてもらっているだけなのだろうか。
堪えていた涙が、頬を伝った。
今夜は、アレクシスの帰りが遅い。
泣くなら、今だけ。
彼が帰ってくるまでには涙を拭って、いつものように笑えるはずだった。




