第3話:ミリュレー修道院
オルドー子爵領から馬車でおよそ1週間。たどりついたミリュレー修道院は、なだらかな丘陵地にひっそりと佇んでいた。
当然ながら出迎えなどはなく、エルダが降りるや馬車は早々に引き返してしまう。
荷物は旅行鞄がひとつだけだから、エルダひとりで持ち運べる。
古びた門をくぐり抜け、薬草園やブドウ畑を抜けた先に、くすんだ石造りの建物が建っていた。
「お邪魔します……」
厚い木の扉を押すと、ぎ、ぎ、ぎ……と軋んだ音がした。入り口に受け付け係がいるかと思ったが、誰もいない。
(さすがにちょっと不用心では……)
しん、と静まり返った薄暗い廊下は、おばけでも出てきそうだ。
でも意外と手入れが行き届いていて、床には埃のひとつも落ちていない。入り口にあった簡素な案内図を頼りに、エルダは修道院長室へと向かった。
ひとつ深呼吸をしてから、丁寧に扉を叩く。
すると中から、老婆の声が返ってきた。
「入んな」
ひどく酒枯れした声だ。
……さあ、ここからが本番だ。と、エルダは背筋を伸ばした。
淑女の礼を崩さぬ姿勢で、しずしずと入室する。
「失礼いたします。お初にお目にかかります、マザー・グレンナ」
エルダは、柔らかな眼差しで修道院長を見つめた。
「オルドー子爵家から参りました、エルダと申します。日々の務めに励みますので、どうぞよろし――」
「冗談じゃないねぇ!!」
修道院長は、いきなりエルダの声に引っ被せてきた。
「あたしゃ、あんたみたいな小娘は要らないんだよ」
鼻で笑ってそう吐き捨てる彼女――なかなかの野性味だ。右手の酒瓶をぐびりと煽ると、さらに気炎を吐き散らかした。
「寄付金をたんまり弾むって言うから引き受けてやったのに、オルドー子爵家ときたら支払いの段階になって分割だなんだと渋ってきやがった。金にもならないお貴族様の令嬢なんざ、あたしゃ手元に置く気はないね! さっさと帰んな!!」
(……修道院長は癖が強い老婆だという噂だったけれど。なるほど、これはなかなか)
しわだらけの顔の中央にそびえる鉤鼻は、絵本に出てくる魔女そのもの。けれど背筋がぴんと伸びていて、歴戦の傭兵を思わせる気迫がある。修道女らしさはまるでなく、どう見ても野盗の頭領だ。
けれどエルダは、そんな彼女を見て「嫌いじゃないな」と思った。
外面がよくて陰湿な義母や異母妹と比べれば、マザー・グレンナの豪快さはむしろ気持ちがいい。
だからエルダは一歩進み出て、マザー・グレンナにほほえみかけた。
「そう仰らずに。私にチャンスをくださいませんか? きっとお役に立ってみせますわ」
マザーは、紫の目でぎろりとエルダを睨めつけた。
「はン。お前みたいな小娘が何の役に立つってんだい?」
「料理、洗濯、掃除、裁縫、写本の作成、ご入用とあれば経理関係もお任せください。こう見えて私、実家では随分と鍛えられましたから」
「どうせすぐ泣いて逃げ出すさ」
「泣いて逃げるか笑って居着くか、どうか楽しみにしていてくださいな」
マザー・グレンナは、しばらく口をへの字にしていた。
だが、目をそらさないエルダを眺めているうちに、ニヤリと唇がつり上がっていく。
「……どうやら、口だけは達者なようだね」
そう言うとマザー・グレンナは、片すみに畳んであった修道服をエルダに投げ渡した。
「あたしゃ、グズと根性なしが大嫌いさ。弱音を上げたら、すぐ追い出してやるから覚悟しな!」
「ええ。よろしくお願いします」
*
修道院長のマザー・グレンナはとてもワガママで、気に入らない人間が近寄ることを許さない。だからこの修道院には長いこと、彼女以外の修道者はひとりもいなかったらしい。
エルダとマザー・グレンナの共同生活は、ひと月、ふた月――と流れるように過ぎていった。
当初は小言と怒号ばかりだったマザー・グレンナも、鼻歌混じり働き続けるエルダを見ているうちに、文句の数が減ってきた。
エルダにとっては、楽しい日々だ。
(それにしてもこの人、たった一人で修道院や荘園内の諸々を切り盛りしてきたんだから、なかなかの辣腕家よね)
実際には、マザーひとりですべてを回していた訳ではない。修道者を置かない代わりに、マザーは身寄りのない子供達を修道院内で働かせていた。
「おーい、マザー。薬草つんできたよー」
「ふん、見りゃわかるよ。さっさと干して束ねときな!」
「マザー・グレンナ。こっちの写本、できました」
「……字は悪くないねぇ、だが遅すぎだ。今の二倍は早くしな」
「マザー、この帳簿、数字があいません」
「あン? ――ほら、ここが違う。こういうミスは商人に舐められるから気を付けな」
ここで暮らす子どもは、なんと12人。全員が、マザーに拾われて鍛えられた子だ。
「無賃で働く手駒を増やしただけさ」
不貞腐れながらマザーは言うが、衣食住に困らず読み書き計算まで叩き込んでもらえて、子どもたちも楽しそうだ。
(……ツンデレ)
というのが、エルダのマザーへの評価である。
子どもたちは、エルダともすぐ親しくなった。
「シスター・エルダ! どこに行くの?」
「おつかいよ、少し遠くまで行ってくるわ」
「そっかー。行ってらっしゃい」
「ええ。夕食までには戻るわね」
――エルダがレイと出会ったのは、その外出先でのことだった。






