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復興地区の視察から三日が経った頃、迎賓館では王女の次の訪問先について話し合いが行われていた。
滞在中の予定も残り半分ほどとなり、王女はこれまでに王宮での公式行事や復興地区の視察を終えていた。今後は王都の医療施設や、戦争で家族を失った人々を支援する施設などを訪れる予定になっている。
「次回は、王都南部の療養施設をご案内する予定でございます」
外交官が机の上に広げた予定表を指し示すと、王女は興味深そうに身を乗り出した。
「療養施設というと、戦争で負傷した方々もいらっしゃるのかしら?」
「はい。現在は一般の患者も受け入れておりますが、戦争で負傷された方々の治療や、その後の生活を支える取り組みも行っております」
「ぜひ詳しくお話を伺いたいわ。祖国でも、同じような問題を抱えているもの」
王女は予定表に目を通しながら、先日の視察を思い出していた。
復興地区で見た街並みや、子どもたちの笑顔。現地の役人たちが語ってくれた復興の苦労も、まだ鮮明に覚えている。
そして、視察に同行していたヴァルツェン侯爵の姿も。
現場の状況をよく把握し、役人たちと的確に言葉を交わす彼は、王宮で会ったときとはまた違った印象だった。
足を滑らせたときに支えてもらったことを思い出すと、今でも少し恥ずかしい。
「殿下、いかがなさいましたか?」
外交官に声をかけられ、王女は顔を上げた。
「いいえ。先日の視察が、とても勉強になったと思っていたの」
「それは何よりでございます。今回も現地の責任者から詳しい説明を受けられるよう、手配しております」
「ありがとう。ところで、警護の方々は前回と同じなのかしら?」
「基本的には同じ部隊が担当いたしますが、現場の指揮官は別の者になる予定です」
「そうなのね……」
王女は少し考えてから、外交官へ顔を向けた。
「ヴァルツェン侯爵閣下に、今回もご同行いただくことはできないかしら?」
外交官は意外そうに目を瞬かせた。
「侯爵閣下に、でございますか?」
「ええ。先日の視察では、現地の事情も詳しくご存じでしたし、とても安心して見学することができました。今回もご一緒していただけたら心強いと思ったのだけれど」
「侯爵閣下は警護全体を統括されるお立場ですので、通常は現場の指揮を部下に任せておられます。今回も別の指揮官を手配しておりまして……」
「もちろん、無理を申し上げるつもりはないわ。ただ、可能であればお願いできないかと思ったの」
王女がそう言うと、外交官は少し考えてから頷いた。
「承知いたしました。王宮の担当者を通じて、確認してみましょう」
「ありがとう。よろしくお願いするわ」
王女は笑顔を浮かべた。
彼ともう一度話してみたい。
その気持ちが、先日の視察以来、少しずつ大きくなっていることには気づいていた。
けれど、それが何を意味するのかまでは、まだ深く考えていなかった。
◇
同じ日の午後、アレクシスは王宮の執務室で、王都の警備に関する報告書を確認していた。
隣国の王女が滞在している間は、通常の警備に加えて迎賓館や訪問先の警護にも人員を割かなければならない。各部隊から届く報告に目を通し、必要に応じて配置を調整するのも彼の仕事だった。
ようやく書類の一束を片づけたところで、扉が叩かれた。
「閣下、少々よろしいでしょうか」
セドリックだった。
「入ってくれ」
入室したセドリックは、手にしていた書類を机の上へ置いた。
「王宮から、王女殿下の次回の視察について連絡がありました」
「何か変更でも?」
「訪問先や日程に変更はありません。ただ、警護について一つご希望があるそうです」
アレクシスは書類へ伸ばしかけた手を止めた。
「希望?」
「はい。次回の視察には、閣下に直接同行していただきたいとのことです」
「……私が?」
「ええ。前回の視察で大変安心できたので、ぜひ今回もお願いしたいと」
アレクシスは少し眉を寄せた。
「警護の指揮官は、すでに決めてあったはずだが」
「はい。人員の配置もほぼ完了しております。ただ、王女殿下からのご希望ということで、王宮側も一度検討してほしいそうです」
「なるほど」
アレクシスは椅子の背にもたれ、机に置かれた予定表へ目を向けた。
次の視察が行われる日は、王都の警備責任者との会議が入っている。午後には軍の施設へ足を運ぶ予定もあり、どちらも日程を調整する必要がありそうだった。
「現場の指揮官に問題があるわけではないんだな?」
「もちろんです。前回の警護に不備があったという話もありません」
「それなら、予定どおりの体制で十分だと思うが」
「私もそう思います」
セドリックはあっさり同意したものの、王宮からの通達を持ち帰ってきた以上、それで話が終わるわけではない。
アレクシスもそれは分かっていた。
「王宮側には、私の予定を確認してから返答すると伝えてくれ」
「承知しました」
セドリックは頷き、机の上の予定表を覗き込んだ。
「……面倒なことになりそうですね」
「ずいぶん他人事だな」
「いえ、私も予定の組み直しをすることになりますので、十分に当事者です」
「それなら、もう少し困った顔をしてもよさそうだが」
「閣下が先に困っておられるので、遠慮しております」
アレクシスは思わずセドリックを見た。
本人は至って真面目な顔をしている。
「……君は時々、妙なところで遠慮するな」
「長年お仕えしておりますので」
「それは関係ないだろう」
セドリックは小さく笑い、予定表を手に取った。
「では、調整できるところから確認しておきます。王宮への返答は明日でもよろしいでしょうか」
「ああ。警護に支障が出ないことを確認してからにしよう」
「承知しました」
セドリックが部屋を出ていくと、アレクシスは再び書類へ目を落とした。
国賓の安全を守ることは、当然ながら重要な任務だ。
王女の希望にも、可能な範囲で応じるべきだろう。
ただ、警護のために部下を配置し、問題なく任務を遂行できるよう準備を整えたところで、今度は自分が現場へ出ることになるとは思わなかった。
アレクシスは小さく息をつき、予定表の端に新たな印をつけた。
◇
翌日、王宮から正式な依頼が届いた。
調整の結果、アレクシスは次回の視察に同行することになり、当初予定していた会議は別の日へ移された。
セドリックは変更後の予定表を持って執務室を訪れた。
「こちらが新しい日程です。会議は翌日に変更し、午後の施設訪問については私が先に確認しておきます」
「助かる。視察先の警護体制は?」
「予定どおりです。閣下が同行されることになりましたが、現場の担当官も変更しておりません」
「それでいい。私が行くからといって、余計な人員を増やす必要はない」
「承知しております」
セドリックは書類を閉じると、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、王宮の担当者が大変喜んでおりましたよ」
「何を?」
「王女殿下のご希望に沿うことができたので、安心したそうです」
「そうか」
アレクシスはそれ以上何も言わず、次の書類を手に取った。
その様子を見たセドリックは、わずかに口元を緩めた。
「閣下にとっては、仕事が一つ増えただけですね」
「分かっているなら、手伝ってくれ」
「もちろん、そのつもりです」
セドリックは笑いをこらえながら一礼し、部屋をあとにした。
◇
その日の夕方、アレクシスが屋敷へ戻ると、エレノアは居間で手紙を書いていた。
窓辺の小さな机には便箋が何枚か広げられ、傍らには封を終えた手紙も置かれている。
「お帰りなさいませ、アレクシス様」
夫の姿に気づいたエレノアは、ペンを置いて立ち上がった。
「ただいま。何を書いていたんだ?」
「先日の晩餐会でお知り合いになった方々へのお手紙です。お茶会に誘っていただいたので、お返事を書いていました」
「そうか。ずいぶん増えたな」
アレクシスが机の上の手紙に目を向けると、エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。
「皆様、とても親切にしてくださって。まだお返事を書き終えていないんです」
「急ぐ必要はないだろう。少し休んだらどうだ?」
「あと一通だけですから、すぐに終わります」
そう言いながら便箋を揃える妻を見て、アレクシスは小さく笑った。
エレノアは王都での暮らしにも慣れ、少しずつ交友関係を広げている。晩餐会で知り合った貴婦人たちからも声をかけられているようで、最近は楽しそうに予定を話してくれることが増えた。
「そういえば、来週また王女殿下の視察があるんだ」
アレクシスが上着を脱ぎながら言うと、エレノアは顔を上げた。
「そうなんですか? 今度はどちらへ?」
「王都南部の療養施設だ。戦争で負傷した者たちの支援も行っているらしい」
「まあ、そうなんですね。私も一度、そういった施設を見学してみたいと思っていました」
「興味があるのか?」
「はい。侯爵夫人として、何かお手伝いできることがないかと思っていて」
アレクシスは妻の顔を見た。
エレノアは以前から、戦争で苦しい思いをしている人々の力になりたいと話していた。故郷のリーヴェで多くの人々が苦労する姿を見てきた彼女にとって、復興や支援の問題は決して他人事ではないのだろう。
「それなら、今度詳しく調べてみようか」
「本当ですか?」
「ああ。無理のない範囲でできることがあれば、協力すればいい」
エレノアは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、アレクシス様」
その笑顔に、アレクシスも自然と表情を和らげた。
「ただし、あまり予定を詰め込みすぎないようにな」
「ふふ、分かっています」
「本当に?」
「もう、アレクシス様ったら」
エレノアが笑いながら彼の腕に触れると、アレクシスも小さく笑った。
「それで、今回もアレクシス様が警護をなさるのですか?」
「ああ。王女殿下から、直接同行してほしいと希望があったらしい」
「まあ。きっと前回の視察で、とても心強かったのでしょうね」
「そうだといいが」
「アレクシス様なら、安心してお任せできますもの」
エレノアが当然のように言うので、アレクシスは少し困ったように笑った。
「君までそんなことを言うのか」
「だって、本当のことですから」
「……そうか」
アレクシスは妻の髪にそっと触れ、それから机の上の便箋へ目を向けた。
「手紙を書き終えたら、少し一緒に休もう」
「はい。すぐに終わらせますね」
エレノアは嬉しそうに頷き、再び机へ向かった。
アレクシスはその隣の椅子に腰を下ろし、妻が手紙を書く様子を静かに眺めていた。
◇
数日後、迎賓館では次の視察に向けた準備が進められていた。
王女は侍女から当日の予定を聞きながら、窓辺に立っていた。
「警護についても、王宮から正式な連絡がございました」
「そう。どなたが担当してくださるの?」
王女が尋ねると、侍女は微笑んだ。
「ヴァルツェン侯爵閣下が、今回もご同行くださるそうです」
「……本当に?」
「はい。王女殿下のご希望をお伝えしたところ、ご予定を調整してくださったとのことです」
王女は思わず笑顔になった。
「それは嬉しいわ。お忙しい方でしょうに、ありがたいことね」
「ええ。王宮の方々も、侯爵閣下が同行されるなら安心だとおっしゃっておりました」
「そうね」
王女は窓の外へ目を向けた。
先日の視察では、彼とそれほど長く話せたわけではなかった。
それでも、復興について真剣に語る姿や、現地の人々へ向ける誠実な態度が心に残っている。
今度は、もう少しゆっくり話してみたい。
王女はそんなことを考えながら、机の上に置かれた視察の予定表を手に取った。
訪問先の名前を一つずつ確かめているうちに、自然と口元が緩んでいた。




