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翌日も、エレノアは朝から王都の街へ出た。
前日に歩いた大通りとは反対の方へ足を延ばしてみれば、また違った店が並んでいる。職人の工房が集まる通りでは、窓越しに細かな装飾品を作る姿が見え、その先には布地を扱う店や花を並べた露店もあった。
王都へ来る前は、これほど見るものがあるとは思っていなかった。
「昨日とは全然違うわね」
「通りが変わるだけで、雰囲気も変わりますね」
隣を歩くリナも楽しそうに辺りを見回している。
「リナも何か見たいものがあったら言ってね。私ばかり好きなところへ行っている気がするわ」
「私は、お嬢様と歩いているだけでも十分楽しいですよ」
「本当に?」
「ええ。でも、せっかくなので布のお店は少し見てみたいです」
「じゃあ行きましょう」
エレノアはすぐに進む方向を変えた。
店の中には、リーヴェではなかなか見かけない色や織り方の布が並んでいた。エレノアが興味深そうに眺めている横で、リナは淡い色の布を手に取っている。
「それ、綺麗ね」
「そうですね。柔らかくて使いやすそうです」
「リナに似合いそう」
そう言われたリナは、少し困ったように笑った。
「私が着るには少し綺麗すぎませんか?」
「そんなことないわ。これくらい似合うわよ」
エレノアが当然のように言うと、リナは布へ視線を落とした。
その表情を見て、エレノアはふと思い出す。
「そういえば、帰ったらあの方にも見せるの?」
リナの手が止まった。
「お嬢様」
「何?」
「急にその話をします?」
「だって、今思い出したんだもの」
リーヴェには、リナが将来を約束している相手がいる。
正式に婚礼の日取りまで決まっているわけではないけれど、互いの家も承知しており、いずれ夫婦になることはもう決まっていた。
普段は落ち着いているリナが、その人の話になるとほんの少しだけ表情を変えるのを、エレノアは知っている。
「帰ったら、お土産くらい渡してあげたら?」
「そうですね。何か選んでみようかしら」
「じゃあ探しましょう」
「お嬢様のお買い物なのに、よろしいんですか?」
「もちろんよ。一緒に来ているんだもの」
リナは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
2人はそのあともいくつか店を回り、昼を過ぎる頃に宿へ戻った。
父はすでに帰ってきていたらしく、食堂で遅めの昼食を取っているところだった。
「おかえり。今日はどうだった?」
「昨日とは違う通りを歩いてきました。王都って、本当に広いんですね」
「まだ全部を見たわけではないだろう?」
「そうなんです。だから困っているんです」
「何が?」
「見たいところが増える一方で」
父が笑った。
「しばらく滞在するんだから、焦らなくてもいいよ」
エレノアは父の向かいへ座り、用意された紅茶に手を伸ばした。
「お父様のお仕事は?」
「今日の分はだいたい終わったよ。昨日より話も進んだ。すぐに何かが決まるわけではないけれど、リーヴェの状況を知ってもらうだけでも意味はある」
「それならよかったです」
領地の話になると、エレノアの表情も自然と真剣になる。
父はそんな娘を見て、少し笑った。
「王都に来ても、そこは変わらないね」
「だって、気になりますもの」
「分かっているよ。ただ、明日は少し領地のことを忘れてもいい」
「明日?」
聞き返してから、エレノアは思い出した。
「……夜会でしたね」
「そう。明日の夜だ」
街へ出ることに夢中ですっかり忘れていたわけではないけれど、改めて言われると急に近く感じる。
「もう明日なのね」
「緊張してきた?」
「少しだけ」
「初めてなら当然だよ。私も一緒にいるし、無理に誰かと話そうとしなくてもいい。挨拶をして、雰囲気を見るだけでも十分だからね」
「はい」
エレノアは素直に頷いた。
父がいるのなら、それほど心配する必要はないのだろう。それでも、これまでほとんど縁のなかった王都の貴族たちが集まる場所へ自分も入っていくのだと思えば、少し落ち着かない。
すると父が、何気ない様子で付け加えた。
「それに、もしかしたらヴァルツェン侯爵も来るかもしれない」
エレノアは顔を上げた。
「お父様も、侯爵がいらっしゃるかどうかはご存じないのですか?」
「ああ。出席者のすべてを私が把握しているわけではないからね」
父の答えはいつも通りだった。
「そうですか」
「気になる?」
「……少しは」
昨日、街で聞いた話を思い出す。
求婚状を送ってきた相手なのだから、気にならないと言えば嘘になる。けれど、会ったこともない相手について考えていても仕方がない。
「お会いできれば、どうして私に求婚されたのか聞いてみたいです」
「そうするといい」
父は穏やかに答えた。
それ以上、侯爵について話すことはなかった。
◇
夜会当日の午後。
エレノアの部屋には、朝から普段とは違う空気が漂っていた。
リナが持ってきていたドレスはすでに広げられ、装飾品や靴も一つずつ確認されている。
「こちらを向いてください」
「こう?」
「はい。そのままで」
髪を整えていたリナが、少し離れて全体を確認する。
エレノアは鏡の前に座ったまま、自分の姿を眺めた。
普段より丁寧に整えられた髪に、夜会用のドレス。見慣れているはずの自分なのに、鏡の中にいると少し違って見える。
「なんだか落ち着かないわ」
「とてもお綺麗ですよ」
「そういうことじゃないの」
エレノアが笑うと、リナも柔らかく笑った。
「緊張しているんですね」
「たぶん」
「大丈夫ですよ。旦那様もいらっしゃいますし、無理をなさらなくてもいいんですから」
「お父様にも同じことを言われたわ」
「それなら、2人分信じてください」
その言葉に、エレノアは思わず笑った。
最後に髪飾りを整え、リナが満足そうに頷く。
「できました」
エレノアは立ち上がり、もう一度鏡の中の自分を確認した。
これから向かうのは王宮だ。
都へ来たことさえなかった自分が、数日後には王宮の夜会へ出ることになるなんて、リーヴェを出たときには想像していなかった。
部屋を出ると、すでに父が待っていた。
娘の姿を見るなり、父は嬉しそうに目を細めた。
「よく似合っているよ」
「ありがとうございます」
「緊張している?」
「少しだけです」
「なら大丈夫だ」
父が差し出した腕に、エレノアはそっと手を添えた。
宿の前には馬車が待っている。
外へ出る直前、エレノアは振り返った。
「行ってくるわね、リナ」
「はい。楽しんできてください、お嬢様」
「ありがとう」
馬車へ乗り込み父の隣へ座ると、車輪が動き始め、宿の灯りが少しずつ遠ざかっていった。
窓の外には、昼間とはまるで違う王都の景色が広がっている。通りには灯りが並び、王宮へ近づくにつれて豪華な馬車の数も増えていった。
エレノアは窓の外を眺めながら、静かに息を吐いた。
初めての夜会。
少しの緊張はあったけれど、それ以上に、これから見るものへの興味の方が勝っていた。
やがて前方に、明るく照らされた王宮の姿が見えてきた。




