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王都南部にある療養施設は、街の中心部から馬車で半刻ほどの場所にあった。
戦争中は負傷した兵士たちを受け入れるために使われていた建物だったが、終戦後は一般の患者にも門戸を開き、今では治療だけでなく、日常生活へ戻るための支援も行っている。
施設の正門前には、王女の訪問に備えて職員たちが並んでいた。
馬車が停まると、待機していた侍従が扉を開け、王女の手を取って降車を手伝った。アレクシスは少し離れた場所で周囲の様子を確認していたが、王女が降り立つと歩み寄り、礼をした。
「ようこそお越しくださいました、王女殿下」
「ヴァルツェン侯爵閣下。今日もお世話になります」
王女は久しぶりに見る彼の顔に微笑んだ。
「お忙しいところ、私の希望を聞いてくださったそうですね。ありがとうございます」
「お気遣いなく。任務ですので」
アレクシスは簡潔に答えると、施設の入り口へ視線を向けた。
「施設長がお待ちです。こちらへどうぞ」
王女は彼に続いて歩き出した。
前回と変わらない落ち着いた態度に、少しだけ残念な気持ちもあったが、わざわざ予定を調整して同行してくれたのだと思うと、それだけで嬉しかった。
◇
施設長に案内されて最初に訪れたのは、負傷者たちが身体を動かす訓練を行っている部屋だった。
広い室内には歩行を補助するための手すりが設けられ、職員に支えられながらゆっくりと歩く男性や、椅子に腰かけて足を動かしている人々の姿があった。
「こちらでは、治療を終えた方々が日常生活へ戻るための訓練を行っております」
施設長の説明に、王女は熱心に耳を傾けた。
「皆さん、こちらに長く滞在されるのですか?」
「状態によって異なりますが、数か月かかる方もいらっしゃいます。特に戦争で大きな怪我を負われた方は、以前と同じ生活に戻ることが難しい場合もございます」
王女は訓練に取り組む人々へ目を向けた。
窓際では、片足を引きずりながら歩く若い男性が、職員に励まされて一歩ずつ前へ進んでいる。
「少し、お話を伺ってもよろしいかしら?」
施設長が男性に確認すると、彼は驚いた様子を見せながらも頷いた。
「もちろんです、殿下」
王女は男性のそばへ歩み寄った。
「訓練は大変でしょう?」
「最初は立つことも難しかったんですが、今はこうして歩けるようになりました。先生方には感謝しています」
「それは素晴らしいことね。これからも無理をなさらず、少しずつ頑張ってください」
男性は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
そのやり取りを少し離れた場所から見守っていたアレクシスは、施設長に声をかけた。
「退所後の生活については、どのような支援を?」
「現在は王都の職人組合とも協力し、身体の状態に応じた仕事を紹介しております。ただ、受け入れ先が十分とは言えず、課題も多いのが現状です」
「軍を退いた者の中にも、職を探している者がいるはずだ。担当部署に確認してみよう」
「それは大変ありがたいお話です」
施設長が深く頭を下げると、アレクシスは軽く頷いた。
王女は二人の会話に耳を傾けていた。
アレクシスは警護のために同行しているはずなのに、施設の運営についても詳しく質問し、必要な支援があればすぐに検討しようとしている。
「侯爵閣下は、こうした施設のこともよくご存じなのですね」
王女が声をかけると、アレクシスは振り返った。
「軍を退いた者たちの生活にも関わることですから」
「戦争が終わっても、軍のお仕事は続くのですね」
「ええ。負傷した者への支援も必要です」
王女は静かに頷いた。
「そうですね。私も祖国へ戻ったら、今日伺ったお話をぜひ伝えたいと思います」
「それはよいことかと存じます」
アレクシスがそう答えると、王女は嬉しそうに微笑んだ。
◇
続いて案内されたのは、施設の裏手にある小さな庭だった。
療養中の人々が気分転換に利用できるよう整えられた場所で、花壇には季節の花が植えられ、木陰にはいくつかの長椅子が置かれていた。
庭の一角では、年配の男性が職員と一緒に花の手入れをしている。
「こちらの花壇は、利用者の皆様にもお手伝いいただいているんですよ」
施設長の説明を聞いた王女は、花壇の前で足を止めた。
「まあ、綺麗。皆さんで育てていらっしゃるの?」
「ええ。身体を動かす練習にもなりますし、何より楽しみにしてくださる方が多いんです」
王女が花を眺めていると、アレクシスは少し離れたところで警護担当の兵士から報告を受けていた。
「裏門付近も異常ありません。周辺の巡回も予定どおり行っております」
「分かった。帰路の確認も済ませておいてくれ」
「はっ」
兵士が持ち場へ戻ると、アレクシスは庭へ視線を戻した。
王女は施設長と楽しそうに話している。視察も順調に進んでおり、予定より少し早く終えられそうだった。
「侯爵閣下」
声をかけられて振り向くと、王女がこちらへ歩いてきていた。
「少し、お話ししてもよろしいかしら?」
「なんでしょう」
「先ほどのお話、とても印象に残りました。侯爵閣下は戦争でも大きな功績を挙げられたと伺っていますが、今もこうして兵士の方々の暮らしを気にかけていらっしゃるのですね」
「私だけではありません。軍にも、施設にも、それぞれの立場で尽力している者が大勢おります」
「それでも、侯爵閣下のようなお立場の方が関心を持ってくださることは、きっと心強いと思います」
「そうであれば何よりです」
王女は彼の顔を見上げた。
王宮では必要なことしか話さない人だと思っていたが、こうして仕事について尋ねれば、丁寧に答えてくれる。
もう少し話していたいと思ったところで、施設長が近づいてきた。
「殿下、よろしければ最後に、こちらの工房もご覧いただけますでしょうか」
「あら、工房もあるの?」
「はい。利用者の方々が作られた品を販売し、収入につなげる取り組みを行っております」
「ぜひ見せていただきたいわ」
王女は明るく答え、施設長の案内に従って歩き出した。
アレクシスも警護担当者へ合図を送り、その後に続いた。
◇
工房には木製の小物や刺繍を施した布製品が並べられていた。
王女は一つひとつを手に取り、作り手の話を聞きながら興味深そうに眺めている。
「この刺繍、とても細かいのね。どなたが作られたの?」
「こちらは、以前この施設に入所されていた女性の作品です。今はご自宅で制作を続けてくださっています」
「素敵ね。祖国へのお土産にもよさそうだわ」
王女がそう言うと、職員たちの表情が明るくなった。
いくつかの品を購入することに決めた王女は、施設長に礼を述べた。
「今日は貴重なお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。皆さんの取り組みが、これからも続いていくことを願っています」
「こちらこそ、遠い国からお越しいただき、ありがとうございました」
予定されていた見学を終え、一行は正門へ向かった。
馬車の前まで来ると、王女はアレクシスを振り返った。
「侯爵閣下、本日もありがとうございました」
「お疲れさまでございました、殿下」
「今日もお話を伺えて、とても勉強になりました。侯爵閣下がご一緒してくださって、本当によかったわ」
「恐れ入ります」
アレクシスが一礼すると、待機していた侍従が馬車の扉を開き、王女の乗車を手伝った。
王女は馬車へ乗り込む前に、もう一度アレクシスへ顔を向けた。
「また、お会いできるかしら?」
「滞在中はまだ公式行事もございますので、お目にかかる機会はあるかと存じます」
「そうね。楽しみにしているわ」
王女が微笑むと、アレクシスは静かに礼をした。
侍従が扉を閉め、馬車がゆっくりと動き出した。門の向こうへ姿を消すまで見送ってから、アレクシスはセドリックのもとへ戻った。
「警護は無事終了しました。王宮への報告もこちらでまとめておきます」
「頼む。予定より早く終わったな」
「ええ。これなら午後の会議にも少し顔を出せそうです」
「それは助かる」
アレクシスは馬車の行った方向へ一度だけ目を向けると、セドリックとともに歩き出
した。
「閣下」
「何だ?」
「次の視察も、ご指名があるかもしれませんね」
アレクシスは足を止め、隣を歩くセドリックを見た。
「……縁起でもないことを言わないでくれ」
セドリックはとうとう笑いをこらえきれず、口元を押さえた。
「失礼いたしました」
「まったく……」
呆れたように言いながらも、アレクシスの声に本気で怒っている様子はなかった。
二人はそのまま待機していた馬車へ向かい、王宮へ戻るために乗り込んだ。
一方、迎賓館へ向かう馬車の中では、王女が膝の上に置いた小さな刺繍の袋を眺めていた。
今日の視察で聞いた話は、どれも興味深いものばかりだった。
祖国へ戻ったら、療養施設の取り組みについて父王にも話してみようと思う。
そう考えながら袋の刺繍を指でなぞっていた王女は、ふとアレクシスとの会話を思い返した。
彼は今日も礼儀正しく、親切だった。
けれど、もう少し親しく話せたような気がしていたのに、別れ際の彼は最初に会ったときと何も変わらなかった。
王女は窓の外を眺め、そっと息をついた。
次に会うときは、仕事の話以外もしてみたい。
そんな小さな願いを胸に、馬車は迎賓館へと走っていった。




