第五話 減らない借金と、放っておけないやつ
昼過ぎ。
店の中はいつも通り、静かだった。
帳簿。金。紙とインクの匂い。
閉め切った室内に、少しだけこもった熱気が残っている。
窓から差し込む光は強く、
机の端を白く焼きつけるように照らしていた。
遠くから、夏のざわめきが聞こえる。
通りの声。露店の呼び込み。
じわりとした熱を含んだ空気。
それでも、この部屋だけは妙に落ち着いていた。
ペン先の擦れる音だけが、一定のリズムで続いていた。
その中に――
慌ただしい足音が割り込んできた。
「ヴァルク!!いるか!?」
扉が勢いよく開く。
「……うるせえな」
ヴァルクは顔も上げずに言う。
飛び込んできたのは、顔なじみの商人だった。
肩で息をしている。
額に汗が浮かび、視線は落ち着かない。
「頼む!ちょっと来てくれ!!」
「金はあるのか」
即答だった。
「えっ?」
「あるなら話聞く」
「いや、そういう話じゃ――」
「なら帰れ」
一切の間もない。
空気が、ぴたりと冷える。
商人が言葉に詰まる。
「……街の外れで、余所者が暴れてるんだよ!」
「知らん」
「店壊されてんだぞ!?」
「俺のじゃねえ」
「人も怪我してる!」
「だから?」
完全に取り合わない。
リゼはそのやり取りを、じっと見ていた。
少しだけ首を傾げる。
「……ねえ」
ヴァルクは無視する。
「ねえってば」
「なんだ」
「ちょっと見に行こうよ」
「断る」
即答。
「金にならねえ」
「でも困ってるじゃん」
「俺は慈善事業じゃねえ」
リゼが少しだけ黙って、窓から外を眺めた。
「……私、行ってくる」
「は?」
早い――駆け出す音とドアが閉まる音が、同時に響いた。
一瞬、外の光が差し込んだ。
「ちょ、リゼ!?」
沈黙。
ヴァルクが頭に手を当てながらゆっくり顔を上げる。
(……ほんとに行きやがった)
小さく息を吐く。
(面倒なやつだ)
――でも。
ほんの一瞬だけ、口元が動いた。
しばらくして。
「……チッ」
立ち上がる。
「どこ行くんだ!?」
商人が聞く。
「回収だ」
(……あいつもな)
短く言って、外へ出た。
◇
街の外れ。
木箱が転がり、果物が潰れている。
壊れた屋台。倒れた看板。
空気に、埃と焦げた匂いが混ざっていた。
怒鳴り声と、悲鳴。
そして――
「そこ、危ないって言ってるでしょ!!」
リゼの声。
すでに戦っていた。 三人。
見るからに粗暴な男たちが、剣を持って向かってくる。
「遅い!」
剣が走る。 一人、吹き飛んでいった。
「うわっ!?」
二人目。 水が絡みつき、足を捉えて叩きつける。
「な、なんだこいつ……!」
残り一人が後ずさる。
リゼの呼吸は少し乱れていたが、動きは止まらない。
「もうやめなよ!」
踏み込む。 剣が振り下ろされる。
そのとき。 背後から隠れていた別の一人が、ゆっくり剣を振り上げる。
足音を殺して近づく。
剣がゆっくり振り上がる。
(――危な……)
次の瞬間。
鈍い音がして、男の体が横に吹き飛んでいく。
ヴァルクだった。
「背中、空いてるぞ」
リゼが振り返る。
「……あ、ごめん、気づかなかった」
「だろうな」
短く言う。 そのまま、残りの男を一瞬で叩き伏せた。
静寂。
周囲のざわめきが戻ってくる。
「すげえ……」
「助かった……!」
街の人たちが集まる。
リゼがほっと息を吐いて、倒れている店の男に声をかける。
「大丈夫?怪我ない?」
声が柔らかい。
「お、おう……」
「よかった」
その顔は、少しだけ柔らかかった。
商人が小さな袋を差し出す。
「これ……少ないけど」
リゼがぱっと顔を明るくする。
「え、いいの!?」
中を覗く。
「……あ―ぅん」
軽い。 とても軽い。
(……でも、一生懸命集めてくれたのかも)
ヴァルクが横から言う。
「だから言っただろ」
ため息。
「割に合わねえ」
リゼが少しだけ俯く。 それから。
「……でもさ」
顔を上げる。
「困ってたら、放っておけないでしょ」
声が、少しだけ揺れる。
「それで、ここまで来たんだから」
沈黙。
風が吹く。 ヴァルクは何も言わない、そして目を瞑って何かを考え込むように動かなかった。 ふと、リゼを見る。
(……ほんとに馬鹿だな)
視線を外す。 小さく息を吐く。
「……しょうがないやつだな」
リゼの頭に、ぽん、と手を置く。
「え?」
「まぁ……面倒見てやるか」
少しだけ視線を逸らす。
「……こんなのも、たまには悪くないかな」
一瞬、リゼが固まる。 それから。
「……なにそれ」
少しだけ笑う。
「なんか上からじゃない?」
「上だろ」
「ひどい!」
抗議する。
でも。 顔は明るかった。
ヴァルクはちらっと見る。
(……悪くねえ)
そのまま歩き出す。
「行くぞ」
「待ってよ!」
少し遅れて追いかける。
「ねえ」
「なんだ」
「借金、減ったかな?」
「減ったな」
「やった!」
一瞬、跳ねる。
「ただし」
「え?」
「今ので増えてる」
「なんで!?」
「道具壊した」
「うそでしょ!?」
頭を抱える。
「減らしてるのに増えてる?!」
「そういうもんだ」
「納得いかない!!」
叫びが、街に響く。 ヴァルクは小さく笑った。
その表情は、少しだけ柔らかかった。




