第六話 減らない借金と、それでも悪くない日常
ある日の昼下がり。
夏の光が、窓からまっすぐ差し込んでいた。
外はじんわりとした暑さで、空気がゆっくり揺れている。
店の中、今日はいつもより静かだった。
帳簿。金。紙とインクの匂い。
少しこもった熱気と、動かない空気。
外の賑やかさが、どこか遠くに聞こえる。
そして――
「みゃあ」
カウンターの上で、小さな猫が鳴いた。
「ちょっと、そこ乗っちゃダメだって」
リゼが慌てて手を伸ばす。
猫はひらりとかわして、本棚の方へ飛び移った。
「あっ、こら!」
慌てて追いかける。
「そっちは――」
ちょこんと乗った本棚の上。 ぎりぎりの高さ。
リゼは近くの椅子を引き寄せて、その上に乗る。
「よいしょ……」
ぐらつく。
「……危なっかしいな」
後ろからヴァルクの声。
「大丈夫だよ、このくらい――」
手を伸ばす。 その瞬間。
猫が尻尾をぶん、と振った。
書類が――ばさっ、と舞う。
「あっ!?」
視界が白くなる。 足場が、ぐらりと傾く。
「――っ!」
落ちる。 はずだった。
腕を引かれる。
強く、引き寄せられる。
次の瞬間。
体がぶつかって、足が宙に浮いている。
近い。
「……何やってんだ」
低い声。 リゼの腰を支える腕。
視線が合う。 距離が、近すぎる。
「ご、ごめ……降ろして?」
言葉が詰まる。
呼吸が、やけに近い。
(近い……近いって……!)
顔が熱くなる。 視線を逸らそうとする。
でも、逃げられない。
ヴァルクは、そのまま顔を見つめる。
口角がわずかに上がる。
「……このまま」
低く、落ちる声。
「キスでもしてみるか?」
一瞬。 時間が止まる。
「え」
頭が真っ白になる。
(な、なに言ってんのこの人!?)
逃げたい。
でも――動けない。 距離が近すぎて。
心臓がうるさい。
でも。 なぜか。 視線は逸らせなかった。
「……」
リゼの頬が、じわっと赤くなる。
唇が、少しだけ震える。
「……いいよ」
小さく。 でも、はっきり。
ヴァルクの目が、わずかに見開かれる。
「……は?」
想定外。 完全に、想定外。
リゼは顔を真っ赤にしながらも、逃げなかった。
「……あんたがしたいなら」
視線を逸らさずに、言う。
一瞬。 空気が変わる。 ヴァルクが黙る。
(……なんだこいつ)
ほんの少しだけ、思考が止まる。
でも――
次の瞬間。
「……言ったな」
ゆっくり顔を近づける。 リゼの息が止まる。
目を閉じる。
ほんの少しだけ、息を止めた 触れる。
ほんの一瞬。 軽く。 それだけ。
離れる。 静寂。
「……」
時間が、止まったみたいだった。
リゼの顔が、爆発したみたいに赤い。
「……な、なにしてんの……」
声が震える。
「お前がいいって言った」
「そうだけど!!」
胸に手を置いて、距離を取るとゆっくり降ろされる。
離された瞬間、少し足がもつれそうになった。
また、引き寄せるように背中に手が回される。
そのとき。
「みゃあ!」
猫が飛びついてきた。
ヴァルクの胸に、どん、と収まる。
「……お前か」
片手で受け止める。
その拍子に――
一瞬だけ、リゼから手が離れる。
ほんのわずか。
そのまま、指先を見る。
(……)
すぐに、何もなかったように視線を戻す。
猫は満足そうに、腕のなかで丸くなる。
空気が、一気に緩む。
リゼが顔を押さえたまま、笑いをこらえる。
「……なにそれ……」
「邪魔だな」
「タイミング良すぎでしょ……」
少しだけ笑う。 まだ顔は赤いまま。
ヴァルクがちらっと見る。
(……ほんとに面倒なやつだ)
でも。 口元が、わずかに緩む。
「……行くぞ」
「どこに?」
「仕事だ」
「えー……今のあとで!?」
「関係ない」
「あるでしょ!!」
リゼが抗議する。 でも。 その声はどこか軽い。
「ねえ」
「なんだ」
「……借金、減ったかな」
「減るわけないだろ」
「やっぱり!?」
頭を抱える。
「むしろ増えたな」
「なんで!?」
「書類、散らした」
「猫でしょそれ!!」
「管理不足だ」
「ひどい!!」
叫びが、店に響く。 猫がのんびりとあくびをした。 その横で。 ヴァルクは小さく笑った。
「……こんなのも、たまには悪くないか」
リゼがちらっと見る。 少しだけ、照れた顔で。
「……そうだね」
小さく笑う。 借金は、減らない。
むしろ増えてる。
でも。 それでも――
悪くない。 そんな日常が、続いていく。
完
Season1 完結しました〜
ドキドキしながら読んでいただけたらいいなと思っています。
まだまだ書き足りないので、Season2でも続く予定です。
お楽しみに☆
もしよろしければ、ブックマーク、感想どしどしお待ちしています。
最後まで、お付き合いいただきありがとうございました。
また、よろしくお願い致します(*^^*)




