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席に座ると、新しい茶と焼き菓子が運ばれてきた。
セシリアは向かいに座るなり、嬉しそうにエレノアを見た。
「改めてお会いできて嬉しいわ。アレクシスが女性の話をしたなんて、それだけでも驚いたのに、今ではもう婚約者でしょう?」
あまりにも率直に言われ、エレノアは少しだけ照れながら笑った。
「私も、こんなに早く婚約することになるとは思っていませんでした」
「でしょうね。でも、この子は一度決めると早いのよ」
隣でアレクシスが静かに茶を飲んでいる。
セシリアはそんな息子を見て、楽しそうに続けた。
「昔からそうなの。必要なことしか話さないし、自分のことはほとんど言わないし。でも、決めたことはすぐに動くでしょう?」
「それは、少し分かります」
エレノアが答えると、セシリアは嬉しそうに目を細めた。
「5年前も、こちらが聞かなければ何も言わないことが多かったです。でも、話しかければちゃんと聞いてくださっていました」
アレクシスが静かなことを、困ったと思ったことはない。
むしろ、好きな本の話や、その日にあったことを自分が勝手に話しているうちに、彼が黙って聞いてくれていた時間の方が多かった。
「今もそうです。前よりお話ししてくださるようにはなりましたけれど」
「そうなのね」
セシリアは何か納得したように頷いた。
それ以上は追及せず、焼き菓子を一つ取りながら話題を変える。
「でも、本当に安心したのよ。私はもう、このままずっと独身でいるつもりなのかと思っていたから」
「そこまでですか?」
「そこまでよ。紹介の話があっても興味を示さないし、舞踏会に出ても誰かの話をすることなんてなかったもの」
エレノアは思わず隣を見る。
アレクシスは特に否定する様子もなく、静かにカップを置いた。
「必要がなかっただけです」
セシリアはそれを聞いて笑った。
「そういうところよ」
本人にとっては、本当にそれだけなのだろう。
けれど、これまで誰のことも話さなかった人が、自分のことだけは母親に話していた。
その事実が、思っていた以上に嬉しかった。
「この子は父親に似たのよ」
セシリアは少し懐かしそうに言った。
「顔立ちもそうだけれど、性格も。夫も必要なことしか話さない人だったわ。決めたら早いところまでよく似ているの」
「そうなんですね」
「ええ。私が何か話していても、二人とも黙って聞いていることが多くて。家の中で一番よく話していたのは、絶対に私だったわね」
セシリアは楽しそうに笑った。
その姿を見ていると、亡くなった夫の話をしているのに、悲しみだけではなく、長く一緒に過ごした人への懐かしさの方が強いように見えた。
「でも、ちゃんと聞いていてくれる人がいると、つい色々話してしまいますよね」
エレノアが言うと、セシリアが少し驚いたように目を瞬く。
すぐに柔らかく笑った。
「分かる?」
「はい。私もそうでしたから」
そのとき、アレクシスがエレノアのカップへ目を向けた。
「冷めている。替えさせようか」
「あ、大丈夫です。まだ飲めます」
「そうか」
それだけ言うと、アレクシスはまた何事もなかったように茶へ戻る。
エレノアにとっては、もう珍しいことではなかった。
けれど向かいのセシリアは、ほんの少しだけ目を細めていた。
何か言うわけでもなく、ただ息子の横顔を見てから、またエレノアへ微笑む。
「そういえば、王都へ来るのは今回が初めてだったのよね?」
「はい。ずっと来てみたいと思っていたんです」
「どうだった?」
「想像していたよりずっと人が多くて驚きました。でも、見るもの全部が珍しくて楽しいです」
王都へ着いた翌日に街へ出たことや、大きな書店へ行ったことを話すと、セシリアは興味深そうに聞いていた。
「本がお好きなの?」
「はい。読むのも好きですし、リーヴェに持ち帰れそうな本を探すのも楽しくて」
「それなら、侯爵邸の書庫も見ていく?」
不意に提案され、エレノアの顔が明るくなる。
「よろしいんですか?」
「もちろん。あまり整理されていないところもあるけれど、古いものなら結構あると思うわ」
「ぜひ見てみたいです」
思わず身を乗り出しかけて、エレノアは慌てて姿勢を戻した。
その様子を見たセシリアが笑う。
「本当にお好きなのね」
「すみません。つい……」
「謝らなくていいのよ。好きなものの話をしているときの顔を見るのは楽しいもの」
その言葉に、エレノアは少し照れて笑った。
「王都では、お友達もできたの?」
「はい。クラリス・アルベール様と知り合いました」
「アルベール伯爵家の?」
「ご存じなんですか?」
「もちろん。あの家とは昔から付き合いがあるもの」
クラリスとは王宮で偶然知り合い、夜会でもまた会ったこと。王都を離れる前に一度お茶をする約束までしたことを話すと、セシリアは嬉しそうに頷いた。
「それはよかったわ。王都にも話せる方がいる方がいいもの」
「私もそう思っています。リーヴェへ戻ったあとも手紙をやり取りする約束をしました」
「素敵ね」
セシリアはそう言って、少しだけ表情を和らげた。
「侯爵夫人になるからといって、最初から何もかも一人で分からなくてはいけないわけではないもの。気の合うお友達がいるのは大切よ」
エレノアはその言葉を素直に受け取った。
何かを教え諭すような言い方ではなく、自分が経験してきたことをそのまま話してくれているように聞こえる。
「そういえば、婚姻の時期はもうお話ししたの?」
セシリアがふと思い出したように尋ねた。
「半年ほど先を考えています」
「あら、半年?」
少し意外そうにされ、エレノアは小さく笑った。
「思っていたより短いですよね」
その言葉に、セシリアがアレクシスを見る。
「それでも半年待つのね」
アレクシスは何も言わなかった。
けれどエレノアには、その理由が分かっている。
――5年待った。
――俺には、半年でも長いくらいだ。
思い出しただけで、また少し頬が熱くなる。
エレノアは何でもないふりをして紅茶へ口をつけた。
セシリアはその様子に気づいたようだったが何も言わず、ただ一度だけ、隣に座る息子を見た。
アレクシスはいつもの落ち着いた顔をしていたが、エレノアを見るときだけ、ほんのわずかに目元が柔らかくなる。
それを見たセシリアが、小さく笑った。
「でも、そのくらいなら準備にも余裕があるわね。エレノアさんも、一度リーヴェへ戻るのでしょう?」
「はい。あと4日ほどで王都を発つ予定です」
「もうそんなに?」
セシリアは残念そうに眉を下げた。
「せっかくお会いできたのに、すぐ戻ってしまうのね」
「もともと短い滞在でしたから」
「そうよね。でも、今日会えてよかったわ」
「私もです」
エレノアが答えると、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
「リーヴェは今、まだ復興の途中なのよね」
「はい。でも、少しずつ戻っています」
エレノアは、水路や農地の整備がまだ十分ではないこと、王宮で詳しい人から話を聞いたことを簡単に話した。
セシリアは途中で口を挟まず、最後まで聞いてから頷く。
「あなたも随分関わっているのね」
「できることだけです。詳しいことはお父様や領民の方たちの方がずっと分かっていますから」
「それでも、自分の領地のことをちゃんと知ろうとしているのでしょう?」
そう言われると、エレノアは少し困った。
自分では特別なことをしているつもりはない。
「ずっと暮らしてきた場所ですから」
結局、それだけ答えた。
セシリアはそれ以上褒めることもなく、「そうね」と優しく笑った。
その反応がエレノアにはありがたかった。
「次に王都へ来たときも、必ず顔を見せてちょうだい。それまでに、手紙をくださってもいいのよ」
「私からですか?」
「もちろん。あなたのお話も聞きたいもの」
それなら、とエレノアは素直に頷いた。
「では、書かせていただきます」
「楽しみにしているわ。リーヴェのことでも、本のことでも、何でも」
気がつけば、侯爵邸へ向かう途中に感じていた緊張はすっかり消えていた。
セシリアは息子の婚約者だからと距離を測るような人ではなく、エレノアが何を好きで、どんな場所で暮らしてきたのかを知ろうとしてくれる。
そのことが、エレノアには嬉しかった。
話しているうちに時間はあっという間に過ぎ、執事が時刻を知らせに来た。
セシリアは時計を見て、名残惜しそうに息をつく。
「もうこんな時間なのね。書庫も見てほしかったのに」
「今日はもう難しいでしょうか」
「少しくらいなら大丈夫でしょう?」
セシリアがアレクシスを見ると、彼は時計を確認してから頷いた。
「少しなら」
「では決まりね」
書庫は客間からそれほど離れていなかった。
扉を開けた瞬間、壁一面に並ぶ本が目に入り、エレノアは思わず足を止める。
「……すごい」
声に出してから、少し恥ずかしくなった。
けれどセシリアは楽しそうに笑っただけだった。
「その顔が見たかったのよ」
古い歴史書から領地に関するもの、小説まで、棚にはさまざまな本が並んでいる。
エレノアはゆっくり棚の間を歩きながら、次々に背表紙へ目を向けた。
少し高い位置に気になる題名を見つけて見上げていると、隣から伸びた手がその本を取る。
アレクシスだった。
「これか?」
「はい。ありがとうございます」
受け取って表紙を確かめ、少しだけ中を開く。
数頁眺めてから元の場所へ戻そうとすると、今度はアレクシスが受け取り、そのまま棚へ戻した。
特別なことをしているつもりはないのだろう。
エレノアが次の棚へ向かえば、自然にその隣を歩いてくる。
少し離れたところにいたセシリアは、そんな二人を黙って眺めていた。
息子が誰かの歩調に合わせ、その人が見ているものを一緒に眺めている。
そんな姿を、これまで見たことがあっただろうか。
けれどアレクシス本人は、何も特別なことをしている顔ではない。
エレノアが別の棚の前で足を止めると、アレクシスもそこで止まった。
「気になる本がたくさんあります」
「そうだろうな」
「もう少し時間があれば、全部見てしまいそうです」
冗談半分に言うと、アレクシスは棚へ目を向けたまま答えた。
「急いで見る必要はない」
「でも、次に王都へ来られるのは少し先になりそうです」
するとアレクシスは、何でもないことのようにエレノアを見た。
「いずれ、ここは君の家にもなる」
一瞬、言葉の意味がうまく入ってこなかった。
侯爵邸で暮らすことになる。
それは婚約したときから分かっていたはずなのに、この書庫の中で言われると、急に現実味を持った。
「……そうでした」
思わずそう答えると、アレクシスがわずかに笑った。
その表情を、セシリアは少し離れたところから見ていた。
息子が好きになった人には、こんな顔をするのだ。
そう思うと、自然と笑みがこぼれる。
エレノアがこちらを振り返ったので、セシリアは何も言わずに微笑み返した。
初めて訪れた侯爵邸は、来たときにはあれほど大きく、どこか遠い場所のように感じていた。
けれど帰る頃には、ほんの少しだけ見え方が変わっていた。
いつか自分もここで暮らす。
そのことを、エレノアは初めてはっきりと実感していた。




