第9話:現代知識で異世界無双?
過ぎ去っていく幌馬車を見送りながら、深い森に取り残された佐藤がまず思ったのは、
孤独という感情よりも「これからどう生きていくか」という切実な不安だった。
「……まずは、現状を確認しないとな」
佐藤は地面に鞄を降ろした。
中身は、コミケ用に買ったが食べる暇のなかったシリアルバーが6本。凍らせておいたが温くなったゼリー飲料。
企業ブースで買ったパーカーとCD。そして、キャリーケースに詰まった戦利品――百冊超の同人誌。
「異世界で生き抜くには……知識が必要だ」
佐藤はキャリーケースを漁り、戦利品の中から一冊の本を取り出した。
同人誌No.1:『サルでもわかるサバイバル術』
表紙をめくると、力強い文字が並んでいる。
『明日起きたら世界はゾンビに溢れているかもしれない。
隕石が降って文明が崩壊するかもしれない。
そんな極限状況で生き抜くための知識が詰まった一冊――お手元にどうぞ』
「……これだ。今はまさに『隕石が降ってきた』レベルの緊急事態だ。どれどれ……」
ページをめくると、切実なハウツーが並んでいた。
『最優先事項、水源の確保。一日500mlは確保しましょう。
水が最低3Lないと、数日で死亡率が上がります。
川の水は10分は煮沸すること。ペットボトルがあれば濾過装置が作れます。
方法は次ページのイラスト参照』
ページをめくる。そこにはペットボトルを切り、小石、砂利、木炭、布を重ねる図解があった。
佐藤はバッグからペットボトルを取り出す。
一本は幼馴染の加藤あやかがくれた夢の国仕様のもの。
もう一本は、コミケ限定の萌えキャラが描かれたもの。
「……これを、切る、だと?」
萌えキャラのボトルをじっと見つめる。
描かれた美少女が「私を切るの? そんなひどいことするの?」と訴えかけてくる気がした。
「……そもそも、カッターがないしな。まだ喉は乾いてない。うん、後回しだ」
佐藤は同人誌をそっと閉じ、キャリーケースの奥底へ丁寧にしまい込んだ。
次に考えたのは「住居」だ。携帯のライトで足元を照らしながら歩くと、
岩の隙間から湧き水が溢れている場所を見つけ、そのすぐ隣に小さな小屋を見つけた。
しかし、長い間放置されていたのか、雨風を凌ぐことすら怪しい惨状だ。
佐藤は再び同人誌を取り出した。
同人誌No.2:『DIYの勧め 第1巻』
(帯:ネジすら触ったことのない素人でも、全巻揃えればログハウスが建てられます!)
「……夢がある。これならこの廃屋をリフォームできるかもしれない。
頼むぞ、知識の結晶……!」
期待を込めて表紙をめくる。そこには太字でこう書かれていた。
『まずは以下の工具を、お近くの「ホームセンター」で揃えましょう。
電動ドリル、丸ノコ、インパクトドライバー、水平器……』
「……ないよ! 異世界にホームセンターなんて一軒もねーよ!!」
佐藤は無言で本を閉じた。
結局、コミケの雨天対策の黒いレインコートを深く被り、
廃屋の中へと足を踏み入れた。
「お邪魔します……誰かいませんか……」
生活感は皆無。ドアは歪んでキィキィと鳴り、
壁の大部分は崩れて風が素通りしていく。
埃の積もった机と、寝ればギシギシと悲鳴を上げるベッド。
「……もう、疲れた。今日は寝よう」
意識を手放そうとした、その時だった。
『ピンポーン』
まるで宅配便が来たかのような、能天気なチャイムが脳内に響く。
『――通知。強制締め切り10分前です』
「……は?」
誰もいない部屋に響く、無機質な自動音声。
佐藤は慌てて起き上がり、「ライティング!」と唱えた。
光の中から床にポトリと落ちたのは、真っ白な紙と羽根ペン、そしてインク。
「締め切り……ライティング……。何かを書けってことだよな?」
もし書いたものが具現化するなら大当たりだ。
佐藤は藁にもすがる思いで、紙に『カッターナイフ』や『ペットボトル』の絵を描いてみた。
……だが、待てど暮らせど変化はない。
「……あてが外れたか。理屈がわからない……」
とにかく何かを埋めなければ。
佐藤はギシギシ鳴る机に向かい、記憶を頼りに手を動かした。
モデルは、王城にいた金髪の王女だ。
いずれ日本に帰る時、異世界の思い出を同人誌にしよう。
そんな現実逃避気味な情熱を込め、王女のスケッチを描き上げた。
描き終えても、何も起こらない。
オリジナルのサインを入れても、当然変化はない。
(いったい何なんだ、このスキルは……)
『――締め切り1分前です』
佐藤は頭を抱えた。その時。
『締め切りです。ペナルティを与えます』
「ぎゃっ!? 痛てえ!」
冬場にドアノブを触った時のような静電気が全身を走る。
だが、一瞬だ。
「……なんだ、この程度か。びっくりしたけど、耐えられないほどじゃ……」
安心したのも束の間、無慈悲なアナウンスが追撃する。
『――なお、成果未達成が続くと、苦痛レベルが上昇します』
「ふざけんな! タチが悪すぎるぞこのスキル!
せめてどうやればいいのか説明しろよおぉぉ!!」
佐藤の叫びは、夜の森に虚しく消えていった。




