第2話:実家と修道院送り
エルダは常々思うのだ。
(やっぱりこれって、夢なんじゃない?)
ちらりと横を見れば、やたらと顔の良い男がにこにこと見つめ返してくる。食べ終わったプリンのお皿を片付けて、今は紅茶を淹れているところだ。
「シスター・エルダ。紅茶が入りましたよ」
(うん。……現実ね)
近すぎるこの距離感と紅茶の湯気が、何よりの証拠に思えた。
「紅茶も飲ませてさしあげましょうか?」
「火傷するからやめとくわ」
我ながら奇妙な人生だなぁ……としみじみ紅茶を飲みながら、エルダは実家を追い出されてから今日までのことを思い返していた。
***
「まったく。お前に爵位を継がせるために注いできた金も時間も、すべてが無駄になってしまった! この親不孝者が!」
それは15歳の春。
呼び出された書斎で、父は開口一番そう言った。
「エルダにはもう、オルドー子爵家の次期当主は任せられない。お前は修道院に行け」
「修道院……ですか」
父は、傍らに立つ異母妹のキャロラインへと視線を向けた。
「次期当主はキャロラインだ。……できるな?」
「ええ~? でも、お父様ぁ。わたしに、当主なんてできるかなぁ」
同い年の異母妹は、いつものようにブリブリしている。
異母妹の隣にいた義母が、すかさず口を挟んできた。
「大丈夫よ、キャロライン。あなたは一人じゃないんだもの。ダミアンさんも、あなたのために頑張ってくれるわ!」
「ダミアンさまが!?」
キャロラインは、ぱっと顔を輝かせた。
「ねえ。お父様、本当? でもダミアンさまは、お姉様の婚約者なのに……」
「無論だ。爵位と同様に、婚約者もお前のものになる」
「やったぁ!」
「ダミアン君は有能だから、お前をきちんと支えてくれるはずだ。それにキャロラインと婚約し直すと聞いて、彼も非常に喜んでいた」
(うわ……)
エルダは内心、ドン引きだった。エルダ本人の意向を聞く前に、他人に話を通すとは……。
父にとってのエルダは、すでに『役立たず』扱いなのだろう。
「文句はないな、エルダ? お前にはもう、自分の立場が分かっているはずだ」
お金儲けしか頭にない父。
媚びた笑顔がそっくりな義母と妹。
味方なんて誰もいないけれど、子どものころからずっとそう。
エルダは今さら何とも思わない。
「はい。かまいません」
きっぱりとうなずいたエルダを一瞥して、父親はふん、と鼻を鳴らした。――どうせまた、死んだ前妻の面影を重ねて不快になっているのだろう。「エルダの赤毛も気の強そうな緑の瞳も、母親譲りで気に入らない」というのが父の口癖だ。
父はわざわざエルダを王都の修道会本部まで連れて行って『命ある限り神に仕える』という終身誓願の儀式までやらせた。
通常の修道院送りは『身柄預かり』の形式となるのだが、エルダは正真正銘の修道女にされてしまったのである。
(要するに、一生帰って来るなってことね)
言われなくても、帰らないけど。と、心の中だけで呟く。
流れるように準備が進み、あっという間に屋敷を去る日がやって来た。
一応の挨拶をしに書斎に向かうと、父は心底めんどうそうな顔をした。
「何の用だ、エルダ」
「お父様にこちらの報告書をお渡しておきたくて」
エルダの差し出した書類の束を、父は睨んだ。
「ここ半年の税収の推移と、来季の予測です。あと、例の投資先の選定についてですが――」
「いらん」
父が放り投げた書類が、屑カゴに吸い込まれていく。なかなかにきれいな放物線だった。
「あ」
「みじめたらしい真似をするな! それはダミアン君の仕事だろう。横取りして有能ぶるつもりか?」
(……ダミアンが出している報告書は、全部私が書いてたんだけどね)
ダミアンはまだ婚約者の身ではあるが、将来を見据えた父は彼にいくつもの仕事を預けていた。
あの男、やっぱり自分の手柄にしてたんだ……。と察したエルダだが、今さら口に出す気はない。
「さっさと消えろ」
「はい。失礼します」
馬車留め場に向かうと、待ち構える人影があった。
「……エルダお姉さま!」
目を潤ませてこちらに駆け寄ってきたのは、キャロラインだ。そしてなぜか、ダミアンまでいる。
(よく顔出せるわねぇ、この男)
面の皮の厚さだけは認めてやる価値があるな――と、またもやエルダはドン引きだ。
「エルダ……。なぜ君が、こんな目に遭わなければならないのか。僕は運命を呪わずにはいられない!」
「ダミアン。あなた役者に向いてるかもね」
「……え?」
本当は知っているのだ。
昔から、ダミアンとキャロラインがイイ仲だったことくらい。
「エルダお姉さまと、もう二度と会えないなんて! わたし、悲しくて悲しくて」
「我慢するんだ、キャロライン。エルダだって、つらいんだから」
「……そうね、ダミアンさま。お姉さま、家のことは私たちに任せて、どうか修道院で心穏やかに過ごしてね」
「元気でな、エルダ」
はいはいはい。
ふたりの茶番劇を視界の端に流しながら、エルダは馬車に乗り込んだ。
どうせ二人が見送りに来たのは、エルダの泣き顔でも眺めるつもりだったのだろう。だからエルダは、にっこり笑った。
「お似合いよ、二人とも。せいぜい仲よくね。それじゃ、さよなら」
エルダは御者に合図をすると、自分で馬車の扉を閉めた。
からり、からりと動き出す馬車の中で、エルダは思いきり伸びをした。
「私、もう知~らない!」
これから向かうのは、辺境のミリュレー修道院。
噂で聞くところによると、非常に劣悪な環境らしい。
「へえ、面白いじゃない。あの実家より劣悪な場所なんてある?」
オルドー家の連中はエルダを追放したつもりなのだろうが、エルダはむしろ清々していた。
――飼い殺しのまま一生を終えるより、修道院のほうがきっと楽しい。






