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王宮で開かれる慈善活動の報告会には、王都の貴族たちに加え、各施設の代表者も招かれていた。
王妃が後援する活動の成果を紹介し、今後の支援について意見を交わすための集まりである。
エレノアは先日の孤児院訪問をきっかけに招待を受け、アレクシスも会場周辺の警備を統括する立場として、朝から王宮へ向かうことになっていた。
二人はともに朝食を済ませたあと、それぞれの支度を整えて馬車に乗った。
「今日は、ほかの施設の方々にもお会いできるそうなんです」
向かいに座るアレクシスに、エレノアは楽しそうに話しかけた。
「孤児院以外の活動についても知ることができそうだな」
「はい。私にできることを考えるためにも、いろいろなお話を伺いたいと思っています」
「君なら、きっと多くのことを見つけられるだろう」
エレノアは微笑んだ。
「アレクシス様は、今日はお忙しいのでしょう?」
「報告会の間は警備の確認が中心だ。何か問題がなければ、それほど慌ただしくはならないはずだが」
「では、お昼はご一緒できるかもしれませんね」
「時間が合えばな」
そう答えたアレクシスの表情がわずかに和らぎ、エレノアも嬉しそうに頷いた。
◇
王宮に到着すると、アレクシスは警備を担当する士官たちのもとへ向かい、エレノアは案内役に従って会場へ入った。
広間には施設で作られた手工芸品や、支援活動の記録をまとめた資料が並んでいた。壁際では関係者たちが準備を進め、招待客が到着するたびに挨拶の声が交わされている。
エレノアは先日の孤児院訪問で世話になった伯爵夫人を見つけ、歩み寄った。
「伯爵夫人。本日もよろしくお願いいたします」
「まあ、ヴァルツェン侯爵夫人。お待ちしておりましたわ」
伯爵夫人は親しげに微笑んだ。
「先日はありがとうございました。子どもたちが、侯爵夫人のお話を何度もしているそうですのよ」
「本当ですか?」
「ええ。特にミアという女の子が、次はいついらっしゃるのかと尋ねているそうです」
その名前を聞いた途端、エレノアの顔が明るくなった。
「嬉しいです。私も、また会えるのを楽しみにしているんです」
「次の訪問については、後ほどご相談しましょう。今日はほかの施設の方々もいらしていますから、ぜひお話を聞いてみてくださいませ」
「はい。よろしくお願いいたします」
伯爵夫人に紹介されながら、エレノアは各施設の代表者たちと挨拶を交わした。
戦争で家族を失った人々のための施設や、負傷した兵士の社会復帰を支える施設など、活動の内容は多岐にわたっている。
話を聞くほどに、自分の知らないことがまだ数多くあるのだと実感した。
◇
報告会が始まる少し前、アレクシスが会場へ姿を見せた。
警備の確認を終え、関係者への挨拶を兼ねて広間を見回っていたところだった。
エレノアはちょうど伯爵夫人との話を終えたところで、夫の姿に気づいて微笑んだ。
「アレクシス様」
「ああ、エレノア。伯爵夫人にはお会いできたか?」
「はい。先ほどご挨拶しました。孤児院の子どもたちのお話も聞かせていただいたんです」
「そうか。ミアという子も元気にしているようだな」
「ええ。次の訪問が待ち遠しいです」
嬉しそうに話す妻を見て、アレクシスも口元を緩めた。
「今日はほかの施設の話も聞けるのだろう?」
「はい。気になることがたくさんあって、どこから伺おうか迷ってしまいます」
「君らしいな」
「ふふ。アレクシス様も、お仕事が落ち着いたら少しご覧になってくださいね」
「ああ。時間が取れたらそうしよう」
アレクシスは彼女の手に軽く触れた。
「では、またあとで」
「はい」
短いやり取りを交わし、アレクシスは再び仕事へ戻っていった。
エレノアも伯爵夫人に呼ばれ、展示の説明を聞くために歩き出した。
◇
王女が会場を訪れたのは、それから間もなくのことだった。
王妃から招待を受けた王女は、自国の慈善活動との違いにも関心を寄せていた。
展示を見て回るうち、負傷した兵士の社会復帰を支援する施設の前で、アレクシスが担当者と話している姿を見つけた。
王女は足を止め、説明が終わるのを待ってから声をかけた。
「ヴァルツェン侯爵閣下。こちらの施設は、戦地から戻った兵士の方々を支援しているのですね」
「はい。負傷によって以前の職務に戻れない者が、新たな仕事を得られるよう支援しております」
「私の国にも、似た取り組みがございますわ」
アレクシスは王女へ向き直った。
「どのような取り組みでしょうか」
王女は少し嬉しくなりながら、自国で行われている支援について説明した。
「負傷した兵士の中には、農地を管理する仕事に就く方もおりますの。身体への負担を減らせるよう道具を改良したり、働く場所を紹介したりしています」
「なるほど。職を紹介するだけでなく、働く環境そのものを整えるのですね」
「ええ。もちろん、まだ十分とは言えませんけれど」
「参考になります。こちらでも、施設を出たあとの就労環境については課題が残っていますので」
アレクシスは展示資料へ目を向けた。
「軍を離れた者が生活を立て直すには、継続して働ける場所が必要です。そうした支援が広がれば、助かる者も多いでしょう」
王女は頷いた。
「帰国したら、こちらで学んだことも報告したいと思っております」
「両国の取り組みを共有できるのは、有意義なことです」
彼の言葉に、王女の胸が弾んだ。
それからも二人は、施設の運営方法や支援を受けた人々のその後について言葉を交わした。
王女が自国の事例を紹介すると、アレクシスは具体的な質問を返した。彼女も知る限りのことを答え、ときには担当者を交えて話が広がった。
王女にとって、それは思いがけず充実した時間だった。
単に彼の声を聞いているだけではない。
自分の言葉が彼の関心を引き、彼もまた、自分の話に耳を傾けてくれている。
そのことが嬉しかった。
やがて別の士官がアレクシスを呼びに来ると、彼は王女へ一礼した。
「貴重なお話をありがとうございました。今後の参考にさせていただきます」
「こちらこそ。侯爵閣下とお話しできて、勉強になりましたわ」
王女は自然と笑みを浮かべた。
彼が仕事へ戻ったあとも、先ほどの会話が心に残っていた。
◇
午後になると、会場の一角では展示品の入れ替えが始まった。
担当者たちは次の説明に使う品々を運び込み、壁際に置かれた木箱から資料や布製品を取り出していた。
エレノアは少し離れた場所で、孤児院の院長と話をしていた。
「先日いただいた本は、子どもたちが毎日のように開いております」
「それは嬉しいです。次は、もう少し文字の多い本もお持ちしようかと考えているんです」
「年長の子たちも喜ぶでしょう」
院長が微笑んだ、そのときだった。背後で何かがぶつかる音がした。
振り向くと、展示品を運んでいた若い従者が、積み重ねられた木箱の一つに肩をぶつけていた。
上に載せられていた箱が傾く。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
エレノアが顔を上げたときには、木箱がこちらへ倒れかかっていた。
咄嗟に院長の肩を押して危険から遠ざけたものの、自分の背後には展示台があり、すぐには身を引けなかった。
その瞬間、横から伸びてきた腕がエレノアの身体を引き寄せた。
「エレノア!」
聞き慣れた声が響く。
次の瞬間、木箱が床に落ち、鈍い音が広間に響き渡った。
エレノアはアレクシスの腕の中にいた。
彼は彼女を抱き寄せたまま、落下した箱から距離を取っていた。
「怪我は?」
いつもより低く、切迫した声だった。
「……アレクシス様?」
「どこか痛むところはないか」
エレノアは驚きながらも首を振った。
「大丈夫です。どこも……」
アレクシスは彼女の顔を確かめ、それから肩や腕に視線を走らせた。
「本当に?」
「はい。アレクシス様が助けてくださったので」
その答えを聞いて、ようやく彼の肩から力が抜けた。
「……よかった」
短い言葉だった。
けれど、エレノアには、その声に滲んだ安堵がはっきりと伝わった。
「アレクシス様こそ、お怪我はありませんか?」
「ああ。問題ない」
彼はようやく腕を緩めると、そばに駆け寄ってきた係の者たちに目を向けた。
「ほかに怪我人はいないか確認を。落下した箱には触れず、周囲の安全を確保してくれ」
指示を受けた者たちが、すぐに動き始めた。
アレクシスは再びエレノアへ向き直った。
「驚いただろう」
「少し……。でも、もう大丈夫です」
そう答えたエレノアの手は、まだわずかに震えていた。
アレクシスはそれに気づくと、彼女の手をそっと包んだ。
「少し座ろう」
「ですが、皆様が……」
「こちらは任せておけばいい」
彼の声は穏やかだったが、譲るつもりはないらしい。
エレノアは小さく頷き、差し出された腕に手を添えた。
◇
王女は、その一部始終を見ていた。
先ほどまで、アレクシスと交わした会話の余韻に浸っていた。
自分の話に真剣に耳を傾け、質問を返してくれた彼。その姿を思い出すだけで、自然と頬が緩んだ。
だからこそ、突然響いた彼の声に驚いた。
「エレノア!」
人々の間を駆け抜けていくアレクシスを、王女は呆然と見つめた。
木箱が落ちる音が響き、周囲が騒然となる。
けれど、王女の目に映っていたのは、妻を抱き寄せたアレクシスの姿だけだった。
彼はエレノアの顔を覗き込み、何度も怪我がないか確かめている。
その表情を見た瞬間、王女は息を呑んだ。
以前、視察先で足を滑らせた自分を、彼が支えてくれたことがある。
あのときも、彼の動きに迷いはなかった。
けれど、今の彼は違う。
妻が無事だと分かってなお、気遣うように手を包み、そばを離れようとしない。
王女は視線を落とした。
先ほど、自分と彼は確かに言葉を交わした。
同じことに関心を寄せ、互いの国の取り組みについて話し合った。
あの時間が嬉しかったことに、嘘はない。
けれど、彼が妻の名を呼んだ声を聞いてしまった今、胸の奥に残っていた喜びが少しずつ薄れていくようだった。
「侯爵夫人も、ご無事のようですわね」
隣にいた侍女が安堵したように言った。
「……ええ」
王女は小さく頷いた。
エレノアが怪我をしなかったことは、喜ぶべきことだ。
それなのに、目の前の二人を見ていると、胸が苦しくなる。
王女はそっと指先を握りしめた。
◇
騒ぎが収まった頃、エレノアは広間の端に用意された椅子で休んでいた。
アレクシスは係の者から報告を受け、安全が確認されたことを確かめてから、彼女のもとへ戻ってきた。
「もう大丈夫か」
「はい。皆様にもご心配をおかけしてしまいました」
「君が謝ることではない」
アレクシスは隣の椅子に腰を下ろした。
「院長先生をかばおうとしたのか?」
「……すぐそばにいらしたので、つい」
「そうか」
責めるような口調ではなかった。
「ただ、君自身も危険だった。次は自分の身を守ることを先に考えてくれ」
「はい。気をつけます」
エレノアが素直に頷くと、アレクシスはその手を取り、指先を軽く握った。
「君に何かあったら、俺は……」
そこで言葉を止める。
エレノアが顔を上げると、彼は困ったように微笑んだ。
「いや。無事でよかった」
その表情に胸が温かくなり、エレノアもそっと手を握り返した。
「ありがとうございます。アレクシス様」
二人の間に流れる空気は、周囲の賑わいとは切り離されたように穏やかだった。
やがてアレクシスは仕事へ戻るために立ち上がったが、エレノアが落ち着いたことを確かめるまで、何度も気遣うように声をかけていた。
その姿を、王女は離れた場所から見つめていた。
侯爵家と子爵家の親交によって結ばれた縁。
そう考えていた。
けれど、あの二人を見ていると、それだけでは説明できないものがあるように思えてしまう。
王女は唇を引き結んだ。
彼の隣に立つ女性が、なぜエレノアでなければならないのか。
自分なら、もっと彼の力になれるかもしれない。
王女として培ってきた知識も、人脈も、彼の役に立つはずだ。
先ほどの会話は、その可能性を感じさせてくれた。
それなのに、彼の眼差しは、あの女性にしか向けられない。
王女は再び、エレノアへ視線を向けた。
彼女は伯爵夫人に声をかけられ、先ほどの出来事を心配する相手に、いつもの柔らかな笑顔で応じていた。
王女はしばらくその姿を見つめたあと、静かに視線を逸らした。
胸の奥に生まれた感情を、まだ言葉にすることはできなかった。




