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侯爵邸の応接間には、朝から新しい花が飾られていた。
窓辺には淡い色の花を生けた花瓶が置かれ、中央の卓には人数分の茶器が整えられている。使用人たちが最後の確認を進める中、エレノアはセシリアと共に招待客を迎える準備をしていた。
「今日は私と長くお付き合いのある方ばかりだから、気負わなくていいのよ」
セシリアは卓上の花を眺めながら、穏やかな声で言った。
「はい。でも、皆様とお会いするのは初めてですから、少し緊張しています」
「それは当然よ。私だって、初めての方ばかりのお茶会なら多少は緊張するもの」
「お義母様でも、ですか?」
「もちろん。今では緊張するより楽しみの方が大きいけれどね」
そう言って笑うセシリアにつられ、エレノアの表情も和らいだ。
今回のお茶会には、セシリアと親しい伯爵夫人が二人、それから子爵夫人が一人招かれている。いずれもヴァルツェン家とは長い付き合いがあり、エレノアが王都の社交に慣れるための最初の機会として、セシリアが選んだ人々だった。
招待客の名前や家同士の関係については、前もって教えてもらっている。ただ、名前を覚えることと、実際に顔を合わせて話すことは別だった。
「何か分からないことがあれば、あとで私に聞けばいいわ。今日は皆様と楽しく過ごすことを考えてちょうだい」
「ありがとうございます」
ほどなくして、最初の客が到着した。
エレノアはセシリアの隣で迎え、紹介を受けると丁寧に挨拶を交わした。続いて二人目、三人目と客が揃い、全員が席に着く頃には、応接間には和やかな話し声が満ちていた。
「エレノア様には、ようやくお会いできましたわね」
そう声をかけたのは、セシリアと長い付き合いのある伯爵夫人だった。
「私もお目にかかれて嬉しいです」
「セシリア様から、何度もお話を伺っていたのですよ。王都へいらしてからも、お忙しくなさっているとか」
「侯爵家のことを少しずつ教えていただいております。まだ知らないことも多いのですが、皆様が親切にしてくださるので、とても助かっています」
「まあ、しっかりしていらっしゃるのね」
夫人が微笑むと、セシリアも嬉しそうに頷いた。
「そうなのよ。私があれこれ教えるつもりでいたのに、家のことはもう随分覚えてしまったの」
「お義母様、まだ教えていただくことはたくさんあります」
「ほら、こういうところも真面目でしょう?」
その言葉に夫人たちが笑い、エレノアも少し照れながら笑みを返した。
話題は王都の季節の催しや、最近開かれた音楽会へと移っていった。エレノアは知らない催しの名前が出るたびに耳を傾け、話を振られれば自分の知っている範囲で答えた。
ある夫人が王都の劇場について話し始めたときには、まだ一度も足を運んだことがないと伝えると、今度ぜひ観に行くといいと勧められた。
「演目によって雰囲気も随分違いますのよ。初めてでしたら、今度の公演がおすすめですわ」
「そうなのですね。王都へ来てから、まだ知らない場所がたくさんあると感じています」
「これからいくらでも楽しめますわ。侯爵様とご一緒にいらしてもよろしいでしょうし」
アレクシスと劇場へ行くところを想像して、エレノアは小さく微笑んだ。仕事で忙しい彼にすぐお願いするつもりはなかったが、いつか二人で出かけられたら楽しそうだと思った。
お茶が進むにつれて、話題は自然と貴族同士の付き合いにも及んだ。
ある伯爵家で近く夜会が開かれるという話から、別の家の近況へ移り、さらにその親族の婚約の話へと続いていく。エレノアには初めて聞く名前も多く、誰がどの家と縁続きなのか、すぐには把握できないこともあった。
それでも、話の途中で慌てて口を挟むことはせず、分かるところでは相槌を打ち、尋ねられたことには落ち着いて答えた。
「リーヴェは、今も復興の途中なのでしょう?」
話が故郷に及ぶと、エレノアは夫人の方へ向き直った。
「はい。道路や橋は以前より整ってきましたが、農地の回復にはまだ時間がかかりそうです」
「大変でしたでしょうね」
「そうですね。でも、少しずつ良くなっています。去年は使えなかった畑で、今年は作付けができたところもあるんですよ」
エレノアが嬉しそうに話すと、夫人は興味深そうに耳を傾けた。
「それは何よりですわ。領地のことをよくご存じなのね」
「父の手伝いをしていましたので、自然と覚えました」
リーヴェの話なら、エレノアにも伝えたいことがたくさんある。ただ、話しすぎてしまわないように気をつけながら、尋ねられたことを一つずつ説明した。
セシリアはその様子を、口を挟まずに見守っていた。
やがて菓子が運ばれ、卓の上には小さな焼き菓子や果物を使った菓子が並んだ。エレノアは周囲の会話を楽しみながら、自然な手つきで茶器を扱い、食事の作法にも戸惑うことはなかった。
子爵令嬢として育ってきたのだから、こうした場での基本的な振る舞いは身についている。経験が少ないのは王都の貴族たちとの付き合いであって、お茶の飲み方や挨拶の仕方ではない。
セシリアが確認したかったことの一つも、そこにあった。
午後の日差しが少し傾き始めた頃、お茶会はお開きとなった。
「今日はとても楽しかったですわ。またぜひお会いしましょうね」
夫人たちからそう声をかけられ、エレノアは笑顔で礼を述べた。
最後の客を見送ったあと、セシリアは応接間へ戻ると、ようやく肩の力を抜いた。
「さて、エレノアさん。どうだった?」
エレノアは少し考えてから答えた。
「とても楽しかったです。皆様、本当によくしてくださって。ただ、お名前は覚えていても、ご親戚の方やお付き合いのあるお家のお話になると、まだ分からないことが多くて」
「それはそうでしょうね。王都に長く住んでいても、全部を把握するのは難しいもの」
セシリアは向かいの席に腰を下ろし、エレノアにも座るよう促した。
「でも、今日のあなたを見ていて安心したわ。挨拶も受け答えもきちんとしていたし、会話にも無理なく加われていたもの。お茶やお菓子のいただき方も、何も問題なかったわ」
「本当ですか?」
「ええ。作法については、もう私から教えることはほとんどないわね」
エレノアは驚いたようにセシリアを見た。
「もう、ですか?」
「あなたは元々、子爵家のご令嬢としてきちんと育っているでしょう? そこを一から教える必要なんてなかったのよ。私が心配していたのは、王都の社交に慣れていないことだけ」
セシリアは茶器を片づけ始めた使用人に軽く礼を言ってから、再びエレノアへ向き直った。
「誰がどなたの親戚で、どのお家と親しいのか。どんな話題を好まれるのか。そういうことは、実際にお付き合いを重ねながら覚えていけばいいわ。今日一日で全部分かるものではないもの」
「はい。お話を伺っていて、そう感じました」
「それに、知らないことを無理に知っているふりをしなかったでしょう? あれでいいのよ。相手のお話をきちんと聞いて、自分の言葉で返せていたわ」
エレノアは今日の会話を思い返した。
初めて聞く家名もあったし、話題についていくのに少し考える場面もあった。それでも、夫人たちと話すこと自体は楽しかった。
「次はもう少し、皆様のお話を理解できるようになりたいです」
「ええ。だから、これからも私のお茶会に付き合ってちょうだい」
セシリアは嬉しそうに笑った。
「実を言うとね、こうしてあなたと一緒にお客様をお迎えできるのが、私はとても楽しいの」
「お義母様……」
「息子しかいなかったでしょう? 娘と一緒にお茶会を開くなんて、ずっと憧れていたのよ」
その言葉に、エレノアの胸が温かくなった。
母が亡くなってからも、父やマルタ、リナに囲まれて寂しいばかりの日々を過ごしてきたわけではない。それでも、こうして母親と一緒に何かをする時間が、今の自分にとってどれほど嬉しいものなのかを、王都へ来てから何度も感じていた。
「私も、お義母様と一緒に過ごせて嬉しいです」
素直にそう伝えると、セシリアは一瞬目を細め、それからいつもの明るい笑顔を浮かべた。
「それなら決まりね。次はもう少し人数を増やしてみましょうか」
「はい。楽しみにしています」
「もちろん、疲れない程度にね。社交も大事だけれど、毎日お茶会ばかりではアレクシスに怒られてしまうわ」
「アレクシス様に、ですか?」
「あなたが疲れていないか、あの子はすぐ気にするでしょう?」
思い当たることが多すぎて、エレノアは思わず笑ってしまった。
「……そうですね」
セシリアも笑い、二人はしばらくそのまま話を続けた。
侯爵家の帳簿や屋敷の管理には、すでに慣れ始めている。今日のお茶会では、基本的な作法にも問題がないと分かった。
残るのは、王都で暮らす人々を知り、付き合いを重ねていくことだった。
エレノアは、今日出会った夫人たちの顔を一人ずつ思い浮かべた。次に会うときには、もう少し色々な話ができるだろうか。
その機会が今から楽しみだった。




